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社会で活躍するひとからのメッセージ2 くばなつこさん(えがおのいっぽ 音声読み上げ)

 

くばなつこさん(30歳)

  • 京都市出身
  • メゾソプラノ・作曲・声楽家
  • ソロ活動の他、アンサンブルや合唱にも積極的に参加
  • 京都市立芸術大学卒業

 

「社会に「盲社会(視覚障害者だけの社会)」はありません」と話される、くばなつこさん。現在声楽家として活躍されており、子どもの頃の話を楽しくお話していただきました。

 

障害の状況

生まれたときから全盲、祖母がガラガラを目で追わないことに気づき、病院を受診すると「もうまくへんせいしょう」と診断されました。病状に変化はなく1歳から2歳頃から眼科受診していません。

 

地域校での生活

私は、小学校から小規模な地域校で過ごしてきました。

地域校では容赦なく授業が進みますが、わかりやすく工夫された教材を使用していたため授業について行けないということはありませんでした。自然と点字を読むスピードは速くなったのではないかと思います。

私の時はかはいの先生もなく、運動場から一人で教室へ戻れず困っている私を上級生が誘導してくれたり、板書を読み上げず消そうとする先生に「先生、黒板読むの忘れてるで」と言ってくれたり、みんなが学校生活のいろいろな場面で、私を助けてくれました。

社会に「盲社会(視覚障害者だけの社会)」はありません。私にとって、地域校で過ごして得た多くの経験が、社会人となった今、活かされていると思います。

 

音楽をはじめたきっかけから現在まで

私の実家は、ライブハウス(ジャズやロック系)を経営しており、音楽を聴く環境で育ちました。幼少時に特別な音楽教育はありませんでしたが、自然に音を認識していたようです。親もハンドベルを「ミ」「ファ」と言いながら鳴らしている私を見て、音をわかっているんだなと思っていたそうです。

自宅にあったキーボードを幼稚園年少頃から遊びで弾いていました。年長になって、近所の友達のお母さんにエレクトーンを習い始めました。その後自宅に母親のピアノがあったこともあり、小学校に上がった頃から自然にピアノを習いに行っていました。

小学5年生から京都市少年合唱団に入り、クラッシックに触れ、音楽を面白いと思いました。その後、声楽に興味を持ち、高校は京都市立音楽高等学校(現京都市立堀川音楽高等学校)声楽専攻へ進学しました。更に作曲にも興味を持ち、学外で作曲の個人レッスンも受けていました。

その後、京都市立芸術大学音楽学部で声楽を専攻し、現在は自身で歌曲を演奏するステージと自作の曲を友人達に初演してもらうステージを組み合わせたリサイタルや、大学時代の友人達との声楽アンサンブル活動などを行っています。

 

苦労したこと

音楽高校受験前、中学3年の時に発売されたブレイルノート(直接入力ができ、ピンディスプレイに打った点字が表示されるもの)。それまでは、タイプライター式のパーキンスだったので、間違えると一からやり直しになりました。そこで、音楽高校にブレイルノートを受験時使用したいと交渉したところ、最初は内部にメモリー機能があるから使用できないと言われましたが、メーカーからメモリーがからの機械を入試用として貸していただき、ブレルノートを使用して「聴音(その場で聴いた旋律をその場で楽譜に書き示す)」を受験することが出来ました。もし、ブレイルノートを使用する許可がおりなければ、タイプライター式のパーキンスで楽譜を書くことになり、間違えると一から書き直さねばならなかったのですが、ブレイルノートを使用できたことにより、ようやく鉛筆と消しゴムを使うのとほぼ変わらない条件になったと思います。

それから、点字楽譜の壁(不便、難しさ)がありました。点字楽譜は五線譜とまったく異なるもので、音符や強弱などを全て記号に置き換えて表します。ピアノの楽譜は特に読みにくく、中学頃までは、先生が弾いてくださった曲を録音し、持ち帰り練習していました。音楽高校への入学を決め、それまでなんとなくしか読めなかった点字楽譜をしっかり勉強しなくてはと考え、CDを聴きながらその曲の点字楽譜を見て、音と楽譜を照らし合わせながら勉強しました。

 

学校でのサポートについて

京都市では、先人の方が教育委員会と交渉してくださったことにより、中学から点訳の先生が配属されているため、良い環境で勉強をすることができました。音楽高校では、一般教科の点訳の先生と、点字楽譜を点訳する非常勤の先生が配属されました。私は偶然よい環境で学ぶ事ができましたが、今もなお、まだまだ地域格差がある面も多いと感じます。どんなことができて、どんなサポートが必要なのかしっかり理解していただけることが重要であると思います。

 

今後の活動についてと読者へのメッセージ

私は親から「ピアノを練習しなさい」と言われたことはありません。また、小学校の時の教材を点訳してくれたのは母親でしたし、レッスンの送迎や交渉をしてくれました。親として心配なことはたくさんあったと思いますが、私に好きなことをさせてくれました。また、地域校で生活したことにより、縦や横の人とのつながりを経験することもできました。皆さんも、子どもさんのいろいろなことを最初から決めつけず、できるだけ選択肢を広げてあげてください。

私は声楽家として、歌詞(言葉)の世界・自分が感じた音楽の世界観を表現したいと考えています。これらももっと人生経験を積んで、曲の背景にある文化や歴史の知識を深め、想像する力を身につけ、もっと音楽表現の幅を広げていきたいです。

お問い合わせ

健康福祉部家庭・青少年支援課 家庭支援総合センター

京都市東山区清水四丁目185-1

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