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植物園よもやま話(2020年)

伊達政宗のモッコクがやってきました!(令和2年7月3日)

京都市伏見区桃山町正宗に黄檗宗海宝寺という古刹があります。江戸時代の画家、伊藤若冲が晩年の傑作「群鶏図障壁画」を残したことでも有名なお寺ですが、所在地の町名が示すとおり、桃山時代に豊臣秀吉が桃山城を築いたときに城下に家臣を住まわせ、その際に仙台藩主伊達政宗公が屋敷を構えた場所でもあります。

こちらの境内には樹齢400年を超すとされる政宗公お手植えと伝わるモッコク(Ternstroemia gymnanthera モッコク科)が現存します。モッコクはモミジ、マツと並び日本庭園の植栽に欠かせない庭木と言われますが、成長は比較的遅く、さすがにここまでの古木は市中で見られることはほとんどありません。

原木は経年の傷みが顕在化し不朽や樹勢衰退が確認されますが、長く樹木医の診断治療を受けながら現在も毎年新たに新芽を出してきています。お寺様は原木を護り残すことももちろんですが、およそ10数年前、万が一に備えクローン増殖で次世代木を作られました。

この度、お寺とのご縁でこのクローン増殖された次世代個体を1本、京都府立植物園へ寄贈いただくこととなり、植物園クスノキ並木の中程に植栽させていただきました。

当園のクスノキ並木は開園時(大正時代)に整備された歴史ある並木道ですが、ここに新たに桃山時代から続くDNAの歴史的個体が加わることとなりました。植物好きの来園者様だけでなく、歴史ファンの皆さま、戦国武将マニアの皆さまにも悠久のロマンを感じていただける新しい見所として、この先また何百年もここで大きく育ってくれるよう、大切に栽培管理していきたいと思います。

グラスツリーの開花(令和2年6月27日)

オーストラリア原産のミナミススキノキ Xanthorrhoea australis (ススキノキ科)を2019年3月植物園会館前に植栽したところ、この春に初めて開花しました。きわめて成長が遅い植物で、年間で数ミリしか成長しない茎の上部に長さ1メートル程度、幅4ミリほどの細くて固い葉を密生する姿から「イネ科の草の木」を意味するグラスツリーとも呼ばれる変わった植物です。

4月16日(木曜日)、葉の束の中心辺りから花茎が伸びてきたことを確認。

 

5月6日(水曜日)、花茎がだいぶ伸びてきました。

5月25日(月曜日)、下のほうから白緑色の小さな花が咲いてきました。

6月12日(金曜日)、ほぼ花茎の上部まで咲き揃いました。

近くで見ると、こんな感じ。無数の花が穂状花序となっています。

6月27日(土曜日)、花が終わり実が膨らみだしてきています。

自生地のオーストラリアは山火事が多く、その野火の中を生き残って開花し実を成すといわれるススキノキですが、ここ京都でも(山火事がなくても!)このように花を観察することができました。

次回は何年後に開花するかわかりませんが、また花茎が伸びてきたらこちらで報告したいと思います。

 

八天桜、佐野藤右衛門と京都府立植物園(令和2年4月24日)

遅咲きのサクラ品種‘八天桜’が開花しています。
長崎県佐世保市柚木町に原木があったものを京都の桜守として著名な佐野藤右衛門氏が発見し、自身の桜園で増殖された品種です。
当園には佐野氏のご厚意で平成27年1月に分譲いただき、桜品種見本園で栽培しています。
この桜の特徴は、一見すると菊咲きのように見えながら、1花の中に雌しべを複数持ち複数の八重咲き花が一房のなかに渦巻き状に同居するように咲くことです。
遅咲きのサトザクラ、なかでも花弁数が百枚以上となる菊咲きの品種にはいわゆる段咲きと呼ばれ、外花の中に内花ができるものがありますが、それとも違い雌しべの数だけ別々の花が背中合わせに同居するという非常に珍しい咲き方です。

はってんさくら

佐野家は京都に代々続く植木職で、当代の佐野藤右衛門氏で第16代と伝えられています。
じつは、佐野園と京都府立植物園は桜を通じて長く深い関係であり、当園の桜コレクションの礎は佐野園によって形作られたとも言えます。
大正時代に当園の前身「大典記念京都植物園」が計画されたとき、最初の技師として任命された寺崎良策は明治神宮の神苑の設計技手でありながら東京帝国大学駒場農場も兼務していました。
この駒場農場には、水害対策による河川改修や費用の面で維持が難しくなった荒川堤の桜(世に言う‘江北の五色桜’)が集められていました。
もともと荒川堤の桜とは、幕末と明治維新の時代の渦の中で存続が危ぶまれた江戸時代以前に作出された貴重な桜品種を駒込の植木屋高木孫右衛門が保護し、初代の江北村村長になった清水謙吾が桜並木として荒川の堤防に植栽したものです。
この荒川堤の桜を、我が国近代植物学の権威であった三好学が調査し記載したことで、貴重な江戸時代以前の桜品種が現在まで存続できることとなりました。

京都で植物園を作るにあたって寺崎良策は、嵯峨の植木職であった先々代の佐野藤右衛門氏(第14代)に、駒場農場から荒川由来の桜品種を送り、京都で増殖し植物園へ植栽するよう依頼したことが記録に残っています。
それ以降も、戦後に荒廃した植物園の再開園時には、多くの桜を植物園に納入するなど先代、当代の佐野園から様々な桜が植栽されてきました。

このような歴史を経て、京都に於いて江戸時代以前に作出された桜品種を今現在も来園者の皆さまに観賞していただけることに、先々代、先代、当代の佐野藤右衛門氏、佐野園の大きな尽力があったことを、改めてお伝えしたいと思います。

お問い合わせ

文化生活部文化生活総務課 植物園

京都市左京区下鴨半木町

ファックス:075-701-0142