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「明日の京都」ビジョン懇話会 文化・環境部会(第4回)の概要

 平成21年9月11日に開催した「明日の京都」ビジョン懇話会 文化・環境部会(第4回)の結果について、下記のとおり概要を報告します。

日時

平成21年9月11日(金曜)午前10時から12時

場所

京都府庁1号館 6階 政策企画部会議室

出席者

「明日の京都」ビジョン懇話会

浅岡美恵委員、畑正高委員(部会長)
(※ 欠席 池坊美佳委員、千宗室委員) 

有識者(ゲスト)

小暮宣雄氏(京都橘大学現代ビジネス学部都市環境デザイン学科教授、第3回部会ゲストスピーカー)
内藤正明氏(佛教大学社会学部教授、第2回部会ゲストスピーカー)

京都府

髙嶋政策企画部長、山田政策企画部副部長、本田文化環境部副部長、柴田文化環境部環境政策課長、小田農林水産部副部長、今井建設交通部都市計画課長、高熊教育庁指導部長、事務局ほか

議事概要

・第2回、第3回部会でのゲストスピーカーからのスピーチを踏まえ、事務局が作成した「文化・環境部会提案(案)」について、関係部局から説明後、意見交換

(資料3)文化・環境部会提案(事務局案)( PDFファイル ,1MB)(PDF:1,118KB)


・第4回での議論を踏まえて事務局案を適宜加筆修正することとされ、修正案については、改めて各委員間の意見調整がなされることとなった。
・委員からの主な意見等については、以下のとおり 
 

  •  環境も文化も、議論するとそれぞれの立場、ポリシーがあると思うが、大事なことは府民が共に何を見つめていくかということ。コンセンサスを得ることは無理だろうけれども、20~30年、皆で共有しながら見つめるもの、というのを議論したい。
  •  自発的行動をどうやって作るかというのは環境も文化も同じ。自ら考えてやったという達成感を、目に見える具体的な指標としてどれだけ一人ひとりに落としながら京都府としてまとめていけるかが大事。
     文化について、京都市出身の鷲田清一先生(国立大学法人大阪大学総長)によれば、文化とはひと言で言えば「風(ふう)」である、と。「京都風」「大阪風」という意味の「風」でもあるし、昔で言えば、行商者のような人を含め、漂流している人たちを示すものでもある。他方、自然環境は「土」。これらを合わせた「風土」をいかに意識するかが京都スタイル。地域にルーツのあるいろいろな新しいものを取り入れ、雅なものに変えて、また全国に発信していくという力こそ「風」であり、その前提にあるのは環境としての「土」。
     景観を維持する際の動態的な仕組み自体が「風土」を意識している京都スタイル。文化・環境を中心として、産業、雇用、安全など、町衆が自分たちで考え、よそ者をうまく取り入れて、自分たちのものとしてまた外に出していく、という循環的な仕組みが京都スタイル
  •  そもそも、文化と環境はどの次元でリンクするのか。次元を3つに分けて検討。
     車は20世紀を代表する工業文明そのもの。これを電気自動車に変えるとか、水素自動車もあるといった話は、「できることをやっていこう」という、まずレベル1の次元。これは、環境の世界で言う、「エンド・オブ・パイプ・テクノロジー(汚いものが出てきたら、出口のところで最新技術を適用してきれいにする。)」の段階。他方、それがどれだけの副作用を生んできたかという反省も。少なくともこの次元の話は、文化と一緒に議論するようなものではない。
     レベル2は、交通というモビリティシステムそのものを根底から考え直すこと。
     だが、文化と一緒に語るとすれば、やはりそもそも、車のような交通システムが京都に要るのか、車のない社会ではだめか、それを突破するような議論が必要。現在の快適な移動を前提としては、文化の次元では議論にならない。
     人間は長い間、一里四方の範囲の農作物で生活。地産地消というのなら、思い切ってそのくらい言っても良いのでは。京の食文化、伝統歴史などはそういった次元で考えるべきであり、原点に帰ると考えたら、地域循環などというのは労せず自動的にできる。
     他方、医療や福祉については、コミュニティの力を活用。この再生をやれば、福祉だけでなく教育も含め、かなりの問題が解消する可能性。これをいかに作り直していけるか。これがレベル3。
     森であれば、森を吸収源と捉えるのはレベル1、これをバイオマスとして活用する仕組みを作るという話になればレベル2。とはいえ、バイオマスでの活用と言っても今の消費量のパーセントオーダーにしかならないが、レベル3として、森林との生き方やエネルギー源として、資材としての森林を考える中で、どうしても人口が増えすぎている、いきなり消費のレベルを落とせない、ということであれば、過渡的に横から持ってくるという工夫が必要
  •  「明日の京都」ビジョンは、これからの10年先だけを見て考えるのではなく、今世紀後半を意識しながら考えることが重要。環境の分野において、世界は今、曲がり角にあるという認識が必要。将来のビジョンとして何を語るか。そういう先見性、長期的な見通しのもと、政策の中にバックキャスティングを入れないといけない。50年の初めの10年という位置づけ。
     先ほどのお話にあったレベル3のような大きな転換は、府全体としては難しいかと思うが、京都の面積は75%が森林。であるなら、8割くらいはレベル3のことをいかに実現するか、という議論があっても良いのでは。いずれにせよ、全体がつぎはぎ的であり、ミッションの順番やレベルも揃っていない。もっと整理して欲しい。
     全体として重要なことは、長いスパンでバックキャスティングすることがちっとも本当は長くないということを知る必要があるということ。また、もう一つの観点として、ある部分については技術的、科学的に我々が得てきたプラスのものとして利用せざるを得ない中で、それについて大胆な発想が必要。
     資料3の1ページ目、成果目標の一番上に、「太陽光発電の設置数が倍増」とあるが、麻生政権のときですら20倍という目標設定。府の政策だけではやれないこともあるが、ようやく国のほうも発想が変化。
     また、広島市では、2050年の温室効果ガス排出量を1990年度比で70%削減という大胆なプランを公表。まさに「広島市型」。これに見合うくらいの「京都府型」でないと、見栄えがしないし、府民に対してメッセージ性もない。もう少し大胆かつ具体的に。
  •  「もったいない」という言葉からごみのことが書かれているが、この言葉はもうすこし広い概念で捉える必要がある。
     また、産業について、ただ単に産業部門で排出量を減らせというだけではなく、排出量削減の実現に必要な産業が京都にはある、それができる素地が京都にはある、それが京都文化だと言って行けたら良い。
  •  事務局案は、府の中での何何部という守備範囲からそれぞれ出てきた意見が総括されているが、その間に若干の矛盾。例えば、資料3の3ページ目のミッションに府内産の農林水産物の話があるが、「府内産」にこだわる視野自体が前時代的では。意味は分かるが、次の10年これを追いかけていくという話になるのか。
     「府」という立場で我々が次のビジョンを出すとき、具体的にこれだけのことをしようというのではなく、こんな姿に向かって舵を切ろうとか、府民が目指すものはこういうものだということを分かりやすく示すべき。「京都での取組は、どこに発想の根源があるのか」という風に世界から注目されるようなビジョンにならないと。「他府県に比べてこの程度」というものではだめ。
     文化も同じで、京都の文化を考える以上、日本文化の本質を見つめていないといけないし、そのレベルは日本の中でのみ共有するというものではなく、地球規模で説得できるレベルのものでないと。文化の分野で「京都ならでは」という言葉が頻繁に出てくるが、果たして京都以外でどこまで通じる言葉か、現状では自己満足で終わっているのでは。
  •  太陽光発電、小水力発電にしても、自分の家がどれだけの電気を使い、府の全戸がそれらを導入したときにどれだけの電力が作り出せるか、といった具体的な責任あるデータの提示が必要。「太陽光発電パネル設置の倍増」という程度の呼びかけではもはや許されない。
     太陽光発電にしても、重要なのは、次の世代の子どもたちに、生活の中で無意識のうちに環境をどれだけ意識させていけるかということ。また、最近では若い人が自家用車を持ちたがらないという風潮があるが、それをポジティブにとらえ、カーシェアリングの取組をシステムとして地域社会でどこまで導入していけるかを検討していくことが重要。
     一方、縦貫自動車道について、現状を維持するためにはつないで行かないといけないが、「つながることによって府北部に行きやすくなる」という発想は過去のもの。長い将来を見たときには、府内の公共交通インフラをもっと整備し、行った先にカーシェアリングのシステムが導入されているといった風に、時代的に皆が納得し、それを「京都システム」であると周囲も認識するような仕組みをもっと突き詰めていかないと。
     また、里山について、一部の学生が研究対象としたり、一部のNPOが再生に力を入れたりしているが、そのレベルで語るのであれば、次の時代には生きていかない。次の世代が体験を通してそれを意識していくために、大学の単位そのものに一次産業での労働体験を盛り込むというような大変革があっても良いのでは。里山もそうでないと単に「守る」だけの話になる。
  •  資料3の3ページ目、「部会議論からの『キーワード』」欄の下の方に、「アウトサイダーアート・限界芸術による地域の活性化」とあるが、それらは地域の活性化にはつながらない。専門的な芸術家だと産業化も可能だが、無意識に行う芸術活動は経済活動とはリンクしない。
     また、検討事項に一番重要なことが抜けている。ミッションには「新たな文化芸術を創造すること」と少し書いてあるが、検討事項にはその観点がない。「守り育てる」「伝承する」のみ。京都は新しい文化芸術を作り出してきたところであり、創造がないと文化は終わってしまう。東京はあくまで欧米の真似。
     また、「府民の誰もが、文化活動に参加する」というミッションは誤り。「文化活動する」、もしくは「文化活動している」とされるべき。京都府が文化活動を作っているわけでもないし、どこかに行って文化活動に「参加」するという発想自体がおかしい。人々は自発的に文化活動を行ってきたのであり、それを阻害するものについてどう対応すべきかを考えることは重要
  •  文化については、人々は自発的に動く。「参加」というと、政策決定に基づくものであり、政策決定は権力者しかできない。文化をつくるのは我々であり、政治権力の行使とは異なる。
     他方、環境分野では、放っておいたら自発的に動く状況は起こらない。自発的な動きが生まれるような経済的、社会的仕組みや制度が必要。「それは無理」と思わせるのではなく、「それはいいね」と思わせるような仕組みづくり。
     例えば、自動車を皆が持たなくて良い、という自発的な動きを生み出す出発点には、若い人がお金に自由がなく、時間もないという現状。自動車は一人に1台なくても良い、でも必要なときにどうするか、そのときにはカーシェアリングが良い、という発想に変わる。
     自動車を持つことが絶対にだめだということではないが、自動車を持つことだけではなく、車を利用するということも減らしていこうという、皆のそのような変わりつつある価値観をより引き出せるような仕組みづくりが必要。それをうまく読み込めるビジョンを示すことは地方においても必要
  •  資料3の3ページ目、上から3つ目のミッション、「京都文化の価値を知る」という表現があるが、価値を知る必要はなく、「文化」を知っていれば良い。価値観は自分たちでつくる。
     また、同ページ、上から4つ目の成果目標に「地域が生んだ文化芸術が生まれていること」とあるが、これはトートロジーであり、おかしい。「京都府内のアーティストがつくった新しい作品が評価されていること」は目標として必要。京都が生んだものが評価され、世間にインパクトを与えないといけない。評価されるのは、アーティストが死んだ後でも良い。「卓越した芸術が京都から生まれること」。定性的ではあるが、そのような成果目標が必要。定量的に言えば、「世界無形文化遺産登録数が増加すること」などの指標があると思うが、あえて定量化する必要はない。そこは将来の評価に任せる。
     「府民の文化活動への参加率100%」という成果目標も誤り。「府民の文化活動率が100%」で良いのでは。「参加」という言葉はおかしい。聴衆も演者も文化活動に参加
  •  「自然共生型」と「ハイテク駆使型」、この二項対立というよりは、やはり次元を分けて整理した方が頭の整理には良い。個別の施策、技術レベルの転換(レベル1)に始まり、社会システムの転換という次のステップ(レベル2)。最終的には、文明の転換(自動車は必要なのか、地域で暮らしてはいけないのか)(レベル3)。文化のレベルで考えるとはそういうこと。
     「環」の公共事業は、当初、公共事業の実施に当たっては周囲の環境を破壊しないようにやろう、というところから始まり、その後、公共工事を行うときにはできるだけ自然の素材を使おう、というステージに。しかし本来は、地域の伝統や文化、歴史を踏まえたときに、その地域にどのような公共事業が必要であるかを議論すべきでは。その段階で初めて、文化と環境とはセットで議論できる。
     但し、レベル3は現実的には困難だと思うが、レベル2くらいのことまでは頭に置きながら、まとめていく必要がある。それが実現できる地域と、タイムスケジュールなど、個々の地域にまで落とさなくても、一定はここで示唆しておくことが重要
  •  文化政策は変わらないといけない。ようやく国の仕組みも変わる。文化は完全に地域やNPOに任される。京都府は、文化についてもっと手を広げようとすれば、いろいろなことができるようになる。文化の主役は自治体を中心とした地域。それを国に対して積極的に打ち出していくことが重要
  •  多様性は、生物だけでなく文化にも関わり。「文化多様性」の考えも入れておいて欲しい。
     「京都文化」と言うと京都市が中心になるが、本当は異文化が入ることで新しい文化ができる。京都は日本の伝統文化の中心であり、だからこそ「残せ」という意見はあると思うが、中心であるのはいろんな異文化を含めているから。下手をすると、画一化の発想に偏ってしまうので、注意すべき。芸術については多様性が大事
  •  「多様性」と言っても、文化については若干の差。例えば、京都に西新宿に建っているような建物が京都市内に建つのは良いのか、個として美しい建物なら良いか、というとそうではない。もう少し大きい枠組みがある。
  •  文化は、人間の日々の生活の中に生きるものであって欲しい。動物でも、本来であれば動物園のような生き方ではなく、自然の営みの中で生きていく方が良い。芸能が守られているのは、集落での寄り合いやコミュニティがあるから。年に一度、国立劇場でやるだけなどということは最低

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