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 基盤岩について 新生代(界)

 基盤岩について

 日本列島の地質は、白亜紀以前の地質構成と新生代古第三紀以降の地質構成とに大きく二分して分類されるこ
とが多い。それは白亜紀以前の地質が主として先カンブリア時代の陸塊とその東側に発達した付加帯などから構
成されるのに対して、新生代の地質の多くが大陸基盤の上に発達した浅海ないし陸水成の堆積岩や火山岩から構
成されているためである。以下、基盤岩については先カンブリア系以上白亜系以下のものについて述べる。ただ
し大陸東縁におけるいわゆる「中生代後期酸性火成活動」とされてきたものは、白亜紀にとどまらず古第三紀に
まで及んでいる。具体的には丹後半島に広く分布する宮津花崗岩類が相当する。ここではそれも含んで、基盤と
してまとめる。

基盤岩の構成
 西南日本の地帯構造は、中央構造線を境に内帯と外帯に大区分されており、京都府域には内帯の諸地帯が分布
する。それらは日本海側より、飛騨外縁帯(三郡帯)、舞鶴帯、超丹波帯、丹波帯、領家帯(尾崎他、1995)と
なる。このうち飛騨外縁帯は宮津花崗岩類の貫入と生野層群等の酸性火山岩類や新第三系の被覆により同地帯構
成岩類の地表への露出がなく、舞鶴帯との境界は不明瞭である。以下各地帯を構成する地質について述べる。

図1
図1.京都府における基盤地質の地帯構造部分(尾崎ほか、1995を参考にした)
飛騨外縁帯
 北部地域のうち丹後地域が含まれており、舞鶴帯との境界は宮津花崗岩類分布の南限附近とされている。前述
したように宮津花崗岩類の貫入と生野層群等の酸性火山岩類や新第三系の被覆により、基盤岩の露頭はない。た
だし、新第三系の堆積岩中には稀に変成岩礫が見いだされることがある。例えば丹後町袖志の海岸沿いの崖の含
礫砂岩層や、丹後縦貫林道の汐霧山附近の礫岩層には変成岩礫が含まれている。


舞鶴帯
 舞鶴市から西南西に大江町、福知山市北部を経て夜久野町に至る狭長な地帯で、幅は20kmほどである。夜久野
複合岩類、中・上部ペルム系舞鶴層群、下・中部三畳系夜久野層群、上部三畳系荒倉層、難波江層群で構成され
る。北西側より夜久野岩類・舞鶴層群・夜久野層群・舞鶴層群・難波江層群と荒倉層・夜久野岩類の帯状配列が
認められる。なお、舞鶴附近の北西縁部には以上の帯状配列に加え、大江山超塩基性岩体・舞鶴花崗岩と中部ペ
ルム系下見谷層が分布している。
 大江山超塩基性岩体はダンかんらん岩、ハルツバージャイトを主体とするもので、この中にダンかんらん岩、
ウェールライト、単斜輝石岩、はんれい岩などのブロックが含まれている(Kurokawa,1985)。海洋基盤のオフィ
オライトとされている。なお超塩基性岩の年代は、放射年代測定によって430〜460Maつまりオルドビス紀のもの
であることが明らかになった(Nakajima et al,1993)。このことから、同岩体は飛騨外縁帯のものとする見解が
ある(Ishiwatari,1993)。超塩基性岩体に伴う金属鉱床には、銅、ニッケル、クロム鉄鉱がある。それぞれの
鉱床は宮津花崗岩に伴う深成鉱脈鉱床、超塩基性岩の残留鉱床、超塩基性岩の一部とされている。下見谷層は主
に酸性凝灰岩、頁岩、砂岩により構成され、珪質の凝灰質頁岩の一部にはペルム紀中世の放散虫化石を多産する
(Ishiga& Suzuki,1984)。岩相は岡山県柵原地域の舞鶴層群下部層に類似し、含有する放散虫化石も同一である
(Nishimura & Ishiga,1987)ことから舞鶴層群とすることに矛盾は無い。ただし下見谷層はチャート層を含む点
で舞鶴層群とは異なることから秋吉帯(中国帯)の古生層に帰属させる見解もある(Hayasaka,1990)。下見谷層
分布域には深成モリブデン鉱脈鉱床があるが、これは宮津花崗岩の活動に伴うものである。
 夜久野複合岩類は、舞鶴帯の北帯と南帯に分布する。北帯では圧砕花崗岩を主とし、変輝緑岩をともなっている。
圧砕花崗岩は舞鶴花崗岩(猪木,1959)と呼ばれ、アダメロ岩質のものが多い。この他、大江町北部には黒雲母
片麻岩、角閃岩などの河守変成岩が分布し、舞鶴市大浦半島には、はんれい岩質層状複合岩体がある。舞鶴市志
高では中下部三畳系志高層群が夜久野岩類を不整合で覆っている。なおNakajima et al.(1993)は中舞鶴の餘
部付近の玄武岩が島弧ソレアイトであることを明らかにし、北帯の夜久野岩類を下見谷層とともに舞鶴帯ではな
く秋吉帯(中国帯)に帰属させている。南帯の夜久野岩類は主として変はんれい岩、変玄武岩などの塩基性岩で
ある。この他に超塩基性岩類、トロニエム岩などの酸性岩、黒雲母片麻岩などを伴う。福井県大飯町の超塩基性
岩から玄武岩に至る一連のオフィオライト岩体については、通常よりも厚い海洋地殻であると解釈されている
(石渡、1978;Ishiwatari,1990)。変はんれい岩については241〜278Maの放射年代が出されている(Shibata 
etal,1977)。
 舞鶴層群は舞鶴地域では下部層から上部層が分布する。それらはほぼ中上部ペルム系である。下部層は玄武岩、
塩基性凝灰岩を主とし、黒色泥岩を伴う。黒色頁岩よりペルム紀中世の放散虫が見いだされている(栗本・木村,
1985)。中部層は黒色泥岩、岩片質砂岩、礫岩を主とする。黒色泥岩の珪質部からはペルム紀新世の放散虫が、
石灰質細礫岩からはLepidolina kumaensis層準のフズリナが産し、また同層準の石灰質泥岩や石灰質砂岩からは
腕足類や二枚貝化石が産する。上部層は黒色泥岩を主とし、砂岩、暗色石灰岩が挟まれる。これにはペルム紀新
世後半のフズリナ、有孔虫、腕足類が産する。また大江町公庄には礫岩、砂岩、泥岩層からなる公庄層があり、
ペルム紀最新期の二枚貝、腕足類などの化石を産する。舞鶴層群下部の玄武岩には、キースラーガー型の銅鉱床
が見られる。
 夜久野層群は舞鶴層群を不整合で覆う、下〜中部三畳系である。下半部は礫岩、砂岩、泥岩からなるが岩相変
化が激しい。三畳紀古世の二枚貝、アンモナイトを産する。上半部は細粒砂岩をはさむ泥質岩で、三畳紀中世前
半の二枚貝、アンモナイトを産する。舞鶴市志高の志高層群は厚い砂岩・礫岩を主体とするもので、泥岩を伴う。
舞鶴花崗岩を不整合に覆っている。浅海から陸成層で石炭層は舞鶴炭田として第二次大戦後採掘された。二枚貝
などを産し、夜久野層群と同時異相とされている。志高の採石場には縦横数十メートルの層理面にリップルマー
クがついている。
 荒倉層は舞鶴市荒倉、鹿原に露出し、黒色泥岩、砂岩からなる。三畳紀新世カーニアンの二枚貝、アンモナイ
トをともなう。夜久野層群よりも年代が新しく、上位の難波江層群には不整合に覆われる。
 難波江層群は舞鶴層群の南側で南帯の夜久野岩類との間に狭く分布する。泥岩、砂岩を主体とし、礫岩をとも
なう。石炭層を挟むこともある。またN 層は明灰色の特徴ある石英質砂岩である。多くの層準で三畳紀新世カー
ニアンの二枚貝の化石を産する。浅海相が多いが、陸成相を示す部分もある。



超丹波帯
 超丹波帯はCaridoit et al.(1985)によって新たに提唱された地質帯である。北西側の舞鶴帯と南東側の丹波
帯とに挟まれた狭長な地帯で、福井県の小浜市西部の片江鼻付近から綾部市淵垣、福知山市石原、穴裏峠を通って、
兵庫県青垣町に伸びている。延長はさらに岡山県に至る。当初Caridoit et al.(1985)はリボン状チャート層お
よびせん断変形の著しい薄層の砂泥互層を超丹波帯構成岩としたが、その後塊状の圧砕砂岩(氷上層)を含めて超
丹波帯構成層とされた(Ishiga,1986)。木村他(1988)は綾部地域の超丹波帯を北西側よりチャート・砂岩泥岩
からなる大飯層相当層、せん断の著しい砂泥薄互層からなる十倉層、塊状の圧砕砂岩からなる氷上層相当層の3つ
に区分した。それぞれは断層によって接していると考えられている。
 大飯層は最下部の緑色岩から始まり石灰岩を挟む層状チャート、層状チャート、凝灰質珪質頁岩、泥岩、砂岩と
累重する海洋プレート層序である(武蔵野他,1987)。チャート下部はペルム紀古世であり、チャート層上部およ
び凝灰質頁岩はペルム紀新世の放散虫を含む(Ishiga,1985;武蔵野他,1987)。
 十倉層はせん断変形の著しい薄層の砂泥互層である。キンク褶曲がよく発達し、薄片ではプレッシャーシャドウ
が発達するのが観察できる。やや石灰質な岩片質砂岩であり、長岡京市、大山崎町の西山に分布する高槻層砂岩に
やや類似する。地質年代は不詳である。
 氷上層は塊状のポーフィロクラスティック構造を示す圧砕砂岩である。栗本(1986)によって砂岩に挟在される
黒色泥岩より、ペルム紀新世の放散虫化石が抽出されている。しかし化石の保存が悪くその年代は確定的でない。
構造的下位にある丹波帯の中古生界とは断層で接しており、境界付近のせん断は特に著しい。砂岩はやや石灰質で、
中粒の石質〜長石質砂岩であり、京都市付近では長岡京市に分布する本山寺層とした砂岩が類似する。本山寺層で
は、ブロック状に含まれる珪質頁岩から三畳紀古〜中世の放散虫が抽出されている。
 上記したように、超丹波帯は舞鶴帯と丹波帯に挟まれた狭い地域に分布するものであるが、超丹波帯構成岩類と
されるものが、京都西山山地の長岡京市、大山崎町に分布している(Ishiga,1990)。本山寺層、高槻層と呼ばれ
るもので、主に砂岩、少量の泥岩から構成され、丹波帯の上にナップ構造をなして分布すると考えられている。


丹波帯
図2
図2.京都府における基盤地質の地質年代柱状図
(日本の地質6,1987;Nakajima,1992などを参考にした)
 舞鶴帯と領家帯の間に分布する地帯は松下(1953)によって丹波地帯とされ、古生界の丹波層群(Sakaguchi,1961)
が分布するとされた。丹波帯は1965年以降丹波地帯研究グループ(1969, 1971, 1974, 1975, 1979a, 1979b, 1980,
1990)により、精力的に調査された。1970年代後半には層状チャートより三畳紀のコノドントが見出されて、三畳
系の存在が明らかにされ(丹波地帯研究グループ,1979a, 1979b)、さらに1980年代に入るとチャート層の一部と
頁岩層からジュラ紀の放散虫が抽出される(田辺・丹波地帯研究グループ,1982)に及んで丹波層群の年代が大き
く変化した。さらに日本列島のような変動帯の生成機構については、地向斜造山運動の考え方からプレートテクト
ニクスによるものへ変化するに至り、丹波層群を構成する堆積物が、いわゆる海洋プレート層序(深海底玄武岩な
いし海洋島玄武岩→遠洋性堆積物の層状チャート→含放散虫珪質頁岩→頁岩・砂岩へと変化するもの)であるとの
理解が進んだ(Imoto,1984)。また丹波帯を構成する丹波層群が大きく2つのグループに分割され、主に三畳−
ジュラ系からなる相対的に地質年代の新しいI型地層群の上に、石炭−ジュラ系からなる地質年代の古いII型地層群
がナップ構造をなして乗っていることが明らかとなった(石賀,1983, Imoto,1984)。その後このナップ構造はさ
らに細分される(楠・武蔵野,1989;丹波地帯研究グループ,1995)とともに、丹波帯の北西側に分布する超丹波
帯、舞鶴帯も含めた大構造を形成している可能性が明らかとなってきている(Ishiga, 1990;Ishiwatari,1990)。
 I型地層群は三畳紀古世の珪質粘土岩(砥石型珪質頁岩)に始まり、三畳紀中世からジュラ紀中世の層状チャート、
ジュラ紀新世の含放散虫珪質頁岩、雲母質黒色頁岩、石英質砂岩(タービダイト)が累重する層序を示す。珪質粘
土岩より下位は断層で切られてより上位の地層が繰り返すが、まれに緑色岩が見られる場合がある。珪質粘土岩は
黒色の炭素質頁岩やチャート層を挟在していて、生物の大量絶滅を伴なった古生代−中生代境界直後の堆積物とし
て特異なものである。また、三畳紀新世のチャート層の中に、緑色岩や細粒石灰岩が挟まれることがあり、コノド
ントや六射サンゴを含んでいる。後述するII型地層群とは低角の衝上断層で境され下位に分布する。したがって背
斜構造の形態をしたアンチフォームの部分に分布している。II型地層群は石炭紀(およびペルム紀)の緑色岩、石
炭−ペルム紀層状チャートないし石灰岩、三畳紀古世珪質粘土岩、三畳紀中世から三畳紀新世ないしジュラ紀中世
の層状チャート、凝灰質珪質頁岩、黒色頁岩、砂岩が累重する。II型地層群はさらに細分され、下位のサブユニッ
トから上位のサブユニットへ砕屑岩の年代が古くなる。これは丹波層群堆積時のプレト収束帯において、海洋プレ
ートの大陸プレート下への沈み込みにともなって、海洋プレート上の堆積物がより古い付加体の下位に付加してい
くことによって出来上がった構造と考えられている。
 丹波帯には堆積時あるいは堆積後の続成時に生成したと考えられる層状マンガン鉱床が胚胎する。それらは小規
模のもので、多くのものが I型地層群分布域のジュラ紀古世から中世の層状チャート中に存在する。菱マンガン鉱
を主体とするが、熱変成等を受けて種々のマンガン鉱物が生成している。マンガン鉱山はすべて閉山している。領
家帯に近い井手町や和束町のものでは領家変成作用を受けて、マンガン珪酸塩鉱物が生成している。小規模の石灰
岩が主にII型地層群地域に分布しており、化石を含むことが多い。かつて石灰の原料として採掘されたことがある。
深成鉱脈鉱床としてはタングステンの鉱床が存在する。丹波層群の各所に花崗岩体が露出しているが、それらの活
動によって生成したものである。数地域で採掘されたが現在はすべて閉山している。


領家帯
 領家帯は丹波帯の南側幅50kmほどの地帯で各種の花崗岩と変成岩が分布している。京都府域では、笠置付近、
木津川の東西の谷を通る木津川構造線を境に変成度が大きく変わるため、一般に木津川構造線以南を領家帯とす
るが、変成作用は北側の丹波帯にまで及んでいる。変成分帯では北から黒雲母粘板岩帯、複雲母千枚岩帯、片状
ホルンフェルス帯、珪線石片麻岩帯に分けられている(中島,1960;Kutsukake,1973)。変成岩の源岩は丹波層
群の黒色泥岩や層状チャートである。黒雲母粘板岩帯は宇治田原町南部にあり、そこでは丹波層群の黒色泥岩が
より剥離性に富み、剥離面には炭素質物質の径数mmで薄い円盤状の点紋が認められる。複雲母千枚岩帯は丹波帯
南縁の和束町にあたり南は木津川構造線までである。泥質千枚岩には黒雲母と絹雲母が含まれている。片状ホル
ンフェルス帯は主に木津川に沿う狭い地帯で、北部は菫青石を含み、南部は紅柱石、珪線石を含む片状ホルンフェ
ルスである。珪線石片麻岩帯は笠置町主部以南であり、紅柱石を含まず、白雲母、珪線石を含む片麻岩である。
 京都府内の領家帯花崗岩類は、古期と新期に二分される(中島,1960)。古期のものは笠置町付近に分布する
狭川花崗岩と須川花崗岩である。前者は花崗閃緑岩、後者は花崗閃緑岩からトーナル岩で強い片麻状構造をもち、
片麻岩の構造と調和的である。新期のものは笠置町東部、南山城村に広く分布する柳生花崗岩と和束町南部木屋
花崗岩、笠置町南部の深川花崗岩がある。柳生花崗岩はバソリス状岩体で粗粒・弱片状の花崗閃緑岩で、放射年
代は70〜110Maである。木屋花崗岩や深川花崗岩は塊状中粒ないし細粒でザクロ石を含むことがある。


白亜紀・古第三紀花崗岩類
 前述した領家帯以外にも、京都府内には大小の花崗岩体が分布する。それらは北側の山陰帯と南側の山陽帯に
分けられる。それぞれ主に磁鉄鉱系とチタン鉄鉱系の花崗岩とされている。
 山陰帯の花崗岩としては、丹後半島に広くバソリス状に宮津花崗岩が分布する。粗粒の黒雲母花崗岩で花崗閃
緑岩、石英閃緑岩もある。K-Ar年代は45〜55Maを、Rb-Sr年代では65〜68Maを示していて、古第三紀のものであ
る。なお宮津花崗岩は夜久野町の一部で白亜紀新世ないし古第三紀の酸性火山岩類(矢田川層群相当層)を貫いてい
る。
 山陽帯の花崗岩としては、比良花崗岩体、比叡花崗岩体があげられる。このうち比叡岩体は主に黒雲母花崗岩
からなり、花崗斑岩やひん岩に貫かれている。副成分鉱物として褐簾石を普遍的に含んでいる。放射年代は100
〜78Maで比良花崗岩より古い。
 これらの花崗岩体はいずれも、周囲の丹波層群に熱変成を与えており、菫青石ホルンフェルスなどを生じてい
る。とりわけ、行者山花崗岩体近くの桜石は有名である。
 これらの花崗岩体のほかに、白亜紀古世の放射年代を示す花崗岩の小岩体が丹波帯の東部に点在する。それら
は、日吉町生畑、京北町花背、京都市左京区鞍馬などの石英閃緑岩ないしトーナル岩の小岩体である。これらは
化学的な性質からアダカイト質マグマから形成されたものとされた(貴治・湯川,1993;貴治ほか,1995;貴治
ほか,2000)。アダカイト質マグマは海洋プレートの部分溶融によって生ずるとされているが、白亜紀古世にそ
のようなマグマが生成した理由は次のように推定されている。この時期、アジア大陸東縁には海嶺軸を含んだ海
洋プレートが沈み込んだとされており、海嶺付近の熱い(冷却していない)海洋プレートからはアダカイト質マ
グマが発生した。白亜紀には日本のみならずアジア大陸の東縁で大規模な酸性火成活動が生じているが、これも
海嶺の沈み込みによると推定されている。

                              執筆者 武蔵野 實


 新生代(界)

新第三紀中新世・鮮新世
 京都府内の新生代の地層・岩石は、白亜紀から新生代にわたる酸性火成活動を別にすれば、大陸東縁に割れ目
が入って日本海ができるとき以来の火山活動の産物と堆積物(与謝層群と北但層群、伊根層群、内浦層群)、な
らびに東からの中新世海進の堆積物(綴喜層群)に始まる(図1、2参照)。紀伊半島南部の新生代古第三紀層
(系)は付加体をつくっているが、先に述べた府内の地層・岩石は基盤岩の上に乗った被覆層である。それらは
新第三紀中新世というデータはあるが、大陸東縁に割れ目が入ったのは古第三紀に始まるようで、そのあたりの
府内のようすはわかっていない。丹後半島の新第三系は中新世・鮮新世の火山噴出物を多く伴うが、京都府南部
にはそれらはともなわない。しかし大阪府や奈良県には"瀬戸内火山岩類"がある。それらとの関係、陸地であっ
た時代の川砂利層(東山礫層・小長尾礫層、ソノハ礫層、大福礫層・木屋峠礫層・観音寺礫層・信楽礫層・北又
礫層)の一部が京都府内にもあり、断片的ではあるが当時のようすを推測できる。


与謝層群と北但層群、伊根層群
 丹後半島の新第三系は新第三紀層下部の安山岩類と礫岩、砂岩・頁岩が700mの厚さに達することが1927年の
奥丹後地震の後に調査された(津屋,1928)。広川・黒田(1957)はこれを与謝層群と呼んだが、兵庫県北部の
但馬地域から研究してきた池辺他(1965)、弘原海他(1958)は北但層群(弘原海・松本,1958)に含めた。し
かしなが、丹後半島中央部から東部へかけて研究した東(1977)は世屋層を識別して、但馬よりも福井(糸生累
層・国見累層)との関連を明らかにした。
 山陰―北陸地域の新第三系は"グリーンタフ地域"に属するとして研究されてきたが、近年の知識では古第三紀
漸新世に大陸東縁に割れ目が入り安山岩類の大量の噴出と陸成層の堆積があった。それは能登から東北かけてで、
丹後は東へ動いたゾーンに位置している。その後、中新世に入って割れ目が拡大し、玄武岩質安山岩・酸性火山
活動と地層の堆積があった。それらは下位から等楽寺礫岩層・弥栄火山岩層・世屋層と呼ばれている。この上位
に礫岩砂岩層が厚くあり、陥没があったといわれたことは、中新世の割れ目拡大のようすを示すと解釈できる。
海進(豊岡層)はこの後にあり、西南日本の時計回り回転はその後にあった。それが中新世中期約1500万年前い
われている。しかし海進はもっと早くにあったというデータが北陸各地にあり、なお研究課題である。北但層群
の海生貝化石を産する地層と下位の礫岩層・火山岩層は夜久野町北西縁山地でもほぼ水平にある。
 このような地質イベントの年代は、地磁気極性や酸素同位体比編年との細かい対比ができる精度に到っていな
い。とくに丹後では近年の研究が進んでいないが、山元・星住(1988)は伊根町から丹後町にかけて中新世中期
の火山活動について研究し、北但層群(下位から八鹿層、豊岡層、網野層、丹後層)の上に伊根層群(下位から
大原層、新井層、蝙蝠岳層)を識別し、その上の経ケ岬安山岩を含めて多くのK-Ar年代を報告している。


内浦層群
 舞鶴市北東端、福井県西端の内浦湾をとりまいて海成層と安山岩が重なる中新統が内浦層群である。福井県地
質図および同説明書(1955)に始めてこの名が使われ、広川・黒田(1957,1958)が記載した。この層から初めて
ビカリア化石を発見した市原(1953,MS)が、京大卒論でこの層をMiddle Mioceneとし且つ内浦層群と名づけると
している。前記した福井県地質図(1955)は地質調査所が県から依頼されて作成したもので、その説明書の引用
文献には市原の卒論(1953,MS)も挙がっているので、内浦層群の名はそこから来ているだろう。本文ビカリア・
ゲロイナの項で述べるように、マングローヴ沼貝化石群を産する。これは汎地球規模の中期中新世温暖期に相当
することを示す。


綴喜層群
 池邊(1949)は綴喜郡宇治田原村の第三紀層を綴喜累層と呼び、その西部湯屋谷付近の250m厚さの地層につ
いて岩質と化石層序を記載した。松下(1953)は綴喜層群としている。石田他(1954)は全域を調査して、西部
で250m厚さ、東部で205m厚さの地層の層序を明らかにし、地質図を発表した。その貝化石については、Itoigawa
(1956)の研究がある。これは"瀬戸内"あるいは第一瀬戸内累層群に属する海成層とされてきた。石田(1979)
は中国地方と近畿・東海の海成中新統は瀬戸内海のように連なることはなかったことを示し、古地理図作成を試
みたが、海進の進んだ時期の海岸線推定は困難であった。西南日本が大きく時計回り回転する前の堆積物である。


小長尾礫層
 小長尾礫層は曽爾層群の下部層で、上にふろの谷層・室生火山岩の順に乗る。奈良県宇陀郡曽爾村小長尾を模
式地とし、厚さ20m、中―大礫大の溶結凝灰岩円礫を含む(志井田、1952)。これは琵琶湖付近の"湖東流紋岩"
礫と考えられ、奈良市東部地獄谷層群石仏凝灰岩下位の東山礫層の延長と考えることができる。室生火山岩は西
南日本回転の直前の噴出とされている。中新世中期のほぼ1500万年前、海が東へ退き、琵琶湖付近の山地から大
きい礫を大量に運ぶ川があり、室生で噴出した火砕流はその川を遡って奈良の東部にまで達したことがわかる。
京都府内は当時丹後は海域で、火山活動も盛んであったが、南部では木津町の古寺凝灰岩(16Maフィッショント
ラック年代)が基盤の花崗岩の上に乗っているのみである。これは前記石仏凝灰岩とは鉱物組成が異なるという
(河村・中山、1989)。石仏擬灰岩は軽石流堆積物であり、細粒降下火山灰である古寺擬灰岩とは全く異なる産
状を示す。これらの礫層は府内では発見されていないが、湖東流紋岩礫を含む礫層という点で特にここに記した。


ソノハ礫層
 奈良市東部地獄谷層群の上に乗り、三笠安山岩(1300万年前)の下にある、中―大礫大の溶結凝灰岩円礫を含
む礫層である(粉川、1954)。京都府内では木津町上梅谷の南から加茂町西小西方へかけての丘陵をつくってい
る礫層がこれである。二上層群上部の原川累層中に挟まれる厚さ5−10mの礫層がこれに対比される。この時期
に琵琶湖付近の山地からの川は奈良付近から二上山の方へ流路をとっていた。西南日本が時計回りに約50度回転
した直後と考えられている。ただし、前記室生火山岩と二上層群との年代についてはなおいろいろなデータが出
されているので、原川累層中の礫層はソノハ礫層でなく小長尾礫層であるということも考慮する必要がある。ど
ちらにしても中新世中期である。


図3 クリックして拡大 クリックして拡大
図3 京都府内の中新統層序(クリックすると拡大します)
(日本の地質6,1987;Nakajima,1992などを参考にした)
大福礫層・木屋峠礫層・観音寺礫層・信楽礫層・北又礫層
 湖東流紋岩礫を含む古山城川(飯田、1980)の礫層で、大津市関津から南へ宇治田原町大福・和束町犬打峠・
小屋峠(木屋峠礫層)を経て、加茂町と木津町にまたがる観音寺礫層へ連なる。また東方の信楽(信楽礫層)と
上野盆地(北又礫層)にもあり、古山城川はあるときは大福から信楽へ、あるときは和束町から笠置町を経て、
南山城大字田山周辺に広がった。北又礫層は三重県島ヶ原や上野市に広がる古琵琶湖層群下部の伊賀粘土層の上
にのり、甲賀累層に覆われている(横田他、1978;石田、1983)。またあるときは加茂町・木津町境界の観音寺
峠付近から二上山北麓の屯鶴峰へと流路をとった。その時代は古琵琶湖層群下部の信楽礫層が約300万年前という
ことで、鮮新世の琵琶湖付近の山地からの最後の河川のようすを示している。この時、泉南には大阪層群最下部
層が堆積していた。河村(1993)は観音寺礫層を木津町・加茂町を含む奈良丘陵の大阪層の基底礫層としている。
大福礫層は南山城村に広がる古琵琶湖層群下部、泉南の大阪層群最下部層に連なるものであるが、ここでは大阪
層群に含めないでおく。


須知層
 丹波自然運動公園付近にある、淘汰の良くない固結礫岩で、野外研究の経験からだけであるが、第三紀層と判
断される(井本他,1991)。丹波山地中の盆地は第四紀更新世中期の断層ブロック運動でできたと考えられるが、
それ以前の地表のようすを示すものである。
 新第三紀鮮新世から第四紀にかけての堆積物については、大阪層群・古琵琶湖層群が詳しい情報を示す。京都
府内の丹波・丹後地域については、それらのようなながい時代にわたって積み重なった地層がないため、また礫
層が多く情報が限られているため、詳しい年代がわからないことが多い。例えば由良川流域の日藤礫層、三日市
礫層、在田礫層などが詳しい年代の情報がない地層である。それらのうち日藤礫層は80m高度の尾根にあり、福
知山盆地形成前の瀬戸内海へ南流していた古由良川支流の堆積物ということは理解できる。しかしその年代につ
いては、盆地形成直前のものか、はるか前のものか不明である。また福知山の土師層は盆地形成により堆積した
福知山層の下にあり、日藤礫層と同一時代のものであるかどうかは、盆地形成以前の地形を知る上で貴重である。
三日市礫層、在田礫層は共に由良川右岸にあるが、段丘地形をつくらず、風化の進んだ礫層である。福知山盆地
形成前の古由良川支流の堆積物と考えられるが、日藤礫層は高所にあるのに対してこれらは川沿いの丘陵にある。
これらの時代の詳細はなお研究課題である。


図4 クリックして拡大 クリックして拡大
図4.京都府内の鮮新統層序(クリックすると拡大します)
大阪層群、新第三紀鮮新世・更新世前―中期
 大阪・奈良・京都・播磨盆地に堆積した鮮新・更新統で、盆地周辺の丘陵で見ることができる。大阪盆地南部、
すなわち和泉山脈から淡路島の諭鶴羽山地の北麓丘陵にその最下部の地層が厚くあり、次いで基盤地質構造帯の
領家帯の地域に広がる。市原(1999)は大阪層群最下部を福田火山灰以下としている。大阪層群は河川・湖沼の
堆積物に途中から12層以上の大阪湾が拡大したときの海成粘土層(内湾堆積物)を挟む。それらは下位から番号
をつけてMa1,2,3という。海成粘土層は露頭で見て何番かはわからない。すなわちMarker bedである。大阪
層群には多くの火山灰の薄層が挟まれていて鍵層になる。火山灰層と海成粘土層との組み合わせによって、正確
で詳細な層序、層準を知ることができる。海成粘土層は大阪湾に海進があった時の堆積物で、河川・湖沼層のと
きはそれらが紀伊水道北部の河口で海にそそいでいた。前者は海面上昇期、温暖期、間氷期で、後者は海面下降
期、寒冷期、氷期に当る。一方、深海底コア中の微化石の酸素同位体比は氷期に大きく、間氷期に小さい。酸素
同位体比曲線の大小のピークには新しい方から酸素同位体期1,2,3と番号がつけられた。その1は後氷期、
縄文海進に当たり、奇数番号が間氷期、偶数が氷期を示す。
図5 クリックして拡大 クリックして拡大
図5 大阪層群と深海底酸素同位体期(吉川・三田村,1999)と京都府内の大阪層群.(クリックすると拡大します)
*京都府内の大阪層群を丘陵名でその層準を示す。.
 そこで、大阪層群の海成粘土層と深海底酸素同位体期との対比ができる(図5,6参照)。その場合、地磁気極
性編年と浮遊性微化石・ナンノ化石の出現(First Appearance)・絶滅(Last Occurrence)時期が対比に基準
を与える。ブリュンヌ/松山境界(78万年前)はMa4の下底で、ナンノ化石のPseudoemiliania lacunosa L.O.
(18O Stage12, 44万年前)とEmiliania huxleyi F.A.(18O Stage8, 27万年前)とが大阪湾底のボーリング
コアでわかった(中世古編,1984)。ただし、それらは海成粘土層中にあるので、前者は氷期に大洋で絶滅する前
の間氷期である18O Stage13、後者は氷期に大洋で出現した次の間氷期である18O Stage7ということができる。
これらを基準として、花粉帯、とくにアカガシ花粉多産帯(Furutani,1989;Miyoshi et al.,1999)と酸素同位体
期とを対比することができた。それは琵琶湖底堆積物の火山灰層序(横山、1986;横山・西田、1987;吉川・井内、
1991)と酸素同位体期との対比を可能にし、大阪湾地域のボーリングコアの大阪層群最上部の火山灰層準(Ogura 
etal.,1992;吉川他、1993, 宮川他、1996)についても年代が確かになった。阿蘇1火山灰(町田・新井、1992)
は酸素同位体期8ではなく、7.4に対比される。そして大型植物化石群の時代についても、断層ブロック運動・満池
谷不整合(藤田、1990)が酸素同位体期12にあったこと(石田、2000)と関連して、アデク層(Miki etal.,1957;
高谷・市原、1961)、ラリックス層(Miki,1941)は、各々酸素同位体期9と10に対比される可能性が高い。この
ように従来の野外研究結果と一致しない点が出てきた。言いかえれば、従来の野外研究結果と深海底酸素同位体期
との対比に困難があった。そこで新しい対比(吉川・三田村、1999)に基づいて、矛盾点の再調査が必要となった。
図6 クリックして拡大 クリックして拡大
図6 京都府内の第四紀中期以後の岩石・地層と大阪層群、酸素同位体期.(クリックすると拡大します)
京都府内の大阪層群
 京都盆地と山城盆地という語の定義が問題にされることがある。京都府内の大阪層群はその最下部層が南部地
域の山城中部・相楽地域にある。西側のものは京田辺市の甘南備山周辺から南の田辺丘陵と、精華町と木津町西
部の平城丘陵である。三田村(1992)は八幡丘陵まで含めて京阪奈丘陵と呼んだが、ここでは彼のいう平城丘陵
を狭義に京阪奈丘陵と呼ぶ。東側のものは宇治・城陽丘陵と奈良市北部から木津町・加茂町を含む奈良丘陵であ
る(河村、1993)。
 田辺丘陵の普賢寺火山灰層(横山編、1978)、城陽丘陵の鴨谷火山灰層(市原編著,1993)が岸和田市の福田火
山灰層で、175万年前に飛騨山脈(北アルプス)の穂高岳付近から噴出した火山灰で、西は淡路島や明石の北まで
降下火山灰の上に流れ下った層も乗っているという(Yoshikawa et al.,1995;長橋他,2000)。これは草津市の
琵琶湖博物館の場所のボーリングでも860mの深さにあり、現在の琵琶湖南部地域が175万年前には、深い湖ではな
かったが広大な平地・河川・湖沼地域であったことを示す。その広大な平地・河川・湖沼地域は琵琶湖南部から
幅20km〜30kmで南西方に延び、大阪付近からは幅40kmで西方へ延びる。この低地は現在南北性山地によって分断
されているが、当時は南北性山地がなかったと考えられる。琵琶湖と京都・奈良の間の音羽山・醍醐山山地、笠
取・喜撰山山地がなかったと考えることは難しいが、そう考えてみよう。これらは丹波層群からなる山地であり、
東側の南北の谷は大福礫層(古山城川)沿いに大阪層群最下部があり、郷ノ口から西へ山城盆地に出るように見
える。しかしこれは現在の地形であり、当時は山城盆地という南北性の凹みはなかったのである。鴨谷火山灰層
を挟む砂泥層の上の城陽礫層も、現地形は山城盆地に開いた扇状地のように見えるが、当時はまだ山城盆地がな
く、城陽礫層は西方の田辺丘陵の大住礫層に連なる川砂利である。現木津川沿いの山城盆地が新しい凹みで、音
羽山・醍醐山山地、笠取・喜撰山山地が当時低平な土地であったことは、横谷となっている瀬田川が先行川であ
ることを考えると理解できる。福田火山灰層の堆積様式と関連して、これら南北性山地の問題がなお研究課題で
ある。
 大阪層群最下部の堆積盆地は前記したように八幡から宇治を連ねる線より南と考えられるが、近年行なわれた
京都盆地の地下構造に関する調査(京都市,2000)によれば、山崎から桃山南に連なる線、宇治川まで北上する
かもしれない。この大阪層群最下部分布域には現在Ma2までの地層が丘陵に見られる。ただ、男山と京田辺市間
の八幡丘陵はMa1からMa8までがあり、京都府内の大阪層群では千里山・枚方から連なる大阪層群上部が発達し
た場所である。宇治から醍醐へかけての丘陵には数層の海成粘土層があるが、番号はわかっていない。
 前記した山崎から桃山南を連ねる線より北が、Ma1付近の層準からMa6あるいはMa7まで大阪層群が丘陵をつく
る、狭義の京都盆地といえよう。ただし、西山山麓にはMa1があり、その下位のイエロー火山灰(Ma0層準)も
あるのに対し、盆地東方の深草ではMa1層準は厚い淡水性粘土で、Ma2も淡水性粘土層に厚さ20cmの海成粘土を
挟むのみである。このように京都盆地は大阪層群最下部の時代は丹波層群の山地(平原?)であったが、Ma1の
大阪湾が侵入するころから堆積の場になった。しかしながら、深草の海成粘土層を挟む砂層は花崗岩質であるこ
とは、その供給源が問題である。
 南北性の山地はやはりまだなかったと考えられる。それは深草の海成粘土層は西傾斜で、東へは基盤山地より
高くへ上がり、山科西部の海成粘土層は東傾斜で、西へは基盤山地より高くへ上がる。すなわち稲荷山はなかっ
たと考えられる。だが音羽山地域は琵琶湖への大阪湾の侵入を防ぐバリアとして存在したはずである。因みに、
琵琶湖から湖西の丘陸には、ピンク火山灰より上の河川・湖沼成堆積物がある。その上部は西からの砂礫層が優
勢で、大阪層群の最上部層より下位の層準で、すでに比良山系の上昇があったことを示す。大阪層群堆積盆との
構造運動の違いを示すものであろうか。
 精華町下狛の傾斜不整合の項で説明するが、現在の南北性山地はMa8堆積後の断層ブロック運動でできたと考
えられている。それまでの大阪層群下部から上部が堆積した時代は基盤褶曲で緩やかに波打っていたとされる。
その基盤褶曲がどのようなものであったかは、京都盆地の地下構造に関する調査(京都市,2000)で一部が明ら
かになった。それは京都盆地地下はMa1より前から深く沈降し、Ma9まで連続して厚く堆積したと考えられてい
た(石田,1995)が、京都市の地下構造に関する調査によれば、洛西ニュータウンから深草までの東西断面では、
西山山麓丘陵と同程度の大阪層群が水平に堆積していること、東部では100m前後の小山が並び、その谷間ではMa3
以上の地層が地表まで223m厚さしかなかった。しかもMa3からMa6までの厚さは100mで、東西丘陵での地層の厚
さとさしてかわらない。これはMa8堆積後の断層ブロック運動以後京都盆地が沈降したことを示し、それ以前は
東山はなくて南北性の基盤褶曲もここでは見られないということができる。石田(1995)は深草鞍ヶ谷のMa6が
厚さ10mから東へ1mに薄くなることを記載しているが、それは鞍ヶ谷礫層(深草団研グループ,1962;桃山礫層、
鳥居,1948)がMa6を削って不整合にのっているという観察が正しいことを示す。
 基盤褶曲は領家帯で見られるもので、丹波帯の基盤岩は褶曲せず破砕されるという。先に山城盆地の大阪層群
最下部分布域には現在Ma2までの地層が丘陵に見られると書いたが、Ma3は大和川支流の磯岐郡川西町吐田のボ
ーリングで深度25〜28.3mにのみ見つかっている。これはMa2海進のあと生駒山地が基盤褶曲で隆起して、Ma3
海進を斑鳩水道から奈良盆地中央の狭い範囲に制限したということができる。一方京都盆地への水路は、当時男
山も天王山もなく、かなり幅広かったと考えられる。
 丹波帯の基盤岩は褶曲せず破砕されると述べた。しかし京都盆地では基盤褶曲はよくわからなかったが、断層
ブロック運動で南北性の山地、東山や音羽山・醍醐山山地、笠取・喜撰山山地ができたと言わねばならない。丹
波帯の基盤岩の下、深くに花崗岩類があることにより、北部の丹波山地とは異なって、丹波帯と領家帯との中間
の挙動を示したのだろうか。古琵琶湖層群堆積盆との関連も考慮しなければならない。


大阪層群最上部、満池谷層、Ma9―Ma11、酸素同位体期11〜7
 Ma9―Mallを大阪層群最上部という。かつて満池谷不整合があるかどうか議論があって、満池谷層が大阪層群
の一員かどうかも議論があった。Ma8以下は断層沿いに直立しているところがあるが、Ma9以上の地層は水平層
であることと、精華町下狛や先に述べた深草鞍ヶ谷のMa6を削る傾斜不整合の観察から、Ma8の堆積後に断層ブ
ロック運動(藤田,1990)で大阪層群が引きずられて傾斜し、侵食されて、Ma9以上の地層が堆積したと理解で
きる。Ma12は中位段丘堆積物であり、Ma11までが上にかさなって堆積した。そこでこれを高位段丘堆積物という
人がいる。しかし堆積面は保存されていない。大阪湾地域のボーリングではこれらは、酸素同位体期11〜7に相
当する。Ma8堆積後、すなわち酸素同位体期12(石田,2000)に生じた断層ブロック運動により現在の盆地がで
きて沈降が進み、一方山地は上昇を続けた。
 京都市南区上鳥羽鉾立町でのボーリング(京都市,2000)では、Ma6は120m以下にあり、それより浅い部分で
海成粘土層を認めたのは、深度65m前後にある一層だけである。これはMa10、アカガシ層である可能性が大である。
花粉分析の結果が期待される。
 丹波帯の山間盆地堆積物は殆ど大阪層群最上部相当層と考えられる。各盆地で地名を冠して地層名がつけられ
た。福知山層、梅迫層、八田層、和知層、胡麻層、実施層、園部層、篠層などであり、丹後の溝谷層、層もその
可能性がある。これらの地層で、時代を示すデータがあるのは福知山層である。それに挟まれるアオカズラ層が
酸素同位体期9に対比される。館泥炭層は福知山層内での詳しい層準は不明であるが、酸素同位体期10の氷期に
あたる可能性がある。亀岡北東の神吉盆地のボーリングでは大阪層群最上部相当層が明らかにされ、アカガシ層
が確かめられた(植村他,1999)。
 夜久野台地付近の溶岩と地層も大阪層群最上部の時代のものである。水坂層は夜久野玄武岩類より前の堆積物
であるという見解があったが、そう理解することは困難である(夜久野玄武岩類、水坂層の項参照)。田倉山は
これらと違って新しい火山噴火の産物で、田倉山スコリア丘層は最終氷期に下刻された谷を埋めて流れた溶岩
(兵庫県和田山町の石部神社上流と白井水源の溶岩)をも覆っているので、2万年前より後で、1万年前頃の噴
火と推測している。


第四紀更新世後期、中位段丘、低位段丘、扇状地、酸素同位体期5〜2
 約13万年前以降、1万年前までを第四紀更新世後期といい、最終間氷期から最終氷期までにあたる。最終間氷
期は酸素同位体期5で、温暖の三つのピークを新しい方から5.1,5.3,5.5という。海岸段丘の中位段丘認定には
従来の野外研究で殆ど誤りはなかった。しかし、中位段丘群内の詳しいことについては問題になったことがある。
それは酸素同位体期5の三つのピークとの対比で解決した。すなわち、酸素同位体期5.5が中位段丘群の最高位に
あって最も広い平坦面をもち、海岸に面した段丘崖に見られるものは5.1ではないかと検討する必要が生じた。
京都府下では河岸段丘のこれらの検討はなおこれからの研究課題である。
 最終氷期の海面降下期に勾配を増した河川が礫を運搬し、後氷期の海面上昇に伴って勾配を減じた河川はその
礫層を下刻して、河谷沿いに低位段丘をつくり、平野に出たところに扇状地をつくる。扇状地の末端は海面上昇
に伴って礫層を埋積した'沖積層'(後氷期海進による海成粘土層)と交差する。また後背湿地には泥炭層が堆積
した。広域テフラの姶良丹沢(AT)火山灰(平安神宮火山灰)が挟まれるところでは25000年前の時間面を知る
ことができる。また木材などの14C年代も測定できて、詳しい年代がわかる。植物化石による過去の植生、気候
の復元についての従来の研究は、最終氷期以降については年代の誤りはないが、最終間氷期のデータについては
訂正しなければならないものが多く見受けられる。
 京都府内では、黒部貝層が中位段丘、天川泥炭層が低位段丘、大ふけ湿原・八丁平・深泥ヶ池などでは最終氷
期から現在までの泥質堆積物が知られている。


第四紀完新世、後氷期、沖積層
 海岸平野の地下には縄文海進の海成粘土層があり、京都府内でも宮津市や舞鶴市のボーリングで知られている。
内陸部では後背湿地・池沼がひろがって、横大路沼や巨椋池のように粘土層が堆積した。扇状地や台地上にはク
ロボク層が乗っている。これらの層には広域テフラであるアカホヤ(Ah)火山灰(横大路火山灰)が挟まれてい
て、6300年前の時間面が得られるのは層序学的に貴重である。丹後の海岸は中小河川から流出した土砂が沿岸流
で運ばれ、各所に砂浜をつくり、砂丘も見られる。世屋川・畑川は海岸に扇状地性三角州をつくったが、沿岸流
で運ばれた砂礫が天橋立(湾央砂州)をつくった。舞鶴湾は沈水地形をしているが、中小河川が谷を埋積して海
岸平野(東・西舞鶴)をつくっている。
 これらに対し、丹波高地を縦断する大河川である由良川は、海岸に比較的小規模の砂浜と砂丘を形成した。こ
れは丹波山間盆地が45万年前に北東ー南西・北西−南東方向の共役断層で形成され、それらの盆地に砂礫を埋積
して溢れた濁流が盆地間の基盤岩を下刻した。河川の規模が大きい割りに河口に流出する土砂の量が比較的小規
模といえよう。由良川が福地山盆地から北へ日本海へ流出したのは酸素同位体期7より後のことであるという点
も、広い海岸平野をつくらなかったことと関係するであろう。最終氷期に100m以上海面降下したときのリアス式
海岸の谷を埋め立てて海岸平野をつくるには、大河川からの大量の土砂の供給が必要なのである。


地質構造、活断層
 地質構造はマントル対流、プリュームによるプレートの対応によるといわれている。京都府域は新生代古第三
紀漸新世には大陸縁辺にあり、東アフリカのリフトバレー東方のような位置にあった。新第三紀中新世中期に西
南日本は時計廻りに約50度回転したので、それ以前の地層・岩石の残留磁気の磁北は約50度北から東に振れてい
る。
 活断層は先に述べたように、近畿地方では酸素同位体期12、約45万年前の断層ブロック運動に始まると考えら
れるが、もっと古くからのものもあるようである。それは南北圧縮の場と東西圧縮の場の、時間と場所と基盤岩
の性質との関係からくるらしい。京都府内の盆地は断層によってできたもので、川による浸食でできた谷とは異
なる。勿論断層による弱線にできた谷もあるが。山地と盆地の境には全て断層があると考えられる。
 活断層の露頭観察で水平移動量を知ることはむずかしいが、京都盆地で観察された断層の露頭では、二つのタ
イプがある。その1は、長岡京市の長法寺断層のように、大阪層群上部層中に見られる逆断層である。断層の上
盤は地層が直立し、下盤は水平に近い構造である。断層から基盤岩までの距離は100m近くあり、基盤岩と大阪層
群との境は観察できていない。基盤岩との境が断層であるなら、大阪層群の構造から垂直の断層面をもつと推測
した。しかし地下深部で断層面がどうなるのか問題である。京都市左京区上終町の衝上断層は表層の土壌のずれ
が観察されたが、その下は大阪層群中の逆断層である。ここでは基盤岩まで数十メートルであるが、やはりそれ
らの境を観察していない。基盤岩近くの大阪層群は直立し、基盤岩の上の大阪層群は盆地側に傾斜している。
 その2のタイプは、基盤岩が大阪層群に衝上しているものである。長岡京市の奥海印寺断層は基盤岩が緩傾斜
の大阪層群に低角で衝上している。京都市左京区一乗寺(松下,1961)のものも同様である。京都市山科区の蹴
上浄水場では直立した大阪層群に基盤岩がのし上がっている(地学団体研究会編,1976)。しかし、九条山では
断層下盤の大阪層群は水平にみえた。走向方向ではあるが、見かけの傾斜を見ているとは思われない。
 長岡京市、京都市左京区のこれら2タイプの断層は、各々同一の断層の部分を見ているかもしれない。前者は
酸素同位体期12、約45万年前の断層ブロック運動でできた後の活動は観察されなかったが、後者は縄文後期の黒
土層を切っている活断層で、京都の歴史時代の地震との対応がつかないか注目された。活断層は地震との関係で
何処を通るか、何時動くかと注目されているが、地震の被害は地震動や断層の動きだけでなく、地層と地形とも
関係するし、後背地の地すべりや崖崩れは地震動に劣らず怖いことに注意しなければならない。


あとがき
 先に述べた古地磁気学研究は、京都大学理学部地質学鉱物学教室とその卒業生によって推進された。しかしなが
ら、京都府内の試料については殆どデータがない。学術研究は必要な試料を地球のどこにでも求める。丹後の岩石
は採集されたが、そのときの技術では学術的に保証できるデータが得られず、技術・装置の進歩で信頼できるデー
タが得られるようになってからは、その場所を研究対象にされなかったということだろう。西南日本回転の詳細を
知るには、丹後のデータが必要であることは、与謝植物化石群の項で理解できると思う。また地域地質研究は各大
学の地質学関係教室の卒業研究と工業技術院地質調査所の図幅調査によりなされてきた。国土調査法に基づく「土
地分類基本調査」は前者の指導教官の知識によりまとめられている。京都府下も地質学徒の観察していない露頭は
ないといってよいと思われるが、全てのポイントの観察記録がデータとして見られるわけではない。
 地域のデータが一応得られたことと学問の進歩とにより、卒論研究でも地域の一般地質学的研究が少なくなった。
専門的研究では再研究が必要となり、改めて同じ露頭を対象にしなければならないことがでてきた。その点で地域
地質研究の基礎には、その地域に住む教職関係の地質学徒の貢献がこれまで以上に大きくなることが考えられる。
京都府内の高校地学教師の京都地学教育研究会は研修・教育に力を入れ、1969以来「京都地学」を発行し、「地学
実習帳」を編集してきた。
 京都では昭和7年に益富壽之助を代表とする、日本礦物趣味の會が結成された。礦物、岩石、化石等に趣味ある
人たちの組織で、日本全国の帝國大学教授の多くも会員になった。宮津高女の松本ヨネ教諭はこの会員になり、世
屋村木子の植物化石を採集して、同会会員の北大の大石三郎教授に同定を依頼し、その成果を「我等の鉱物」に発
表した。このようにこの会は地学研究と普及に貢献し、昭和48年日本地学研究会と名を改めて現在も多くの同好者
が活躍している。
                                  

執筆者 石田 志朗

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