京都府立総合資料館

企画展先人達の京都研究
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第1部 江戸時代の京都研究-歴史考証と地誌の発展-

3.新たな歴史考証の成果

大内裏図考証(裏松光世 編)

大内裏図考証(裏松光世 編)写真

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平安京の大内裏の建物の構成・配置・沿革等について考証・詳述した資料です。著者は、公家で著名な有職故実学者であった裏松光世(固禅)です。また、編纂には先に紹介した民間の学者藤原貞幹も大きく関わっており、この資料の中にも貞幹の筆跡による原稿も含まれています。

裏松光世は、宝暦8(1758)年の宝暦事件に連座し、出仕を止められましたが、その謹慎中に平安京内裏の研究を志し、その成果をまとめたものがこの資料です。

この資料は、天明8(1788)年の内裏炎上後、その再建の参考書として用いられ、寛政2(1790)年に完成した紫宸殿、清涼殿等には光世の描く平安時代の様式が再現されました。

展示資料は裏松光世の自筆稿本です。

*内裏と大内裏 内裏は天皇の住居のこと。御所・禁裏等ともいう。大内裏は内裏を中心に、儀式や執務等を行う朝堂院や、太政官はじめ諸官庁を配置した一郭のこと。平安宮ともいう。

*宝暦事件 宝暦8〜9(1858〜9)年に江戸幕府が尊王論者竹内式部を処罰した事件。竹内式部は京都から追放処分を受け、これに関係した公家達は永蟄居の処分を受けた。

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