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若杉家日記
「若杉家日記」 若杉家文書
公家の土御門家(つちみかどけ)の家司(家の事務をする人)である若杉氏が、元治元年6月5日の池田屋事件の顛末(てんまつ)について簡潔に記した日記です。 
大体の意味は、「何か大変なことが起きたということで、会津藩や壬生浪士ほか多人数が刀や槍を持って警護している。水戸や長州の浪士が京都にやってきて乱暴をするような噂があったので、壬生浪士が乱暴者を召し捕り、多くのけが人が出たということだ。」と、いうことです。
池田屋事件については、多くの人々の興味を引いたのでしょう。センセーショナルなだけに様々な風聞が飛び誤情報も多く出回ったようですが、これは事件直後の見聞そのままなのか、粉飾がなく逆に臨場感が感じられます。
<解読文>(関係箇所解読文)
    六月五日
一 市中何歟大変之事御座候ニ付、会津藩壬生浪士所司代
  藩加州藩多人数抜身鎗抜身刀等ニ而固之様子、風聞ニ者水戸浪士
  或者長州浪士等と申候事ニ而、京都へ入込乱謀いたし候趣承ル、
  右ニ付壬生浪士乱謀もの召取相成、アレコレト怪我人者、多分御座候也