中丹広域振興局

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丹波くり(たんばくり)

栗はやっぱり「丹波くり」

丹波くりってどんな栗?

『丹波くり』は、昔の丹波国(現在の京都府中部、兵庫県東辺の一部、大阪府北辺の一部)から産出された栗の総称です。

栗の品種ではなく、丹波地方で採れる栗をいいます。

丹波くりの歴史

そもそも日本の《栗》は、日本原産のもので、一説では縄文時代から種実栽培されていたともいわれております。最初に文献に栗について記載されたのは「古事記」です。

奈良時代から平安時代になると、栗は宮廷貴族の食べ物として、穀物・果物の中で最も重要視されるようになり、献上品や物納品としての栗づくりが盛んになりました。特に、丹波国は天領や寺社領地が多く、宮廷や寺院とのつながりが深かったことから栗づくりが発達したと考えられます。平安時代に編纂された律令書「廷喜式」(10世紀前半)には丹波国の栗の貢進のことが、また「新猿楽記」(11世紀中頃)にも各国の名物の中に「世に丹波栗と云い」と、丹波くりについて記されています。

13世紀の初期には《接ぎ木技術》が外国から日本へもたらされたといわれています。この接ぎ木の技術は、当時は宮廷の庭園など限られた場所でしか使用を許されませんでした。しかし、貴族とのつながりの深かった丹波地域では、早期から接ぎ木技術が栗にも使用され、今に受け継がれる大粒栗の形質の改良・保存が為されたと考えられます。

全国的に『丹波くり』の名声が拡がったのは江戸時代で、尼崎の魚商人が帰り荷として持ち帰り、京阪神や尼崎方面で「丹波くりー丹波くりー」と言いながら売り歩いたものが、参勤交代で通過する武士達によって全国に広められたものとされています。丹波くりの中で最も古いとされているテテウチ栗のことが、江戸時代(17世紀1638年)の俳諧書「毛吹草」に記されています。福知山市三和町岼の樋口正明氏の園にも同名の老木があります。

最近の丹波くり事情

府内の栗の生産量は、最盛期であった昭和53年の1,500トンから、令和2年度には約100トンとおよそ15分の1にまで減少しています。
これは、栗の樹の高齢化、生産者の高齢化・減少、獣害の増加による生産意欲の減退などが原因と考えられますが、近年は生産者の方々の努力もあり、ほぼ横這いで推移している状況です。

京都府では、みず菜・京たけのこ・加茂なすなどの伝統野菜をはじめ31品目を「京のブランド産品」として認定しPRしており、『丹波くり』もこのブランド産品のひとつです。高品質な丹波くりは根強い人気がありますが、一方では、近年、老齢木化や剪定等の管理不足による小粒化、病虫害果など品質の低下を防ぐため、新植や改植の推進、整枝・剪定、施肥、病害虫防除などの栽培管理を推進しています。

栗がたわわに実ったくり園 剪定技術講習会の様子

毎年恒例のくり品評会審査の様子(写真は福知山地方くり品評会) 見事、最優秀に輝いた丹波くり!

丹波くりの美味しさのヒミツ

昔から、「由良川の夜霧の立つところは栗がうまい」と云い、丹波くりが美味しいのは、気候と風土に恵まれているからといわれています。
当地方は由良川とその支流の谷が深く、夜は気温が下がり、また明け方霧でさらに冷えます。その割に日中の気温は高いため、昼夜の気温差がかなりあります。この「昼夜の気温差」が丹波くりの美味しさのヒミツ。特に「夜気温が下がる」ということは、いわゆる栗の木の呼吸による糖分の消耗がおさえられ、その分果実に糖分が蓄積されることになります。ですから粘着性があり、味も香りも良いものができるのです。
栗は甘みだけでなく粘着性も大事。とくに京和菓子は、茶道と一緒に発達してきたため、栗ようかんでもくりがポロッと落ちるようでは使い物にならないのです。

丹波くりのお料理レシピ紹介

「くりってどう料理していいかわからないわー」
「茹でて食べる以外にも美味しい食べ方ない?」
そんな悩みをお持ちの奥様方もご安心を。毎年、素晴らしい栗料理の数々を披露してくださる地元中丹地域の農業士の方々の美味しい栗料理レシピから、その一部をご紹介します。

くりおこわ|マロンコロッケ|くりと鶏肉のワイン煮|くりチップス

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