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京都府レッドデータブック2015

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地形のロゴマーク空からみる京都府の地形

京都府の代表的な地形を空から観察し、その特徴と破壊や改変状況を調査した。地図や地表写真から得られる情報に対して、空からの情報は立体的かつ地理的性質をより明確に把握することができる点で優れている。以下では、京都府を代表する36か所の地形写真を示し、その特徴と成因、破壊や改変の状況を解説する。なお、撮影は1~17は2013年5月、18~36は2013年12月におこなった。

執筆者 植村善博

1.木津川断層と分離丘

中央に見える高度約200mの分離丘は木津川断層の活動によって分離したブロックで、北側の山地より約300mも高度が低下している。木津川はこれを南方に迂回して東(左)から西(右)に流れている。木津川断層は丘の手前側を東西に直線状に走る。左端は南山城村南大河原の集落。

2.切山の地すべり

木津川北岸の切山に大規模な地すべり地形が発達している。最上部の高度約400mから100m付近まで、南に傾斜する地すべり斜面に切山集落が位置している。南端は木津川の侵食により急崖を形成する。地質は熱変成を受けた泥質ホルンフェルスから構成されている。

3.恭仁京跡の扇状地と石部川低地

和束断層崖から流下する河川により形成された段丘扇状地の上に国分寺や恭仁京が造営された。木津川の対岸(上側)は赤田川や石部川が形成した低平な後背湿地で、加茂町船屋と大野の集落が位置している。ここには近世の木津川洪水により集落が潰滅し、丘上に移転した記録がある。

4.木津川の北転と氾濫原

木津川は山城盆地に入ると流路を北に急折する。屈曲部に位置する上狛には、流路の移動にともなうポイントバーが幅約500mの滑走斜面を形成しており、茶園と蔬菜園が開かれている。左岸(手前)の木津には竹林が帯状に連続している。これは、幕府により管理を命じられた水防用のお立藪の一部である。

5.宇治丘陵と地形改変

宇治田原町の郷ノ口から宇治市~城陽市南部にかけて高度250~100mの宇治丘陵が広がる。地質は第四紀前期の大阪層群で、主に砂礫層から構成されている。そこから流下する青谷川(右)と長谷川(左)は天井川化して木津川に合流する。丘陵の白い裸地は山砂利採取による大規模な地形改変地である。

6.宇治川と天ヶ瀬ダム

醍醐山地を流れる宇治川は大規模な穿入蛇行を形成し、「宇治川ライン」とよばれる景勝地であった。1953年(昭和28年)の水害をうけて、淀川の根本的治水計画の一環として、1963年に天ケ瀬ダムが完成した。これは高さ73mのアーチ式多目的ダムで、これにより峡谷は水没した。洪水調節と69万KW/hの発電能力をもつ。

7.宇治川と山科川の合流点

宇治川と山科川は伏見区桃山町でY字状の合流をなす。両者に挟まれた地区が大島町で、全面住宅地化する以前は低湿地帯であった。その背後に埋め立てで縮小したが維持されている木幡池の遊水池が見える。

8.巨椋池干拓地と都市化

かつて大池と呼ばれ、豊富な水産資源で湖岸集落の生活を支えてきた巨椋池も1941年の干拓事業により姿を消した。干拓地は周囲より1~1.5mも低く、ポンプ排水を欠かすことはできない。しかし、西小倉地区の宅地化や中央部での大学や高等学校の設置などにより、水害の危険性が懸念される状況になっている。

9.三川合流部

京都盆地の最低地区(高度約10m)をなし、桂川、宇治川、木津川が合流する。合流による異常な高水位を避けるため、1918~1932年の改修増補工事によって背割り堤防が建設され、下流の島本町付近まで分離したのちに合流するようになった。

10.木津川の旧流路と宇治川新流路

維新政府の威信をかけた木津川付け替え工事が1870年(明治3年)に完成した。これにより、廃川化した旧流路が中央に緩くカーブしながら連続する。さらに、明治30年代に掘削された新宇治川(上側)がこれを切断している。本地域は繰り返し河川改修事業が実施され、水害常習地であることを反映している。

11.稲荷山と鴨川流路

中央部に高度230mの稲荷山がそびえており、その背後に山科盆地と醍醐山地が広がっている。手前の鴨川はかつて伏見区福稲で90度屈曲していた。1935年(昭和10年)の水害時に決壊寸前になったため、流路を直線状に付け替えたもの。緩くカーブを描くのは東高瀬川である。

12.賀茂川と高野川との合流点

出町柳付近で左の賀茂川と右の高野川とがY字状合流をしている。両者間の三角地は下鴨宮川町で北には水神を祀る河合神社がある。手前から賀茂大橋、出町橋、河合橋、葵橋が架かる。1935年(昭和10年)の水害では賀茂大橋をのぞいてすべて流出し、三角地からの排水ができず下鴨地区は全面浸水した。

13.比叡山と高野川

中央にピラミッド状の高度848mの比叡山がそびえ、京都盆地に向かって花折断層の急峻な断層崖が形成されている。高野川は八瀬から西に急折してから盆地に流入してくる。Y字状の横山山塊は断層分離丘で、一本松の147mが最高地点をなす。

14.桂川と嵯峨、梅津の氾濫原

保津峡谷を出た桂川は嵐山と梅津の間で大きく蛇行し、明瞭な扇状地を形成せず、旧流路の顕著な氾濫原を発達させる。流路の屈曲部は罧原堤とよばれる破堤の常習地であり、付近の古い集落は1m以上の盛土を施している。梅津は嵯峨とならぶ丹波材の河港で、製材業が盛んであった。

15.保津川の穿入蛇行

のたうち回る竜のように、保津川流路は複雑な蛇行を繰り返しながら亀岡から京都へ山地を貫流している。断層運動による隆起以前の自由蛇行がそのまま下方侵食により刻み込まれた穿入蛇行を示す。右側に水尾川の谷が延び、上流には高度629mの牛松山の山頂がみえる。

16.亀岡盆地南端の氾濫原と断層崖

本盆地南端の篠地区は高度約80mで、保津峡への入口にあたる。大堰川の逆流による氾濫の結果、乱れた地割が広く分布する。低位段丘面上の保津集落(左端)背後に亀岡断層崖が連続している。手前の黒い筋は右から順にJR嵯峨野線、西川、年谷川、大堰川、保津段丘崖を示す。

17.大堰川と園部川の合流と鳥羽集落

南丹市八木町鳥羽で大堰川は園部川を合わせ八木方面に流下していく。その左岸には連続的に発達した水防用竹林が維持されており、右岸の鳥羽は自然堤防上の河港であった。

18.船岡峡谷

大堰川は船岡と殿田の間で亀岡断層による隆起部を横断する。このため穿入蛇行を形成し、狭いながら谷底低地も分布する。かつて園部川は北に流れ、殿田で大堰川に合流後、北流して胡麻方面から由良川に合流していた。すなわち、現在の南流とは反対に北流していたのである。

19.胡麻分水界と丸山

丹波高地の中央部に由良川と桂川を分ける谷中分水界があり、高度約210mの平坦な段丘面となっている。かつて北流していた桂川が殿田付近で争奪され南流に転じたため、旧流路が広い低地として残されるようになった。中央の丸山(259m)はかつての桂川の蛇行切断による環流丘である。

20.由良川と大野ダム

美山町樫原に位置する大野ダムは1953年(昭和28年)の水害後、由良川下流の治水事業の一環として1961年に完成した。堤高61.4m、堤長305m、綾部・福知山地区の治水の要をなす。背後の貯水湖は虹の湖とよばれ、公園として整備されている。

21.福知山盆地の左岸低地と戸田集落

福知山盆地西部の高度17~20mの氾濫原には福知山市興(右端)と戸田(中央)集落が位置している。2013年9月の水害時、由良川の氾濫により低地は全面浸水し、大きな被害を生じた。当時の由良川は堤防改修工事中で、堤防の切れ目から外水が流入し、中央を東西に走る綾部用水路も溢流した。

22.由良川と土師川の合流部

由良川は福知山市街地の東側で土師川と合流する。この下流から山地がせまる狭い谷底低地を流れるため、超過水量は逆流し、福知山はしばしば水害に見舞われてきた。1907年(明治40年)に8.4m、1953年(昭和28年)に7.8m、2004年10月20日には7.6mまで上昇し大きな被害を出している。

23.田倉山火山

田倉山は京都府下唯一の第四紀火山で、兵庫県和田山市と福知山市夜久野町の境界部に分布する。火山体(宝山)は高度350mのスコリア丘で、浅い開析谷を生じている(中央部)。山体の南側にひらいた火口が存在する。平らな夜久野台地は約31~37万年前に噴出したカンラン石玄武岩の溶岩から構成され、野菜などが栽培されている。

24.由良川下流の谷底低地

舞鶴市志高付近の由良川と谷底低地を示す。山地と低地が複雑に入り組むのは沈降地域の特徴である。左岸低地には由良川流路がおっぽり池(押堀)となって残っている。2004年の台風23号水害時には低地は8.1mまで水位が上昇して浸水、観光バスが乗客とともに水中に取り残され、救出されたことは広く報道された。

25.由良川河口

由良川河口には砂が波で打ち上げられた浜堤が発達し、手前の神崎と対岸の由良の集落が立地している。上流に砂防堰堤やダムが建設されたため土砂供給量が減少し、海岸浸食が進んでいる。このため、コンクリートブロックによる護岸対策がとられている。

26.舞鶴湾

若狭湾地区は典型的なリアス式海岸が発達する。舞鶴湾は入口が約870mと狭いが、湾内は広くかつ水深が大きいため、港湾として好条件を有している。1901年に海軍鎮守府が置かれたのも当然といえる。手前の戸島と奥の蛇島の2島が湾内に浮かび、東西の舞鶴港湾地区が発達している。右手の奥に青葉山が見える。

27.東舞鶴と港湾

東舞鶴市街地は祖母谷川と与保呂川(右手前)が形成した沖積低地に位置し、海軍が建設した計画都市である。このため、格子状の規則的街路を有し、富士、八島、敷島、朝日などの軍艦の名が通りにつけられている。左側のクレーンは日立造船(旧海軍工廠)、その奥に海上自衛隊の基地がある。

28.成生岬の海食地形

大浦半島の先端に成生の漁村がある。三島由起夫の小説『金閣寺』の主人公の生地とされている。そこから北に3kmの成生岬は第三紀内浦層群の安山岩類からなり、切り立った断崖絶壁を形成、北西季節風による激しい海岸浸食を反映している。

29.天橋立と文殊切戸

日本三景の天橋立は延長2.5kmの北砂州と1kmの南砂州から形成されている。両者間は大切戸とよぶ水路で分離されている(中央右)。また、文殊市街地との間にある水路は航行用の人工水路で、小天橋の旋回橋が架けられている。砂州の浸食が深刻で、串状につき出した砂防用堤防が痛々しい。

30.宮津市日置と世屋川扇状地

丹後山地から流下する世屋川は谷口から典型的な扇状三角州を形成して宮津湾に流入する。送流土砂は沿岸流によって天橋立砂州の構成物を提供してきた。海岸にリゾート用高層ビルが建ち、上流にはゴルフ場が開発され地形が破壊されている。

31.伊根町新井の千枚田

海食による急斜面が卓越する伊根海岸では唯一緩い傾斜地が新井に分布している。この高度20~50mの斜面は地すべりと海岸段丘を棚田状に開いた千枚田の景観が発達していた。しかし、圃場整備事業により美しい曲線を描く千枚田は消え、格子状の階段状水田に改変されてしまった。左側は新井漁港。

32.近畿最北端の経ヶ岬

北緯35度46分46秒の経ヶ岬は高度210mの孤立岬を形成している。1898年に点灯した灯台とともに歴史を歩んできた。岬は経ヶ岬安山岩(デイサイト)からなり急峻な海食崖が発達する。海岸付近には高度約3mと約10m付近に隆起した海成段丘面が分布している。

33.尾和の穴文殊と海成段丘

丹後町尾和の海成段丘中位面には文殊堂が位置している。また、海食崖には大規模な洞窟が3か所に発達、洞内に仏像を祀っていることから穴文殊とよばれている。地質は柱状節理が発達する安山岩からなり、節理にそって深い洞窟が形成されている。建物は航空自衛隊の基地で、その後米軍がXバンドレーダー基地を建設したため、景観の破壊が進んだ。

34.間人城島の波棚

間人集落の西端に城島がある。照葉樹林に覆われた中央部は高度21mの海成段丘面からなり、それを取り巻いてケスタ状の波食棚が発達している。中新世の堆積岩の軟層や小断層に沿って著しい波食溝が形成されていて見事である。

35.京丹後市網野町八丁浜と離湖

京丹後市網野町東部には八丁浜の砂州で陸封された淡水の離湖が分布している。古墳を乗せる離山(33.6m)によって東西に二分されている。かつては排水不良が著しく、大雨時に高水位による浸水被害が頻発した。これを除去する目的で1678年に安達久兵衛らが砂州を開削し、樋越川水路を完成させた。その結果、水位が低下して新田が開かれ、離山は陸続きになった。

36.久美浜湾と湊宮

久美浜湾は府下最大の汽水性ラグーンで、水深も最深点が20.6mと非常に深い。日本海とは小天橋砂州(久美浜砂丘)によって隔離されており、その西端に湊宮の漁港が位置している。明治期までの潮口は集落の西端からまっすぐ海へ通じていたが、砂による閉塞が著しくなり、大正期に岩盤を開削して水戸口と称する現在の水路が人工的に建設された。

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