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ベノック株式会社(京都企業紹介)

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ベノック・パター

(令和3年11月15日、ものづくり振興課 足利)

パター全体

ベノック株式会社(外部リンク)(京都市)の奥田代表取締役社長にお話をおうかがいしました。

トップゴルファーが辿り着くオーダー・パター

--一般にはあまり知られていないかもしれませんが、トップゴルファーと言われる人達に愛用され、所持することがステイタスシンボルにもなっている「ベノックパター」。彼らをもってして「よく入る」と言わしめる秘訣は何でしょうか?

奥田)人は本来、ストロークの姿勢がそれぞれ異なりますから、その人の自然な姿勢に応じたオリジナルのパターを作っているのです。「パターをオーダーメイドで創る」という文化を世に提案したのは2011年のことですが、従来のゴルフ業界ではまったく新しい発想だったんです。

--そうなんですね。

奥田)パターの上達のためにすべきことは、あらゆる形状のグリーンで練習を重ねることではありません。パットを入れるには、まずは「同じ条件下において常に正確な方向と距離が打ち出せること」が絶対条件なんです。ですので、シャフトの長さ、シャフトとヘッドの間のライ角やロフト角、ヘッドによるボールの捉え方、言い換えれば衝撃の伝わり方、パター全体の重心など全てを調整し、プレーヤーにとっての自然なストロークに合わせ、正確な方向と距離が打ち出せる最適な解を導き出すことができれば、パターは振りやすくなり、ボールはピンに向かって真っすぐ転がってくれるのです。

--極めて理に適っていますね。

奥田)「バランスアングル理論」と呼んでいます。そして、これを実現するために、フィッティング、フィッテングデータを正確に落とし込む設計とプログラミング、そしてそれを正確に再現する高い金属加工技術を取り揃えているのです。

パター例

科学的視点×ユーザーの感性=ヒューマンフィッティング

--まず、そのフィッティングとは、どんな風にするのですか?

奥田)当社のスタジオで行います。まず最初に、今お使いのパターでボールを打っていただき、そのストロークを撮影します。いろんなパターを打っていただき、アドレスとインパクト時の体のズレ、手元のズレが最も少ないパターの長さとライ角とヘッドの見え方を見つけます。

フィッティング

--カメラで動きを捉え「数値化」するのですね。

奥田)次に、たくさんの種類のパターで1球ずつ打っていただき、ヘッドの方向と好みの形状を瞬時に取捨選択していきます。

--今度は、自分の好み、すなわち「感性」を探るわけですね。

奥田)そうです。そして最初に計測(数値化)して見つけたアドレスで、次に見つけた自身の感性に合う、まっすぐ向くパターを打っていただき、ターゲットに正確に出球が揃うバランス角を見つけ出します。

--「数値」と「感性」の両面から、というわけですね。

奥田)そして、長短様々なパットを打っていただき、タイミングの合うシャフトと緊張を緩和するグリップを選びます。最後に、ヘッド重量を合わすことで振り心地を整え、総重量を合わすことで細やかなタッチコントロールを生み出します。

感性

比類なき設計力・加工力

--緊張を緩和するグリップ、ですか?

奥田)はい。では、フィッティング・データに基づいて、どのようにパターの設計、製造をしていくかお話ししながらお答えしましょう。まず、フィッティングで見つけ出したプレーヤーにとってブレが最も少ないバランスアングル(重心角)を、3D-CADを駆使した精密な設計でヘッドに配置します。

CAD

--ふむ。

奥田)また、金属は歪みやすい物質です。外力が加わると金属内部に抵抗力が生じるため、理想のパターをつくるためには高度な切削加工技術が求められます。当社は、電子部品用の微細金型を製造するための超精密微細加工を駆使し、底面以外の5面を一度に削り、残留応力を蓄えることなく設計図と寸分違わず正確に削り出す「ワンチャック5面仕上げ加工」を独自開発しました。その類稀な応力コントロール力により、時が経っても創り上げた設計値を維持するパターを実現しています。

加工機

--残留応力?

奥田)私どもは以前、液晶用の導光板や携帯電話のコネクタを作るための金型の設計・製造を行っていましたが、単に精密に加工をするということだけではなく、金属部品の早期破損につながる残留応力をいかになくすかといったことまで考慮し、独自の手法を編み出してきました。

--普通に受託で加工するお仕事で、そういう話はあまり聞きません。

奥田)金属加工においては、耐摩耗性や疲労強度を高めるために焼き入れなどの表面処理を行いますが、表面処理を行うと硬くなるので、その前に加工をします。また、焼き入れを行えばひずみますから、焼き入れ後は研磨をして整えるわけですが、なかなか難しい工程となっています。つまり、まず、材料屋から仕入れた一定の大きさの金属材料を、加工の受注した部品の大きさに合わせて立方体状にカットする、次に切削加工を行う、そして焼き入れを行う、最後にそのひずみを調整するための研磨を行うというのが、おおまかな流れです。しかし、これでは焼き入れの残留応力も残りますし、そもそも部品ごとに立方体の形状から削っていくので材料の無駄も多くなります。

--ふむ。

奥田)そこで私は、最初に材料を焼き入れします。そして、複数の部品をまとめて設計し、仕入れた材料を最も無駄が少なくなるように、それらの部品の角度を考えて3D的に組み合わせて、まとめてワイヤーカット放電加工等でまとめて加工する手法を採りました。そうすることで、焼き入れの残留応力も、材料の無駄も、研磨工程も少なくすることができます。

--素晴らしい!

奥田)また、金型というのは、実際には上型、下型など複数に分かれたものになっていますが、それぞれ細い空気の抜け道等を設けるなど大変微細な加工が必要なものです。樹脂成形であれば、金型内の空気を樹脂に入れ替えていく作業であるわけですが、後々の歪みを生じさせないよう、いかに低圧で樹脂を入れる、つまり空気を抜くかという観点も踏まえた設計が必要ですし、空気は抜けるけれど樹脂は抜けないような微細な加工技術が必要なのです。

--素晴らしい!

奥田)また、加工機のメーカーごとの特徴も把握し、それを考慮した加工プログラムを作っています。

--そうした類まれなる設計力、プログラム力、加工力がふんだんに盛り込まれているというわけですね!

奥田)そうですね。ものごとの原理から徹底的に研究するスタンスで今までやってきましたし、かつて電子部品の金型を作っていた頃は、日本中の大手メーカーの方が当社に相談に来られていました。コネクタでは、世界で初めて0.1mmピッチの試作に成功しました。

パターその2

メンタルまで配慮した材料・機能・デザイン

--すごいですね。

奥田)そして、こちらは材料ですが、例えばステンレスでも様々な硬さのものがあります。特注のとても柔らかいものもあります。柔らかいことで、ヘッドとボールが当たった際の衝撃、振動を抑えるのです。

材料

--ほう。

奥田)衝撃の振動がプレイヤーを緊張させる原因となり、インパクト時に緩みが原因のブレが生じますので、衝撃を緩和することで緊張によるブレを抑え、繊細なコントロールができるような工夫なのです。通常は柔らかくするために合成ゴムを使うケースがありますが、それでは柔らか過ぎて、繊細なコントロールには不向きなのです。

--なるほど!

奥田)パターのフェイスにも工夫をしています。これを見てください。

ピラミッド

--おお!4方向とも違う文字が浮かび上がってきますね!

奥田)ベノックパターのデザインの特徴でもある「シークレットダイヤフェイス」です。金属面にメッシュ状にかたどってまして、その一つひとつがピラミッド型になっている加工です。ピラミッド型の傾斜に角度をつけることで光の反射を操り、見せたい文字を浮かび上がらせることができ、会社のロゴや自分の名前など、オリジナルで入れることができます。しかし、実はこの加工こそが「ボールを打った時の方向性が安定させ、打感を柔らかくする」という性能の向上に寄与するのです。デザイン性と機能性を両立させた技術です。

文芸理融合人材

--奥田社長は一体何者なんですか?子ども時代はどうだったのですか?

奥田)そこからですか?!(笑)。そうですね、高校時代はラグビーに明け暮れ、勉強は理系を選択していたのですが、美術も得意だったです。

--すごいですね!「文芸理」融合人材じゃないですか!

奥田)ラグビー日本選抜にも選ばれた高校の監督から、監督の母校である大学へのラグビー推薦の話もあったのですが、練習の厳しさが有名なところだったので断りました(笑)。じゃあ工学部か?と考えても、将来何になるか思い浮かばず、大阪芸術大学に入りました。8ミリカメラで映画を撮ったり、そのスチール写真を撮ったりしましたよ。

--そうだったんですね。

奥田)もともと理数系が好きでしたから、色の調子をきっちり合わしたり、技術的な評価がとても高かったんですが、内容面では、他に才能ある人間がいるなと分かりました。それに、映画産業は階級社会です。助監督等を経て監督になれるのは、普通は40歳くらい。映画コンテストで一発当てるなどでもしない限り、かなりの時間を要します。かと言って配給の仕事でもしようかと思ってみても、1980年代当時はレンタルショップが流行り映画館が最も厳しい時期で、それも違うなと。

--そういう時代でしたね。

奥田)しかし、好きな芸術には関わりたいという思いは消えません。当時、ミニシアターが興り始めた頃でした、それで、自分も将来、演劇場など、芸術のための「小さな箱」を作りたいと思うようになったのです。

--なるほど。

奥田)そのためにはサラリーマンではなく、自分で起業して資金を稼がねばなりません。そこで、起業の勉強をしようと、1989年に小さな証券会社に入ったんです。採用面接では自分の起業のためであることをはっきり申しました。「その代わり、誰よりも勉強します」とも。

--かっこいい!

奥田)実際がむしゃらに働きました。証券取引所主催の研究会で、大手証券会社のエース級の中堅社員が集う中に、入社1年目の私も加えてもらいました。繰り返しになりますが、もともと理数系が好きでしたから、誰よりも理解が速かったのを覚えています。

パターその3

日本の電子部品業界を支えた知見・技術・ノウハウ

--いいですね。

奥田)当時バブルがはじけて株価がどんどん下がっていたのですが、電子部品や自動車分野に外国人投資家が注目していることに気づき、起業するなら電子部品だと。そこで、1994年に、まずは電子部品の商社に就職しました。

--そうなのですね。

奥田)汎用フライス盤や旋盤から、徐々に複合旋盤やマシニングセンタなどNC化された工作機が登場してきた時代で、町の金型屋さんも少しずつ、それらを導入し始めていました。しかし、やり方はNCではなく、昔のやり方のままだったのです。NCマシンのスペックを全くと言っていいほど使ってないのです。町の社長に聞けば「NCマシンは看板なんや」と。「看板倒れですやん」と正直に応えて怒られましたけど(笑)。大手企業の「協力会」なるものがあり、この「看板」があれば仕事が来るというわけです。「なんだ、ものづくりの業界も、金融業界と同じく護送船団方式やないか」と思いましたね。

--ほう。

奥田)私は商社で各マシンの能力を調べつくしていましたので、「自分ならこのNCマシンと、このNCマシンを使ってこんなことができる」ということが明確に頭に描けました。この分野でトップに立てるんじゃないかと思いました。

--今風に言う「ランチェスター戦略」ですね。

奥田)はい。自分の加工ノウハウを活かし、加工で付加価値を高めるには、材料費が小さく加工が難しい、すなわち小さな精密部品がいいだろうと定めました。そして起業のタイミングは、金利がゼロになった時と決めました。

--理に適う戦略、さすがです。

奥田)1999年に公定歩合が0.1%になりました。これぞ自分が待っていた「ゼロ金利」です。私が蓄えてきた虎の子の資金をどこで使うか?今しかない!と。

--独立されたのですね。

奥田)はい。製造業はどこも設備投資しません。設備販売の商社は売上が伸びません。私は、日頃大手メーカーを顧客にしている商社から、本来ならどこの馬の骨とも知れない私などに売ってくれるはずのないところから、買ってやろうと決めました。設備が売れなくてみんな暇だったんでしょう、「こんな時に設備投資するおもろい奴がおる」という話が瞬く間に広まりました。

--見事ですね!しかし、厳しい時代であったわけですよね。

奥田)すぐに景気は上向くと考えていました。携帯電話が牽引すると読んでいましたから。私自身その何年も前から携帯電話を仕事で使ってきて、市場が伸びるという確信がありました。そこで、1999年10月1日に創業し、液晶画面の奥にはめ込まれる導光板製造のための金型部品づくりを始めたのです。その前日の9月30日まで前の会社でみっちり働きましたけれど(笑)。

--そうなのですね。

奥田)ところが、間もなく2003年に有機ELが登場してきました。曲がるのに光るものです。これはもう、導光板ではないなと考え、折りたたみ携帯電話の、折りたたみ部分を繋ぐ本体側の端子とコネクタ側の端子が接合する挟ピッチコネクタの金型部品に着目し、0.5mmピッチの櫛歯パーツの製造からスタートし、製品としては0.2mmピッチのものが実用化されました。

--そうして、先ほど教えていただいたような、様々な工夫を生み出してこられたわけですね。

奥田)そうですね。しかし、ある時、海外に行ってみると折りたたみ携帯電話など誰も使ってなかったんです。大きめの画面で、キーボードが付いていて、パソコンの代わりとしてビジネス用に使っていたんですよ。そこで、改めて考えましたね。大手メーカーの仕事をしているとは言え下請けだ。導入した設備は償却期間が10年だが、導光板もコネクタも3年ほどで潮流に吞み込まれる状況だ。償却期間の半分も新規設備が大活躍できない現実に危機感を感じ、初心に戻って自らメーカーになろうと決めました。ちょうど2008年、リーマンショックが起こった年でした。

パター

中小企業メーカーになる戦略

--自らメーカーに、ですか。

奥田)中小企業では、大手メーカーに価格では絶対に勝てません。生産体制で全く及びませんから。しかし、スイスの時計、イタリアの高級車など、中小企業でもうまくやっているのは高級品を扱っているところです。

--ふむ。

奥田)そこで、電子部品と違って、大手が参入する大量生産の市場ではないもの、趣味・嗜好品の部類のもの、ロングラン商品、そして、金属を美しく活かすもの、金属そのものが商品となるもの。以上を満たすものは何かと考えた時、「パターだ」と。

--なるほど。

奥田)しかし、金属加工業の方は、みんなパターを思いつくんですよ。リバースエンジニアリングでできてしまうんです。しかし、道具にこだわりのあるゴルファーには見破られるんです。だから、どうしたら受け入れてもらえるのかじっくり考えることにしたんです。3年間、ブランディングやマーケティングの勉強をしました。絶対に成功するタイミングで、絶対に成功する戦略を求めて。

--ほう。

奥田)そして、SNSによって、トップゴルファーらだけに絞って情報をお伝えしました。ショップには置いていない、マスコミにも出ない、取材も一切お断り、知る人ぞ知るオーダーパターとなったのです。「情報」は全員が知ったら「情報」ではなくなるんです。特定の人だけが知っているから「情報」なんです。

パターその4

日本に必要なことは、覚悟と有言実行

--なるほど!こうした新規事業を成功させるために必要なことは何だと思われますか?

奥田)覚悟ですね。本気かどうかです。もちろん、最初からすごい人はいません。やり続けて、発信すれば、応援する人も出てきますし、自分ももっと勉強するようになりますよ。今、大企業になっている戦後の京都のベンチャーもそうですよ。最初からすごい実力があったわけではないでしょう。今ほど行政の支援がなかった時代でしょうから、ベンチャーどうしで切磋琢磨し合って勉強してらっしゃったから、今に至っていらっしゃるんだと思います。やると言ってやらない人、多いじゃないですか。それじゃあ、社会的に人の信用を得られず、応援されません。

--耳が痛いです(笑)。最後に京都産業はどう進むべきだと思いますか?

奥田)京都ブランドが確立されています。高品質であったりクラシカルであったり。伝統的なものと革新的なものが交じり合っている、この京都ブランドを活かし、伸ばしていくことに尽きるのではないですか。

奥田社長

 

京に、すごい企業あり!です。

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