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鴨川真発見記 平成25年7月

 第98号 早めの梅雨明けで本格的な夏到来

鴨川も人々のクールダウンのお手伝い

 例年よりも10日以上も早く梅雨明けを迎えた日本列島です。鴨川にも強い日差しが降り注ぎ“猛暑”いや“酷暑”の様相です。

 今回は、そんな暑さで火照った体をクールダウンする人々をご紹介しましよう。

<強い日差しを受ける三条大橋~四条大橋間は人の姿もまばらです>

 足を冷やすと「クールダウン」に効果的とよく耳にします。下鴨神社の御手洗祭りも“ひんやり”した地下水に足を浸して「クールダウン」しながらお参りするお祭りです。

 そんな下鴨神社の傍を流れる「鴨川」の水も熱中症予防に一役かっているようです。

 クールダウンスポットは、鴨川の“みそそぎ川”や“飛び石”の様に水辺に座って足を冷やすパターンや、鴨川の中の水深の浅い場所に入って水遊びをして楽しみながら冷やすパターンがあります。

 色んな場所の様子を見てみましょう。

 まずは、“みそそぎ川”です。早い時間から陰が出来る場所では、学校帰りの女子高校生や若い女性が川に足を浸けて涼む姿を見受けます。

<日陰で“みそそぎ川”に足を浸します 四条大橋上流>

<帰宅途中の女子高生も涼みながらのおしゃべりです 四条大橋上流>

<とても気持ちよさそうです 四条大橋上流>

 そして一番多いのが飛び石に座って涼む人びとです。「若いカップル」「親子連れ」「楽器を持った若者」「海外からの客様」「子供達」とあらゆる方が飛び石に腰を下ろして涼んでいます。

<ギターを持って川の中へ 二条大橋上流>

<子供達は水着に着替えて遊びます 出町>

 飛び石が互い違いに配置されている出町では、まだ2・3歳の幼い子供がお父さんに見守られながら“ちょこん”と川の中に浸かっています。行水用のプール代わりでしょうか。

<飛び石に囲まれた所で幼い子供が行水です 出町>

 カップルが川の中を楽しげに歩いて行く姿が見えます。その横のチドリの飛び石では外国からのお客様も鴨川の“涼”を楽しんでいます。

<大の字に横たわる金髪の女性>

 川の中で遊んでいる人も多く、中でも網を持って何かを採取する子供をよく見かけます。都市河川でありながらこの風景は貴重です。

<水を掛けられても“はしゃぐ”若者 北大路橋下流>

<保護者に見守られながらの生き物採取 北大路橋上流>

<川の中に入った後は噴水で足を洗ってお帰りです 出町>

 鴨川に入って涼む以外にも橋の下のひんやりした場所で涼む人も多く、中には寝ている人も目にします。

<散歩の途中チョット一服冷たいものでも 三条大橋下>

<冷たい石の上で気持ち良さそうにお休みです 四条大橋下>

 昼間は灼熱の三条大橋から四条大橋間も、太陽が落ちると涼しい川風が吹き抜けて夕涼みに最適です。納涼床の灯りがともるころには、次々とカップルが腰を下ろしていきます。

 空いているスペースの真ん中辺りを選んで護岸の肩にとまります。こうしていつの頃からか「鴨川等間隔の法則」と呼ばれるようになった「等間隔」の風景が出来上がっていきます。

<ポツリポツリと人が集まってきます 御池三条間>

<日が傾いて鴨川はすっかり陰で覆われました 三条大橋下流>

<等間隔が形成されはじめました 四条大橋上流>

 出町の飛び石では、街灯の灯りが光って来てもその賑わいは続いています。高野川と鴨川が合流するこの区間は、広々とした空間が広がり、両方の川を吹き抜ける風が心地よいのでしょう。

<夜の闇に包まれるまで 川の中で涼みます>

 そんな、暑い鴨川でまたまた「鴨川を好きになったカモ?」が出現です。

 鴨川真発見記第95号でご紹介しました、渡り鳥でこの季節は日本にいないはずの「ヨシガモ」の居残りに続いての出現です。

 今度は、同じく渡り鳥の「オナガガモ」です。秋から春にかけてその長い尾尻を垂直に上げて「シンクロナイズドスイミング」を見せてくれたこのカモが、「ヨシガモ」同様にオスの一羽のみが鴨川に居残っています。

 日本野野鳥の会京都支部の方も「おかしいですね~」と首をひねっておられます。どうして一羽だけ?どうしてオスだけ?そんなに鴨川が好きになったのか、それとも集団生活に嫌気がさしたのでしょうか。

 この暑さを耐えることが出来るということは、そのまま居残る可能性もあります。これからも観察を続けます。   

<一番手前がオナガガモ 三条大橋下流 7月6日>

<一番左がオナガガモ 二条大橋上流 7月10日>

 鴨川を好きになったカモ?で一緒にご紹介しました「しか」も高野川に足を浸しながら美味しそうに草を食べています。「しか」もクールダウンしているのでしょうか。心なしか涼しげです。

 

平成25年7月12日 (京都土木事務所Y)

 

<これだけ何度も出会うと珍しくなくなります>

川の中からこちらを見上げる鹿

 

 第99号 樹木のプロフェッショナルの目を通して真発見

京都府立植物園名誉園長をも“うならせる”鴨川の植生

 これまで「鴨川真発見記」では、鴨川の樹木「とりわけ」加茂街道沿いの高木については、紅葉や新緑の観点での御紹介にとどまっていました。

 今回は、鴨川の植生にも詳しい「京都府立植物園」の“名誉園長”であり「京都府立大学」の客員教授でもある「松谷名誉園長」を府立大学に訪ねてお話を伺い、その目をおかりして鴨川を真発見です。

 最初に御紹介するのが、一般的にあまり知られていない市街地の「原生的な林」の話です。鴨川に近い原生林には鴨川周辺の昔の自然植生の姿が一部に残ると考えられます。

 下鴨神社に隣接する「糺ノ森」は下鴨神社とともに世界遺産に登録されています。こちらは超が付くほど有名ですが、もう一箇所「原生的な林」とされている箇所があります。

 それは、同様に鴨川に隣接する府立植物園の中に位置する「半木神社(なからぎじんじゃ)」を囲む小さな森です。これを「半木の森(なからぎのもり)」と呼び、そこは世界遺産グループの上賀茂神社の末社と一体となっていることから、世界遺産グループに入ってもいいのでは・・・。

<植物園内の半木神社を囲む「半木の森」>

 松谷氏のことばをお借りしますと「なからぎの森は、ここ下鴨の地(中賀茂の地)に残された山城盆地の植生をうかがい知ることのできる園内唯一の貴重な自然林」とのことです。また「京都市街の平地林に残り、昔の自然植生の姿をとどめている緑集団として、学術的にも貴重な存在です。」と結ばれました。

 この森については、府立大学の4回生が昨年の卒業生に引き続き卒論の研究で取り組まれるとのことですので、昔の鴨川の植生が見えて来たら御紹介させていただきたいと思います。

 それでは、鴨川の植生について御紹介していきましょう。加茂街道沿いの大きな木については、「人が植えたもの」か、「自然に生えたもの」か松谷氏も、どちらか調べようとされたそうですが、結局判明することは無かったそうです。

<写真中央がアキニレの大木 下のベンチは散歩の途中で涼むのにベスト>

<アキニレの説明>

 学生の卒論研究の中で、昔の絵図や写真で推測するも推測の域は出なかったということです。

 しかしながら、太陽を好み、天高く伸びていくニレ科の高木は川の氾濫と深い関係があるそうです。川が氾濫してそこに生えていた植物が洗い流されたところへ風に乗って飛んできたタネが芽を出しメキメキと育っていく、そんな側面があるそうです。

<見事にそびえています>

 また、エノキやケヤキは昔の絵図などにも街道の目印に植えられていて、コチラは人が植えたものと考えられています。

 このニレ科の大木に囲まれた加茂街道を、私は密かに「パワースポット」として何かの“気”があると考えてきました。

<葵祭の行列も通る加茂街道 まさにパワースポット>

 その話を松谷氏に伝えると「その通り、まさにパワースポット」「下鴨神社、加茂街道、上賀茂神社、そして植物園。これらを巡ってパワーを手に入れよう」としっかり「植物園」の宣伝もいただきました。

 そうなんです。その4つのパワースポットを繋ぐのが鴨川(出町橋~御薗橋)であり、更に“すっぽり”と囲まれているのです。当然鴨川もパワースポットだと私は思っています。

<爽やかな風が吹き抜けます>

<出雲路橋から上流を望む 気持ちのよい空間が広がります>

 次の話題は、加茂街道の「桑の木」のお話です。「桑」といえば、その葉が“蚕”のエサになる植物です。加茂街道の道路沿いにポツンと一本立派な桑の木が生えています。

<松谷氏撮影>

 松谷氏の頭の中は「???????」と「何故」の嵐です。1つだけ「もしや」と考えたのが、「現在の植物園の敷地が絹織物発祥の地」というかすかな可能性でしたが、それも確証無く消えていきました。

<半木神社の説明>

 後は、自然に生えたとしか考えられない「加茂街道の“桑”」。これには全く気づきませんでした。

 この大きな「桑」の木ですが、大きくなりすぎて道路の支障となってしまったようで、道路に飛び出た部分の剪定が施されて様子が変わりました。

 人間の生活に支障が出た場合には、優先されるのは木ではありません。伐採された訳ではありませんので、また成長することでしょう。木の幹からは、緑の葉が出て、「桑の実」も実っていました。

<現在の様子>

<赤く実った「桑の実」>

 自然に生えたと言えば、「鴨川真発見記」でも触れましたが、北大路橋西詰めの「ヤマザクラ」の話となりました。松谷氏が植物園に赴任して数年たった頃(10数年前)から生えはじめて現在の大きさまで育つのを見守ってこられたそうです。

<自然生えで約10年余り ここまで大きくなった“ヤマザクラ”>

 このヤマザクラの近くに位置するお店の入口の上には、ツバメが巣を作って「子育て真っ最中」です。コチラの“ヒナ”も鴨川の恵みを受けて大きく育ってほしいものです。

<大きな口でエサをもらう“ツバメのヒナ”>

 こうした特殊な場所や、ポツンと一本生えている樹木は自然に生えたものが多く、整然と生えているのは人の手によるもののようです。

<高水敷にポツンと生えている“トベラ”>

 そして話は、「葵橋」「出町橋」間右岸の師範桜(ソメイヨシノ)のお話へと続きます。師範桜の由来は京都府師範学校の教員、生徒が植樹したことに由来するそうで。出雲路橋西詰めに設置されている碑の裏面に刻まれています。

 京都市の歴史資料ミュージアムのHPによりますと、内容は

「甲辰の年(明治37年)に日露戦争が勃発し、日本軍は連戦連勝した。そこで桜や楓数千株を賀茂川の堤に植えてその記念とする。あわせて優秀な生徒を育てる教育者を生み出すという本学の熱意もこめるものである。」

とのことです。 

<師範桜の碑>

<青々と葉を茂らせた”ソメイヨシノ”が木陰を作ります>

 ここの桜の生育環境の良いところは

 1つに大きな大型車が通行する道路沿いの桜の様に、支障理由で片側だけが大きく剪定されない。

 従って、四方八方自由に枝を伸ばし”桜本来”の姿を見せている。

 2つに傾斜の有る場所に植えられている。

 従って、平面地に比べて水が滞留しない。更に歩きにくいため、歩行者による根への損傷が少ない。 

 との解説に「なるほど」と納得です。植物園には多くのお客さんが桜のシーズンに桜コーナーを歩かれます。その圧力は根に大きなダメージを与えます。

 そのため“ながーい”シーズンオフには“硬くなった土に空気を入れたり”“肥料をやったり”と毎日樹木の顔色を見ながら、愛情込めて世話をされている栽培担当の職員さん達がおられます。

 この“ひたむき”な作業があってこそ“花開く”約2週間の「お花見シーズン」なのです。

<この短い期間の花を咲かせる為に>

 この桜が師範桜を植樹された当初から変わらず生き続けているのであれば、樹齢120歳を越えることになり、ソメイヨシノの平均的な寿命と言われている80年を大きく上回ることとなるそうです。

<朝日を浴びて 満開>

<朝日に花びら透かされて>

 ここで、松谷氏から教わった豆知識を1つご紹介します。「ヤマザクラ」と「ソメイヨシノ」の見分け方です。葉の茂る今の時期ならでは、一目でわかる見分け方です。葉を裏返して“葉柄”と呼ばれる「枝と葉」を結ぶ部分が「赤っぽい」ならば“ヤマザクラ”「緑」ならば“ソメイヨシノ”だそうです。

 さらに、葉の裏が「白っぽい」ならば“ヤマザクラ”、「緑」ならば“ソメイヨシノ”とのこと。

 桜の葉や幹を見てもわかりませんが、実際に「葉」を裏返してみると、なるほど言われたとおり「赤っぽい」のと「緑」のがありました。

<この「葉」はどっち?>

<葉柄が「赤っぽく」、葉の裏が「白っぽい」。“ヤマザクラ”です>

<では、この「葉」はどっち?>

<葉柄の色、葉の裏の色共に「緑」でした。“ソメイヨシノ”です>

 次に紹介されたのが、そんな立派な桜の横「出町橋」西詰めにそびえる「シダレヤナギ」です。賀茂大橋よりも下流域には「シダレヤナギ」は沢山存在しますが、加茂街道にはこれ一本とのこと。

<立派に葉を茂らせています>

 これが、さほど「大きな木」でなければそうでもないが、とにかく“デカイ”と松谷氏。「鯖街道の碑」を覆うように葉が枝垂れています。鯖街道と何か関係が?と思ってしまいました。

<鯖街道口の碑を覆っています>

<幹の真ん中はもうありません>

<幾重にも重なるように幹が伸びています>

<根本には「カタバミ」が咲いていました>

 そして、最後は自然に生えた「松」のお話を私から松谷氏へ。鴨川真発見記第43号で御紹介しました「河合橋の一本松」です。

<梅雨の晴れ間「青空」をバックに“力強く”>

 ここで、「それは、黒松?赤松?」と尋ねられました。見分け方は、葉をホッペに“ツンツン”として、痛いのが「黒松」。葉が“フニャリ”と曲がるのが「赤松」だそうです。

<ドライバー目線では見えません>

 少々「葉」まで距離があるので、手を伸ばして“ツンツン”としてみましたが、素人の私には判別できませんでした。機会があれば松谷氏に現地で確認していただきましよう。

 通りがかりの御婦人から「大きくなったでしょう。」と声を掛けられました。小さな時期から見守っておられるようで、「見ようと思う人には見えているのだな」と再確認です。

<松葉の先は尖っていましたが・・・>

 今回のお話は「松谷氏」とお話する中で知った「鴨川の“真”」を確認して「なるほど」と私自身が目で見て、写真に切り取って御紹介しました。プロの目を通すと、今まで見えていても「見ていなかった」ことが“まだまだ”あることを再確認しました。

 松谷氏のお話はとても興味深く、まだまだ御紹介したいところではありますが、今回はこの辺で一旦終わらせていただきます。

 「松谷」府立植物園名誉園長&府立大学客員教授との出会いが、今後色んな分野のプロフェッショナルの目を通して真発見する「シリーズ企画」の誕生を予感させてくれました。

 

平成25年6月28日 (京都土木事務所Y)

 

 第100号 通りすがりにちょいと切り撮った生き物たち

その名は“知る”も“知らぬ”も鴨川の仲間です

 鴨川真発見記も開始から1年半を迎え100号を数えました。100号突破記念企画は別に考えようと思いますが、“ネタ切れ”の感もいなめません。そんな中、今回はこれまであまり紹介できなかった生き物たちを中心にご紹介しましょう。

 鴨川を歩いていて、目の前に何か動くものがあると自然とカメラを向ける習慣が身に付いてしまいました。カメラに収まった生き物たちをランダムに紹介します。

 最初は“トンボ”です。“オニヤンマ”を捕まえて糸に繋いで飛ばして遊んだ記憶がよみがえりますが、あまり見たことのないトンボが目に入りました。

<茶色い羽に白っぽいボディー>

 茶色の羽に白っぽい体。「何トンボ?」周りの同僚に聞いても「知らん」の答えしか帰ってきません。ネットで検索してみると、おそらく「ニホンカワトンボ」のようです。この歳(?)になって初めて知ったトンボとなりました。

<カワトンボに違いないとはおもいますが>

<ニホンカワトンボ幼生はメタリック 成熟すると白い粉をまとうボディー>

 逆によく見かけるのが「ハグロトンボ」です。先ほどの「ニホンカワトンボ」は“高野川”の支流“岩倉川”のそのまた支流の“長代川”でしたが、こちらは鴨川本流の北山大橋周辺で見かけました。

<羽が黒いので ハグロトンボ>

 トンボは水環境の「バロメーター」と呼ばれているそうで、“ヤゴ”時代に生息できる環境が壊れると適応出来ないトンボはその地域では絶滅するとのことです。

 私の田舎の近辺は、「ニホンカワトンボ」の生息には適していなかったのでしょう。人間も自分の適応できない環境(仕事を含む)というものがあるのではないでしょうか。どこにでも適応できるマルチな人もおられると思いますが・・・。

 続いては、“カエル”の登場です。文字で表現するのは非常に難しいのですが、個人的には「モオーン モオーン」という重低音が響く“ウシガエル”です。

<何か浮かんでいる>

 “食用ガエル”とも呼ばれ、淡白な肉でモモ肉をから揚げで食したこともありますが、特定外来種として駆除対象です。食料として日本に連れてこられて、今では駆除とは人間のご都合主義の被害者です。そんな話は他にも沢山あります。

<川面から顔出して「ぽかり」と浮かぶ“ウシガエル”>

 外来種とは、“渡り鳥”や“海洋生物”のように自力で日本と外国間を移動できる生物以外の生物のことをいいます。言い換えれば、自力で日本にやって来ることが出来ない生き物です。何かの理由で人間が持ち込んだ生き物です。持ち込んで駆除?おかしな世界ですね。

 そういえば、ブラックバスも持ち込んだのは・・・・・。

 外来種でないカエルといえば、代表は“アマガエル”でしょう。保護色で体の色を“緑”から“グレー”に変えるこのカエルです。鳴き声も“ケロケロ”と愛嬌があります。

<雨がふると一斉に鳴き出す“アマガエル”>

 街中では最近みかけないのがこのカエルです。「トノサマガエル」といっても“殿様”ではありません。なんて似たようなCMがありますが、大きな“ヒキガエル”を押さえてトノサマの称号を得た由来は、敵に遭遇した際にお腹を大きく膨らませ“のけぞる”姿が威張った“トノサマ”のようだということだそうです。そういえば、カエルの親子の話に登場する“牛”は“ウシガエル”の事だったのではと思ってしまいます。

<“トノサマガエル”の模様も「砂地」に「草」の迷彩色です>

 興味ある昆虫以外はわりと厄介もの扱いされる場面が多いと思います。地面に見慣れぬ昆虫がいたので撮影しておきました。ネットで調べるにもキーワードが思いつかないので写真の紹介のみにとどめます。だれかご存知の方は京都土木事務所まで連絡願います。

<ハチ?アブ?>

 続いては、“にょろにょろ”といえば、そう“ヘビ”です。カエルの天敵ですが、意外と目の前に姿を見せることは少ない生き物です。この写真の時以外には、鴨川の水面を泳いでいる姿の2回だけです。人目を避けているのでしょうか。

<この目で睨まれると“カエル”も動けません>

 鯉は何度か“真鯉”“錦鯉”をご紹介しましたが、今回は“ニゴイ”です。鯉に似ているから“ニゴイ”だそうです。コイ科の魚ではあるのですが、真鯉よりもスリムで体調60cmに達するそうです。透き通った水で穏やかな流れのときには、目視で判別できるほど体型に違いがあります。

<“マゴイ”よりもスリムで流線型の“ニゴイ”>

<丸々と太ったマゴイ>

 小魚の背中もこのとおり、見える時にははっきり見えます。ただし、背中をみただけでは何の魚かわかりません。背中を見ただけで判るのは、“ナマズ”です。

<よく見ると小魚の背が見えます>

<写真  真ん中に「ヌラリ」と“ナマズ”です>

 三条大橋下流では、“すっぽん”が“ぽかり”と浮かんでいます。一昨年の護岸工事の際に捕獲して放流した“すっぽん”が姿を見せてくれたのでしょうか。

<“スッポン”が長い首を伸ばしています>

 カメも甲羅干しです。こちらも外来種の“ミシシッピアカミミガメ”です。夜店の“銭亀”が大きくなって鴨川で多く繁殖しています。親亀の横に子亀のようです。

<仲良く並んで甲羅干し>

 甲羅といえば、こちらは連想するのは“カニ”です。高野橋下流の住宅街の近くに“サワガニ”が歩いていました。少々意外でしたのでご紹介してきます。

<“サワガニ”も高水敷を歩きます>

 次に姿を見せてくれたのは、黒い“アゲハ”です。蝶が鴨川の水を飲んでいます。“ひらひら”飛んでいるときは撮影が難しいですが、このときは長時間の水分補給でいろんな角度からの姿をみせてくれました。

<鴨川の澱みにとまる蝶>

<羽を開いて模様を見せてくれました>

 みなさんは“蛍”と聞くとどんな姿を連想しますか?点滅しながら舞い飛ぶ姿を連想される方が多いと思います。その“蛍”が舞い飛ぶまでの幼虫時代の姿がこちらです。小さな“なまこ”のような形です。餌となる貝“カワニナ”と共に鴨川に生息しています。蛍調査の際の写真です。

<水中の芋虫といった感の“蛍の幼虫” 巻き貝はエサとなる“カワニナ”>

 意識して見ているせいでしょうか、今年はカモの親子を頻繁に目にします。親ガモの後について泳ぐ小さな雛は無条件に“かわいい”です。

<必死に親ガモを追いかけるカモの雛たち>

 親子の鳥といえば、先日“セグロセキレイ”の親子を見ました。親の後についてエサを“口渡し”にもらう姿、スズメのそれは見たことがありましたが、セキレイは初めてです。

 しかし、子の色合いが“ハキセキレイ”に見えましたので、日本野鳥の会京都支部の方に聞いてみると、「“セグロセキレイ”の親子に間違いないでしょう」

「セキレイの交雑種は聞いたことがありません」とのこと。

<親の後ろからついていく“セグロセキレイの幼鳥”>

 ちなみに鴨川生息するに“セキレイ”の種類は”セグロセキレイ“(日本固有種)、”ハクセキレイ“、”キセキレイ“の三種類です。

 そして、最後に登場は“???”です。爬虫類ということは間違い無いとは思いますが、“トカゲ”“ヤモリ”何でしょう。かなり小さな固体です。平たいからだで“ぺたっ”地面に貼りついているようにも見えます。最初は動いたことで認識できましたが、砂の地面に溶け込んだ“保護色”で生き物が隠れているようには見えません。

<砂に紛れて保護色です どこに居るかわかりますか>

 “カサコソ”動いては“ピタリ”と止まります。枯葉の上に止まるとその存在が見えてきます。“ツンツン”と棒で突いてみました。脱兎のごとく逃げていくのかと思いきや、死んだふりでしょうか、微動だにしません。石になりきって身を守っているようでした。

<枯葉の上に乗るとその存在がよくわかります>

<足の指の先には吸盤らしきものが “ヤモリ”?>

<“ピタリ”と止まって動きません>

 田舎育ちを自認している私も、都会の京都市内に未知の生き物がいることに驚きながら、更なる未知の生き物との出会いを期待して鴨川を歩いてこうと思います。

 

平成25年7月16日 (京都土木事務所Y)

 

【おまけ】

 蝉の鳴き声が響き渡る季節到来です。蝉の抜け殻が沢山並んで木に着いていました。

<奥の枝にも並んでいます なんという名のセミの抜け殻でしょう>

 オニヤンマの写真が綺麗に撮れましたのでご紹介しておきます。

<トンボ王様 オニヤンマ 三条大橋高欄>

<トンボの向こうにぼんやり見える前夜の”放置ゴミ”が残念です>

 

 第101号 鴨川真発見記はノンジャンル

色んな小ネタを集めてみました

 第100号を突破した鴨川真発見記です。記念特集は少々お待ち頂きまして、101号では、当コラムの特徴ともいえる「鴨川に関していればノンジャンル」の小ネタを積み上げてご紹介したいと思います。

 最初はやはり、当コラム開始のキッカケであり、助走期間を支えてくれた野鳥たちです。

 鮎漁の解禁も過ぎ、四条大橋下流の落差工にサギが集います。“ダイサギ”“アオサギ”は川の流れの中で小魚を狙います。

<水しぶきの白に紛れて“ダイサギ” 川面のグレーに紛れて“アオサギ”>

 流れの隅、魚道の様な流れとなっている所では“ゴイサギ”が慎重に狙いを定めています。

<身を低く構える“ゴイサギ”>

 そこへ“コサギ”が乱入です。“ゴイサギ”は慌てて場所を譲りました。少し離れて場所が空くのを待っていましたが、やがては川の中の止まり木で待機しておりました。

<そこをどきなさいと“コサギ”>

<先に来たのはコチラだよと“ゴイサギ”>

<普段から目が赤い“ゴイサギ” 今日は悲しくて充血?>

 人間の世界と一緒でサギの世界にも“力関係”というのがあるのでしょうか。早い者順とはいかないようです。でも“ゴリ押し”は何処の世界でも良くないですね。

 コサギといえばその脚に特徴があります。普段目にする時は川の中を歩いていることが多く、脚の運びの上げ下げ時に“黄色”を目にして“コサギ”と確定しています。

 この日は、川から突き出た“木”に止まっていましたので、じっくり観察することができました。

<私は勝手に“イエローソックス”と呼んでいる“コサギ”>

 以前“スズメ”が砂浴びするシーンは紹介しましたが、この時にも「スズメは水浴びはしないのかな」と思っていましたが、そのシーンに遭遇しました。

 広く、浅く溜まった雨水の水たまりで“ピシャ、ピシャ”と羽を震わせていました。そして石の上で仕上げです。

<スズメも水浴びするんですね>

<乾いたタオルの代わりに石のドライヤー>

 少し前に「鴨川を好きになったカモ2羽目」でご紹介しました、“オナガガモ”です。その後の日本野鳥の会京都支部からの情報で、左足をけがして今季は北へ渡るのを断念したと知りました。

 真っ白で綺麗な胸の部分が少し変色し始めています。冬羽から夏羽に変化していきます。渡りが出来なかったのはお気の毒ですが、夏羽を見せてくれそうです。

<胸元の白に濁りが出てきました “オナガガモ”>

<少し前までは真っ白な胸元でした>

 鴨川真発見記ではお初のジャンル「キノコ」の紹介です。紹介といっても種類や名前が解るはずもなく、「こんなんがニョキっと生えてました」というだけですが・・・。

 マッシュルームの親方みたいなキノコが、鴨川の除草されてスッキリした土手にニョキニョキです。私のキノコの生える場所のイメージは、ジメジメした湿気の多いところなのですが、この場所は“日当たり良好”“風通し良し”でキノコが好む環境とは思えないのですが。

<何というキノコでしょう>

<“ダンゴムシ”がムシャムシャと>

 こちらのキノコは木の根もとで、まさしくキノコ好みの立地条件で、見た目もキノコらしいキノコです。

<お吸い物にでも?>

 そして、すこし怪しい雰囲気を持つのがこちらです。三角に整った傘にか細い茎。毒があるのではと想像してしまいます。

<毒の有る無し 解りません>

 勝手な想像で申し訳ありません。どなたかキノコにお詳しい方がおられましたら、私を鴨川キノコ探検に連れていっていただけませんでしょうか。

 高水敷で行き倒れになっているのは“ムカデ”です。刺されると腫れ上がる怖い虫ですが、既に“アリ”が解体作業に入っています。この一匹のムカデの体が何匹のアリの命を繋いでいるのでしょうか。

<こうなっては“ムカデ”もアリの食料です>

 まだ生きてはいるものの、「食べてください」と言わんばかりに身をくねらせているのは大きな“ミミズ”です。私の靴のサイズが26cmなので、その位の長さです。子供の頃“テッポウミミズ”って呼んでました。

<この長さ 小鳥には無理でしょう>

 二条大橋上流には、昔の橋の名残でしょうか、コンクリートの構造物があります。想像するには、市電が走っていた頃の橋の一部かとも思います。これはキチンと調べて後日ご報告したいと思います。

<橋台の様な形状です>

 そのすぐ近くのスロープには、「勝手道」が出来ています。人が通るために整備した道筋ではなく、勝手に何度も通行して道の様なものができるのです。

<登りにはかなり急です>

<自転車で下るのでしょう>

 平坦な高水敷でも見受けることがありますが、原因はハッキリしていません。

 ここの原因は容易に推測することが出来ます。

 上流に向かって下るスロープなので、下流に行きたい自転車は、スロープを下りきって方向転換するのが“もどかしく”、少々急な斜面を行く人が多い様子です。

 その道筋が「けもの道」の様になっているのです。

 イメージ図を見る(PDF:256KB)

 四条大橋東詰めに設置されている“出雲の阿国”の銅像は有名ですが、よく目にする写真も、実際に見るときも正面から見慣れていますが、右岸の高水敷に腰掛けてみる後ろ姿も“さま”になっています。

<阿国背中 意識して見たことありますか>

 ここで、ひとつ植物ネタです。「鴨川真発見記」を御覧いただいている一般の方から問い合わせがありました。

 「鴨川公園の植生について教えてください。この植物は何という名前ですか。」

 第99号で京都府立植物園の松谷名誉園長の目を通した記事を書いたためでしょうか。植物に詳しいと勘違いされたのでしょう。困ってしまいました。

 添付された写真には木の実が写っています。木の実からの連想でいつもお世話になっている日本野鳥の会京都市支部へ問い合わせると、“ビンゴ”「エゴノキの実ではありませんか?」との答えが返って来ました。

 野鳥が好む実のようで、自然に生えた樹木でした。

<見慣れぬ“実”に困惑>

 そこで、ご質問を頂きました方には「エゴノキではないでしょうか」とお返事を差し上げました。

 以下返信メールです。

 

昨日、帰宅前に現地に行き写真を撮ってきました。小さなかわいい実ですね。

やはり自然に生えた木のようです。野鳥がタネを運んで来たのでしょうね。

という訳で、日本野鳥の会京都支部の方にお尋ねしました。

返って来た回答は、「”エゴノキ”ではないですか。」 早速ネット検索してみましたところ、ほぼ間違いないと思われる画像が目に飛び込んできました。

野鳥が好んで食べる実のようですね。四季の樹木の変化を見ていくと”何の木”か確定できるのではないでしょうか。共に観察してまいりましょう。

今回の回答はこの程度でお許しください。

「鴨川真発見記」はライターである私が誰かを頼り、その誰か多くの人に支えられて成立しています。

ご質問者様にもお頼りすることもあろうかと思います。

今後ともよろしくお願いいたします。

 

 今回はご質問にお答えすることが出来ましたが、皆様記事内容に関すること以外は最寄りの専門家の方にお尋ねくださいますようお願いいたします。

 ある橋の下では、コンクリートの石灰成分が浸みだして、受けている網に少しずつ溜まり、鍾乳石の様な小さな柱を作っています。これが良いのかどうかは解りませんが、歴史ある橋ということでしょう。

<石灰成分が積み上がるのにどの位時間が必要なのでしょうか>

 健康志向でしょうか、複数人で気功?太極拳?をされている様子も最近よく見かけます。

 指導者に教わりながら、体がゆっくりと前後左右に動いていきます。

<前の人の動きを追いかけながら>

<こちらは早朝に実施>

 高水敷では小学生が陸上の練習です。同じ場所を何度も走ってはクールダウンしながら戻り、の繰り返しです。これは、中学生から大学生まで同じ方法で練習している光景をよく目にします。

<ヨーイ、ハイ>

<後ろの人に追い越されないように>

 高水敷を走るといえば、何度かご紹介しました高野川の鹿です。ある日の早朝、高野川へと行ってみると、大きめの動物がトコトコ走っています。ノーリードの大型犬かと思いきや“シカ”が走っていました。後ろから走って来たジョギングの男性は驚くことなく追い抜いていきます。“シカ”も平気でその後ろ姿を見送ります。

<人間には慣れっこの“シカ”です>

 高水敷を“シカ”が歩くのも日常的となってきたのでしょうか。奈良では、シカの交通事故死が相次ぎ、道路塗装で注意を呼びかける対策を始めるそうです。高野川のシカは「車の走る道路までは上がらないように」とつぶやきながら、川の中に消えていくシカの後ろ姿を見送りました。

 今後とも、色んなジャンルの鴨川情報を発信していきますので、よろしくお願いいたします。

 

平成25年7月31日 (京都土木事務所Y)

 

<交通事故に遭わないように気を付けて>

 

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