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第4回「明日の京都」ビジョン懇話会の概要

平成21年1月22日に開催した第4回「明日の京都」ビジョン懇話会の結果について、下記のとおり概要を報告します。

開催日時

平成21年1月22日(木曜)午後1時30分から3時30分

場所

平安会館 2階 白河の間

出席者

「明日の京都」ビジョン懇話会

浅岡美恵委員、安藤昌弘委員、池坊美佳委員、今井一雄委員、植田和弘委員、隂山英男委員、新宮七郎委員、高木光委員、竹葉剛委員(座長)、中村京古委員、畑正高委員、藤本明美委員、堀場厚委員、丸毛静雄委員、村井杏侑美委員
(※ 欠席 崔善今委員、ジェフ・バーグランド委員、千宗室委員、西岡正子委員、福井正興委員、山岸久一委員)

京都府

高嶋政策企画部長、井上政策企画部企画監、山田政策企画部副部長、畑村計画課長、森下企画総務課長、吉岡調査統計課長、事務局ほか

議事概要

座長から、今後の検討の流れ等について説明

今後の検討の流れ等(PDF:14KB)

「学校で何を学ぶのか」、「家庭で何を学ぶのか」、「社会・地域で何を学ぶのか」などの論点を示しながら、「学ぶ」をテーマに自由に議論いただいた。主な意見は次のとおり。

テーマ「学ぶ」の論点資料(PDF:573KB)

  •  京都で学ぶための課題として、「自立」と「グローバリズム対応」がある。義務教育の目標が社会的自立を促す力の育成であるのに、今、ニート・フリーターなど社会的に自立する若者が減少している。また、日本人に較べて非常に高度な学習をした中国の若者等が日本に増えてくると、社会の不安定要因になってくる。
     日本の最大の強みは、基礎・基本をいかした系統的な学習を推進してきた指導要領であり、これの重要性を改めて問い直さなければならない。また、生活習慣の崩れが学力低下につながっており、家庭・社会のあり方を自覚し直さなければならない。
     グローバル化の中にあっては、フィンランド等の最先端を意識して、教育課程の再編成ということを行わなければならない。
     学力の問題は子ども達の生きる意欲につながっており、学力と体力、気力を切り離すことは教育にとって危険なことである。
  •  大家族でありながら同じ敷地内で核家族化するなど、家庭内の関係・親子関係が崩れてきており、こうした点においても子どもの負担が増えてきている。
     家庭で大事なことは、しつけしかないと思っている。地域社会においても、犯罪等への対応ばかりが先行し、挨拶等の社会生活の基本的なことが希薄になってきており、もう一度、京都らしい、元来の地域のつながりというものを作っていかなければならない。また、地域の歴史や伝統というものをしっかり教える教育を行い、地元に誇りを持つ子どもを育てていく必要がある。
  •  いかにいい形で使うかという点や地域との関わり等は検討していく必要があるが、何よりも教員の数・質の向上などの教育投資を抜本的に拡大することが喫緊の課題である。
     若者の消費者被害が非常に多いという点で日本は特別であり、学力だけでなく社会的対応力を身につけさせるためには、答えが分かるような教育ではなく、急がば回れでも、考える力とか適応力を養う教育をやっていかなければならない。
     いずれにしても、教育の問題は非常に深刻であり、国が動くのを待つことなく、京都から、府民や家庭、公的教育が力を発揮できるように、お金の振り分けも含めて考えていくべきである。
  •  学生等のポテンシャルは高いが、丁寧にやれていない。自立のために学ぶ力を付けていくための支援システムが薄弱である。教育は人づくりそのものと、人づくりを通じての社会・経済の発展の基盤づくりの二重の価値を有している。教育を効率化すると質が落ちるだけなので、社会の他のところで効率化できるところは効率化を図り、そこで得たものを教育に回し、そこでまた能率を上げる能力を高めるという好循環の発想が必要ではないか。
     高齢化や終身雇用制の変化の中で「学校教育が終わって就職をして」という階段型のモデルではなくなってきており、生涯にわたって学びやすい基盤整備みたいなものが非常に重要。同時に、学ぶことと働くことの垣根を強く持ちすぎずに、働く場から学ぶ要素を取り込むなどの新しいモデルを考えていく必要がある。
     学校、社会、地域、家庭など教育の一番の基盤となるところには、ずっと長い間、互いの「信頼」というものがあったが、これが壊れてきていることから、その再生の問題を考えていく必要がある。
  •  教育の議論においては、当事者としての考え方や現場に沿った話がなく、予算や教員数といった机上の空論が多い。また、低俗なテレビ番組など、教育現場よりも子ども達の時間の過ごし方が問題であるのに、その議論がなされないことは問題である。
     企業は多くの投資を教育に使っており、優秀な企業の教育システムには学ぶべきことがたくさんあることから、実業界と教育界とが情報の交換や人の交流を行うなど、できることはたくさんあると思う。
     子ども達の教育は、学校でやらなければならないこと、家庭でやらなければならないこと、教育界でやらなければならないこと、経済界でやらなければならないことを、きっちりと定義付けて対応する必要がある。
  •  大学の授業で学ぶことよりも、学生祭典等を通じて町中で学ぶことが多かったように思う。また、子どもの頃は一人でテレビを見て過ごす時間が多かったが、テレビでは標準語が主なので、よく友達から関西弁じゃないねと言われていた。このように、せっかくの方言という貴重な日本の文化、地域の文化がなくなっていってしまうことは残念である。
     京都においては、特に地域の人から学ぶことが多い。打ち水、門掃き、祇園祭への参加など、地域の普段の生活の中にあるもの、昔から続いているものを経験しながら、日本の文化、地域の文化を学べるのは京都ならではのことであり、これからも失ってほしくないと考える。
  •  同世代だけでなく、世代間や、仲間ではない人とつき合うことが、本当の仕事であり、学問であると思う。学ぶためには、学びたいという意欲をいかに中からふつふつと煮えたぎらせていくかが大事で、それが日本社会になくなってしまっているのではないか。
     家庭にあっては親と子が信じ合うことが重要であり、また社会にあっては権利と義務というものがあって初めて一人の社会人・人間として尊重されうるという意識をみんなで育んでいかなければならない。
     日本の大学について、残念ながら大卒ということの社会的信用がなくなってきつつあり、こうした点も組み立て直す必要がある。
  •  学校教育は、子どもの人格形成のために、勉強という努力と苦労を通して、目に見える学力と目に見えない学力を育て、学ぶところである。学力向上とともに、感謝や相手のことを思いやる心、助け合う精神、人の悲しみや喜びが分かる心、創造力や芸術心といった豊かな心を培うことによって、バランスのとれた子どもに育っていく。また学校以上に大切なのが家庭であり、親の考え方等が子どもにも反映される。こうした点から、学校教育と家庭教育は一体であり、切り離して考えられるものではない。
     食の大切さ、食に関する基本的な生活習慣が失われている中で、様々な社会問題が発生していると考える。
  •  京都は国際社会に向かって発信していかなければならないし、また、日本が国際社会の中でそれなりの立場で21世紀を乗り切っていくためには、語学教育は避けて通れない問題である。
     何を学ぶかということについて、基本は「読み・書き・そろばん」であるが、21世紀の「読み・書き」は日本語だけではなく、少なくとも国際語である英語ができなければ国際社会で生き延びていけない。知識はあとからどんどん付いてくるが、語学は10歳前後が一番大事だと聞いており、この時期に「読み・書き・そろばん」をきちんとやるということが一番の基本である。
  •  アンケート形式の学校評価は、学校を“評価する商品”として位置付けてしまうおそれがある。以前はPTAが学校を支え、地域において親と先生とが学校をいかに良くしていくかというようなことを話し合う空気があったが、これが薄くなっている気がする。
     教育における役割分担を考える時、行政は環境づくり・基盤づくりに徹し、学びとかゆとりとかいった教育の中味については現場の先生、地域の人達が生徒と向き合って決めていけるようにすべきである。
     人と人とのつながりや相互作用というものを体験し、“自分だけ”のためでなく“私たち”のために学ぶことが、社会力というものにつながる。
     最後に、経済格差が子ども達の学びの意欲に悪影響を及ぼさないように、何らかの手だてが必要である。
  •  語学はできた方がいいのはもちろんだが、英語ができる前に、正しい、美しい日本語が話せることが大切と思う。
     トップに立つことだけが素晴らしいことではなく、学校でも、社会でも地道な作業であっても一つ一つのことにていねいに向き合い、やり遂げることが素晴らしいことである。
     京都に生まれ育って、美しい日本語や京都弁を話すことに誇りを持って、世界を見過ぎることなく、どこと比べることなく、日本らしさ、京都らしさをもっと出せばいいのではないかと思う。
  •  何事でも本音で向き合うことを基本に置くべきであり、先生も本音で子どもと向き合いたいと思っているが、家庭の問題を学校に持ち込む親がいて、疲れてしまっている先生も多い。子どもと真に向き合い、子どもをクラブ活動や地域社会に連れ出して、いろいろな人との出会いを作り、感動を与えるような環境、すなわち先生の教える環境をもう少しみていくべきである。
     先程評論家が多すぎるという意見があったが、今感じていることをみんなが世論として本音でぶつけるということが大切である。また、マスコミにも一方的な報道ではなく、その裏に潜んでいる部分等も掘り出して多面的な報道をしてもらいたい。
  •  地方分権との関係で、福祉や教育といった現場に近いところは現場が担う、地域が担うべきと思う。やろうと思えば地域から教育を変えられる。学校現場とか保護者とか地域で、本当に子ども達にとって大切な生きる力とか課題を解決する力をどうやってつけていけるかを考えていくことが大事である。
     また、学ぶことは楽しいということを子ども達に伝えることが重要で、京都には大学の先生や伝統産業・文化芸術の関係者が多いことから、学ぶことの楽しさを子ども達に伝えることも、特に京都ができることだと思う。
  •  地方分権を背景にして京都府の教育の独自性を目指す場合の検討課題等として、一つ目には、伝統文化や職人教育の伝統、大学など、他府県にはないブランド・シンボルを強調するかどうかという点がある。二つ目には、家庭や地域の教育は大切であるが、その機能が低下していることから、公的な組織が力を入れれば入れるほど、家庭や地域の力は弱まるおそれがあるので、このパラドックスをどう考えるかは難しい問題である。三つ目には、財政状況が非常に厳しい中で、何に重点を置くか方針を決定する際に、行政が決めるのか、それぞれの主体に委ねるのか、意見が分かれるところである。

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