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「明日の京都」ビジョン懇話会 教育・学習部会(第4回)の概要

 平成21年9月7日に開催した「明日の京都」ビジョン懇話会 教育・学習部会(第4回)の結果について、下記のとおり概要を報告します。

日時

平成21年9月7日(月曜)午後3時15分から5時15分

場所

京都府庁1号館 6階 政策企画部会議室

出席者

「明日の京都」ビジョン懇話会

隂山英男委員、西岡正子委員(部会長)
(※ 欠席 崔善今委員、村井杏侑美委員)

京都府

井上政策企画部企画監、北村府民生活部人権啓発推進室長、中西文化環境部文教課長、橋本教育庁管理部長、高熊教育庁指導部長、事務局ほか

議事概要

・「人権政策及び人権教育」について、伊藤悦子氏からのスピーチの後、意見交換

(伊藤悦子氏スピーチ要旨)

  •  京都府は全国水平社発祥の地であり、戦前は同和教育の先進地に位置づけ。その他、女性校長、女性職員の割合も高い。朝鮮学校も日本で初めて許可。朝鮮人の年金にも補助。障害児教育にも長い歴史
  •  平安京建都1200年の催しの際、大学との連携で、世界人権問題研究センターが設立。京都府には歴史があるので、歴史的経過の中で出てきた部落問題は深刻ではあるが、大学と連携しながら積極的な解決を図ってきたのが京都府の特徴
  •  2005年には、「新京都府人権教育・啓発推進計画」を策定。人権を施策の基本であると位置づけ、総合行政として人権行政を展開
  •  人権教育の推進体制として、京都府は、総合行政的に知事部局と教育委員会が組んだ形の「人権教育・啓発推進計画推進本部」を設置。そこが毎年どのように取組を進めるかについて、「人権教育・啓発施策推進懇話会」という第三者機関が評価
  •  人権教育には4側面。1.教育保障、2.人権を実現させるための力、3.教育環境や安心・安全、4.(従来型の)人権問題学習。
     最近では、人権教育はより広い概念として言われることが多く、一人ひとりの自己実現を支援し、人と人とが自由で対等につながることを促すことがその目的
  •  府内の状況について、同和問題でよくあるのが結婚差別。問題にしない人が40%近くなっているが、「わからない」という人も結構いる。身元調査等については、平成13年の段階でそれを「当然」と考えている人が20%程度。まだまだ呼びかけが必要
  •  同和行政は終焉、一般施策化されているが、それに伴い、再貧困化の課題も発生
  •  男女共同参画の意識は変わってきているが、DVの問題がクローズアップ。2006年の内閣府調査では、身体的・精神的暴力、性行為の強要のいずれかの経験ある人が33.2%
  •  そのほか、高齢者、障害者、外国人の人権問題。京都府にいる5万人以上の外国人とどのように暮らしていくかは当然に考えるべきこと
  •  今後のビジョンとして、それぞれにミッションを持ち、各部局の人権尊重に取り組む人権NPOとの連携が必要。従来は、「こういうことが困っているからやってくれ」と要求して実現するのが住民運動の動きであったが、これからは「自分たちはこれだけやるから、京都府はこれだけ支援してくれ」という形であるべき。
  •  人権尊重は、効果や成果が見えにくいが、やめてしまうと忘れられてしまう。たゆまず取組を続けることが必要
  •  「差別はいけない」という消極的啓発だけでなく、「差別をなくしたい。」と思わせるような啓発が必要。既に、HIV問題の解決に向けて若い人がコンサートを開いたり、世界の子どもたちの問題を考えたリストバンドが普及したりしている。  

(質疑応答・意見交換)

  •  事務局案の中に、教育の中にNPOを取り入れるというミッションがあるが、御説明のあった「人権NPO」について、もう少し詳しく。
    …虐待・いじめ相談のホットラインや、外国人が医療を受ける際の通訳派遣などを実施。それほど多くはない。教育の分野に限ったNPOというのは難しいが、人権NPOで活躍する人材の育成と、それと連携した人権支援が必要
  •  ここ5~6年、NPOと連携を進めてきており、そうしたNPOを人権ブックレット等で紹介している。以前よりも強くタッグを組んで取り組めるようになっており、今後もその方向で進んでいきたいと考える。
  •  「積極的啓発」という言葉は一般的か。
    …一般的な言葉ではないが、若い人を取り込んで、自らうねりを作っていくような呼びかけが大事。社会教育で実践しているような、実行委員会形式の取組が必要
  •  差別はダメというのは当然だが、「当たり前」だけでは取組は前進しない。例えば若者が自分のこととして、一緒に取り組んでいける仕組みについて、大学の協力を得ながら学生とともに検討中
  •  人権啓発を参画型に変えていくということか。
  •  戦後数十年の月日の中で、トータルに見れば、紆余曲折ある中、人権問題が着実な前進を遂げてきたことをまず押さえない限りは、次への元気は生まれない。部落問題から発達しながらも、今日的な問題であるHIV問題やその他の新しい課題について、人権侵害を受けるかもしれない人たちへのいち早い救済の芽は出てきており、その評価をしておくべき。
     また、次に訪れる人権問題として、国際化に伴う問題。17組に1組が国際結婚。海外からの人口の流入は、これまで日本が経験したことのない時代であり、課題が顕在化する恐れ。国籍のない子どもたちの問題、異文化における子どもの教育の問題等。これに対して早い段階から機敏に対応する体制を準備すべきであり、モデル事例を先進的に示せたら良い。
  •  福知山市などでは国際結婚の相手はフィリピンの方が多いが、その子どもは日本国籍となり、見えない存在となり、数えられなくなる。国際結婚している件数は調べられると思うが。
     また、このような国際結婚においては、「日本人の配偶者」という位置づけとされるため、夫婦間に権力関係が生まれることが多く、DVなどの問題が起こったときに訴えるところがなく、日本人同士の結婚よりも厳しい状況になることがある。
     京都府は留学生の割合が多い中、その活躍の場をどうするか、また、農村部における国際結婚が点在化している中、これをどのように支援していくかということが今後、大事
  •  無国籍だけでなく、女性の問題で、DVとの関わりもあるが、再婚制限の関係で無戸籍の問題もある。
  •  インターネットでの人権侵害については、若い人のメディアリテラシーの低さが問題。インターネットを通じて事件の加害者、被害者双方の名前や顔写真が流出する現状。一度出てしまったら、警察すら止めようがない。友達同士の会話程度にしか若者は考えないが、四条河原町で大声で叫んでいるのと同じ。ツールとしてのインターネットの垣根の低さが問題
  •  教育委員会でも、ネットいじめについてホームページに通報サイトを設置。開設当初はたくさん通報があったが、現在は、あまり通報がない状況。
     他方、学力調査の質問式調査の中に、インターネットを使うことが多いかどうかの設問があるが、都市部と農村部で結果に違いがある。この結果も踏まえた対応が必要である。
  •  知識の量が人間同士の力関係を決めるとすれば、インターネットについては、「子ども>大人」という関係。子どもの方がよく分かっている。学校現場でも、テクニカルな部分を研究し、絶えず取り入れていくようなセクションを用意してもらうほかない。
     ネットいじめについて、いじめを受けやすい子どもがいるという点では、他のいじめと同じ。座長の中間とりまとめにもあるように、ゆるぎない価値観に守られた地域社会なり、学校であるのかという捉え直しが必要。
     また、インターネットは世界中の人たちとつながっていける一方、今までは進学によってバラバラになっていた古い友人ともつながることができるもの。古い友人との関係が心地よいため、逆に新しい人間関係に入っていこうとしない若者が増加。結果として、コミュニケーションツールが発達するほど、人間関係が広がらないことも。「コミュニケーションは能力」であることを改めて、実感した。
     インターネットとのつきあい方を具体的に教育することが重要。フィンランドでは、子ども皆が携帯を持っているという前提で、電源を切ってから授業。日本は「持つな」から入る教育。また、日本では子どもが携帯中毒になっており、それを止められない教育システムに問題。それに対しては、ネット上に教材を提供するなどして、年に2~3時間、ネットとのつきあい方について教育することで十分に対応可能
  •  子どもたちは必ずしも人間的な心を失っている訳ではない。極端な事例ばかりが報道され、子ども皆がそうであるような錯覚を生み出している。最近の子どもたちは、ちょっとした行き違いでも「いじめだ」なんだと受け取られてしまうため、深く付き合うことをためらう傾向。「お利口さん」で上質な人間であることを強制され、監視が昔に比べてきつくなっている印象。
     他方、地蔵盆のような地域の行事、地域が子どもたちをフォローする機会が失われてきている。人と人とのつながりがしっかりしていれば、倫理観は自ずとついてくる。
  •  子どもたちの倫理観について、京都には地域などの絆を大切にする行事等が多いが、参加が難しくなってきている。その部分について、家庭、地域、学校が一緒になってカバーし、人との絆の中から倫理観を高める教育を実現してほしい。
     因みに、クリスマスパーティーは教室でやってもいいのに、なぜ花祭りは教室でやらないのか。どこまで度量を大きくしてそういった取組を教育に取り込めるかが課題 

 

・第2回部会でのゲストスピーカーからのスピーチ及び第3回部会での意見交換を踏まえ、事務局が作成した「教育・学習部会提案(案)」について、幹事部局から説明後、意見交換

(資料3)教育・学習部会提案(事務局案)(PDF:143KB)


・1.生涯教育のあり方、2.「社会的自立のための教育」の視点等について、第4回での議論を踏まえたミッション、成果目標を適宜加筆修正することが確認され、以降の字句修正等については西岡部会長に一任することとされた。
・委員からの主な意見等については、以下のとおり

  •  「教育」の目標と、「学校教育」の目標とをきちんと分けて考えることが重要。前者は、「社会的自立」や「人格の完成」を目指すこと。後者は、地域や家庭でやるのではなく、まさに学校でやること。それを府民に対してしっかり示す必要がある。今は逆説的に、しつけまで学校に任され、本来の「学習させる」という役割が曖昧になっている。学校は、社会的自立に必要な「学習」の場であるという再定義が必要。その上で、集団性であるとか、社会性であるとかといったところを書いても良い。教員にとっての使命(ミッション)を再度自覚してもらう意味でも、このような学校教育のミッションがあってもいい。
     その場合の成果目標は、学力テストというのではないが、「これだけは覚えていて欲しい」ということ、社会的自立に必要な学習の最低レベルを定め、その通過率をチェックするということを府教委はしても良いと思う。それを達成できない子どもたちや学校を支援する、という線を出して欲しい。これは多くの国でもやられていること。
  •  基準については、その都度変わって行けば良いと思うので、基準の達成に学校と府教委が責任を持つ、ということは書いても良いのでは。
  •  成果目標のところに、「基礎学力の定着を図る」ということを入れても良いのでは。
     また、資料3の3ページ、「三位一体の教育」のところ、「教員の意識を改革し、更に『開かれた学校』にする」というところの参考意見のところにでも、「教員の働きやすい環境づくり」というのを入れてもらいたい。
  •  今回の選挙で「子育て支援」が話題。今後、時代は大きく動いてくる。その中で、学校は何をするのか、ということを明確にしておく必要がある。曖昧にすれば、「子育ては学校のやることでしょう」といった風に、不用意に教育の目標を学校の目標と混同される恐れ。学校でできないことを引き受けるべきではない。家庭や地域の逃げ口上を作ることになる。学校の主たる責任、基本的なところを明確にすべき。今はそれが曖昧
  •  学校は学力をつけます、その代わり、家庭・地域にはこれをお願いします、という風に、学力をつけるという目的において、学校も、家庭や地域に要求できるようになるべき。第2回での後野先生の話にあった、学校と家庭・地域との契約の例が一つの参考
  •  「確かな基礎学力」というときに、「何のために勉強するのか」というところで既に意欲を失い、「とりあえずその日を過ごせば良い」という考えになってしまっている子どもが中学生くらいに多い。そのような子どもへの意識というのがどこにも入っていない。
  •  意欲を失っている子どもについての課題意識はあると思うが、個別の目標というより、一つのトータルの目標としては、「社会的に自立できる素養」というのが一番分かりやすい。それには「力」も「意欲」も含まれる。
     社会的に自立する、ということを分かりやすく言えば、憲法で言う「納税」と「勤労」。とりあえずこれができていれば自立していると言えるが、仕事が無く、生活保護を受けている若者が何百万人と出てきている。彼らはそれを求めてそうなっている訳ではなく、彼らに働く場の与えられない社会は、自己実現どころの話ではない。彼らに社会的自立の場を与えられる京都府にならないといけないし、教育としては、そのような場があることを前提として、そこで自立できる態度や能力を持った子どもたちにしていかないと。
  •  今の案では「基礎学力」に限った表現になっているが、基礎学力を土台にした「質の高い学力」という二段構えにすれば、そこに「学習意欲」も読み込める。
  •  「社会的に自立できる」という文言も入れていただきたい。
  •  資料3の2ページ目、3つ目の検討事項中、「詰め込み教育」については表現に工夫が必要。教育において詰め込む段階は必要。「詰め込み教育」という言葉が一人歩きして、誤解を生む。また、大学入試は京都府の努力では変わらない。キャリア教育は、職業を決めていく教育。大学の教育は、実際その職業になるための手段としての教育であり、否定できない。医者になるには医学部を出ないとなれない。それを「改める」「変革する」という風に否定的に書いてしまうと混乱する。それぞれの発達段階とそれぞれの教育の課題や学び方が変わるので、それぞれの段階において適切な指導を考えるべき。このことは、2ページ目の最下段の参考欄にある「段階別のロードマップ」にも関わってくる。初めは、規則正しい生活習慣や計算をはじめとする目標を見つけるための勉強、それがやがて、目標を達成するための勉強に変わる。
  •  大学入試のあり方でなく、高校入試のあり方を変えることは京都府でもできる。総合的な学習の時間で何を学んだか、問題にいれるだけで、地域への貢献などに対する生徒の意識は大きく変わってくる。
  •  家庭科の教材、未履修科目になったりするが、中身がすばらしいということを話したと思うので、このことについて、参考欄にでも書いて欲しい。
  •  中心テーマ自体が、子どもを意識したもの。教育・学習活動は子どもだけでなく、大人自身の学習・成長という側面もあるが、趣味・教養も含め、その視点からのミッションがない。
     検討事項自体が全て子どもへの教育の視点。大人の学習ということを入れるとすれば、一番最後の検討事項に入れるべき。
  •  資料3の2ページ目、中ほどに「生涯学習環境を充実させる」というミッションがあるが、それでは大人の学習といった部分は伝わってこない。
     人間の学習権、一生涯学べる権利ということで言えば、ご提案のとおり、一番最後の人権に関する検討事項のところに、「一人ひとりに学習する権利がある」という意味合いからミッションなどを入れていけば良いのでは。
  •  大人の学習権、という発想が事務局案にはあまりない。女性、高齢者、障害者、日本語が分からない外国人のエンパワーということについて、ミッションとして何らかの形で入れて欲しい。「成人の学習権」ということは、ユネスコなどでも謳われている。
     障害者の方も、地域公民館で学んだりしている。マイノリティの人は、企業教育がなかなか受けられない中で、社会教育に参加。そういったことをはっきりと位置づけて欲しい。
  •  詰め込み教育、受験はある意味、必要悪。そこで勝たないと、子どもたちは伸びない。「大学受験のための知識詰め込み教育を…」という検討事項では、受験などからこぼれてしまったけれども何とか頑張りたい、という子どもたちに対する政策を入れるべきであり、それは「生涯学習」とは違うのでは。
  •  最終的に、これらの提案をもとにビジョンを文章化する際には、もっとターゲットを絞った形に段落分けをしていくべき。

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