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第1回/2022.6.6【けいはんな住人】

第1回

けいはんな住人

「やっぱりここは誇るべき街」

第1回座談会をきっかけに、2023年から「ロボット共生カフェ」プロジェクトが始まりました。

オペレータの様子1 テーブルでの接客の様子

 

場所
  • けいはんなプラザ1F コンディショニング ラボ
参加者
聞き手

高齢者も子どもも障がい者も、みんな一緒に!

--今回、コンディショニング・ラボさんの場所にお邪魔しているのですが、まず、あの赤い紐はなんですか?

佐々木)「レッドコード」と言いまして、ノルウェーの医師と理学療法士によって開発されたものです。スリングとロープを使用して身体にかかる重力を免荷することで身体を重さから解放することができ、また逆に不安定な状況を作ることで質の高い運動を行うこともできます。トレーニング、フィットネス、リラクセーションと様々な用途で、疾患・年齢・性別を問わず介護分野からスポーツアスリートに至るまで幅広く利用できますが、関西では珍しいですね。

ロープ レッド

--そうなんですね。

佐々木)当社は、高齢者や子ども、障がい者の方々にトレーニングや機能訓練(生活復帰)を行う事業を行っています。一般的なフィットネスと異なり、スポーツトレーナー、医療従事者、介護福祉専門職などが多職種連携し、「Fitness+Cure(治す)」を目指しています。

--なるほど。

佐々木)ダイバーシティ、インクリュージョンがコンセプトで、障がいのある方、ない方も、子どももお年寄りも、一緒になって頑張るというのが、一緒だからこそ頑張れるというのを目指しています。現にお客さんは3歳から90歳までと幅広いですよ。一番元気なのは80歳代の方々ですね!

トレーナーから福祉へ転身したパイオニア

--コンディショニング・ラボさんの事業を始められたきっかけは?

佐々木)19歳で、あるスポーツクラブに就職し、トレーナーとして西日本一円を担当し、バーベル担いだり、エアロビクスを教えたりしながら、「企業フィットネス」と言いまして、大手企業等の福利厚生の一環で、体力測定やカウンセリング等も行っていました。様々な実務経験を積みながら、法人営業もさせていただき、スポーツクラブの業務と企業経営を身に付けていきました。

--ほう。

佐々木)そして平成15年、24歳の時に足の手術をしまして、福祉の世界に転身したのです。

--足の手術?

佐々木)足首です。今でも両足にボルトがはまってるんです。右膝の靱帯も削いでまして、腰と首に椎間板ヘルニアを煩いました。ずっとスポーツに打ち込んできていまして、スポーツ障害ですね。

--何のスポーツをなさってたのですか?

佐々木)ハンドボールです。全国大会にも行きましたよ。京田辺市出身なのですが、ハンドボールが町のスポーツとなっていて、ちょうど私が小学校5年生の時が、全国ハンドボール大会の第1回目だったのです。

--そうなんですね!

佐々木)その福祉の会社は、介護保険制度を使って「リハビリ」の全国展開を目指す会社でした。介護保険制度は平成12年にスタートしたばかりでした。当時は、厚労省もデータを出して示していますが、デイサービスは「お預かり施設」のようなもので、かえって利用者の状態が低下してしまうということが明らかになり、平成18年には予防給付という制度が立ち上がって、全国的にも「予防が大事だ」というのが共通認識となっていった時代です。そこで、行政の特定高齢者関連で高齢者の筋力向上を支援したり、予防給付関連で運動やリハビリに特化した短時間デイサービスの構築を進めたりして、全国70店舗にまで展開しました。現在はJR西日本のグループ企業になっていますが、その礎を築かせていただいたところです。

--すごいですね。

佐々木)トレーナーが福祉の世界に転身したパイオニアみたいなところがありまして、各方面からお声かけもいただくようになったのですが、今大学生の子どもが当時、大病を患ってしまったこともあり、会社員を辞めてフリーランスで活動を始めました。

--そうでらっしゃったのですねえ。

佐々木)介護保険の事業所が、ワサーっと日本全国に広がった時期でして、全国の介護保険事業所から呼んで頂きました。さらに産学連携で大学と研究したり、柔道整復師の養成校で機能訓練を教えたり、企業のコンサルティングをしたり、仕事が大きく広がっていったのです。

座談会横

保険に頼らない仕組みづくり

--そうなのですね。

佐々木)ですので、日々「社会問題」を知る機会を頂いている感じでして、「これからの日本がこうなっていくよ」ということに対して、トレーナーという立ち位置からどういう貢献ができるのかという視点で、今日まで事業を創り上げていたところです。例えば、接骨院でも保険外診療がありますし、福祉でも介護保険プラス実費など、実費割合というのが増えてきているのですど、それを早い段階から見通して、予防のトレーニングセンターを作ろうとしてきたわけです。

--ふむ。

佐々木)京都府の人の前で言いにくいのですが、そもそも会社を作る際に、本当はデイサービスとトレーニングセンターの抱き合わせが作りたかったわけです。デイサービスを卒業したらトレーニングセンターで元気にしていく循環を作りたくて、京都府に行ったんですけど、「事例がない」とのことで散々喧嘩したんですよ(笑)。

--ありゃ?!

佐々木)そこからですよ!介護保険もどうせ衰退傾向になっていくし、大手が集約していくだろうから、「もうええわ」と、保険に頼らず自分の腕一本で勝負しようぜ、他がやっていない予防トレーニングセンターを作ろうぜと、ここ「けいはんなプラザ」で事業を始めたのです。

--いやはや、すみません。

佐々木)そのおかげで今があるので有り難いですけどね!頑張ろうと思えたので(笑)

トレーニング 笑顔

業界変革のための後進育成

--パイオニアでらっしゃったとのことですが、今は同業他社が生まれてきているのですか?

佐々木)トレーナーが介護保険施設に就職するというのは専門学校にスポーツメディカル科というのができており、後輩達が、トレーナーとしてデイサービスに勤務するとか、病院のリハ室で補助をするとか、広がってきていますね。

--いいですね。

佐々木)トレーナーって運動のサポートが専門ですけれど、そういう子達が膝の疾患をお持ちの方とか多様な方に対応できるようになり、今「パーソナルトレーニング」ブームですし、活躍する子達が増えてきましたね。トレーナーとして業界変革は必ずしていかないといけないと思っているので、若い後輩達を教育して、例えば「スポーツセラピスト」って今ないのですが、そういった多様な対応ができるよう視野に入れながら、活動させてもらっています。

みんなが活躍できる場、帰れる場、循環を地域に作る

--子どもさんはどうですか?

佐々木)子どものコンディショニングは最近増えてきましたが、当社は先駆けて行ってきました。子どもにどんなスポーツをさせようか悩まれる親御さんも多いのですが、その前段階で基礎体力を付けに来る子や、一方で、競技スポーツのアスリートとして頑張っている子もいます。障がいを持っている子も来ています。

ピース

--そうなのですね。

佐々木)運動が苦手だった子が、ここへ来てから、運動会のかけっこで一番になって学校中が沸くとか、一番嬉しかったのは「一枚のチラシが僕の人生を変えた」みたいな作文を書いてくれた子がいまして、発表に呼ばれて行きましたけど・・・。

--その話だけで泣けてきますねえ。

佐々木)泣けますよねえ!本当に泣けることだらけで、「嫌いや」とか悪態ついてた子らが、しっかりしてきてくれると、日々感動ばかりで、有り難い仕事だといつも思うんです。今は卒業組がここで働いています。

--素晴らしいですね。

佐々木)そういう循環を作っていきたいんですよね。地域に「帰る場所」「戻れる場所」があるとか、地域に皆が活躍できる場があって、最終的に親を近くで面倒見るような循環を作っていく、そのための受け皿に最後はなりたいなと思っているのです。地元で何か地域貢献できたらあという思いが強いですね。

自分が頑張った分、みんなが進歩できれば

--ありがとうございました。では次に澤村社長・・・、全然違う分野なのですが(笑)

一堂)あははは!

--澤村社長のお取組みについては、以前のインタビュー(「膜テクノロジーでCO2から燃料を作る」)でもご紹介していますように、現在、日本のガソリンエンジンを守るために、脱炭素ではなく、CO2からガソリンを作る取組を進めておられます。

膜の原理

澤村)では、けいはんなに移ってきた経緯をお話したいなと思います。私、はじめは大学で研究してまして、教員を目指してたんですよ。

佐々木)えー!

--あれ?!弁護士を目指されてたんじゃなかったでしたっけ?!

澤村)はい、もっと小さい時は、弁が立ったんで弁護士を目指していました。

--プレゼンもお上手ですもんね、いつも言ってますけど(笑)

澤村)でも相手を言い負かすこと自体には途中で空しさを感じるようにくなったんですよね。自分が頑張って相手を蹴落とす、そういうゼロサムではなく、自 分が頑張った分、みんなが進歩しているという技術の世界の方がいいなと。大学は早稲田に行ったんですけ ど、世の中に役立つ技術が大事だと思って、大学教員を目指すために必要な運転免許みたいなものとして、化学を勉強し大学院まで行って、博士号を取得しました運転免許みたいな感覚で教員 免許を取って。

--そうだったんですね。

澤村)だから今も、ライバルを蹴落とすという感覚はないですね。みんなで登っていければという思いです。それがベースにありますね。

--そうなんですねえ。

澤村)ところが当時は「日本は、技術で勝って、ビジネスで負ける」ということが言われ始めた時代でした。せっかく技術ができたのに、うまく使われないというのも、なんか説得力がないので、会社に入って技術を使われるようにしようと思ったんです。専攻していましたのも応用科化学で、「応用してなんぼ」というもの でしたから余計に(笑)

--なるほど。

澤村)それで共同研究していた日立造船に就職しまして、技術開発をやりまして、いざ、事業化しましょうという時にお客さんのところに行くと、「技術が良いのはわかりました。」とは言われるものの、採用してくれないんです。石油化学という、ある意味保守的な分野で、採用されるには実績が何より必要とされたんです。しかし、そもそも新しい技術に実績なんてあるわけない。だから全然事業化が進まない。

--ですよね。

澤村)そうこうしているうちに、開発本部の方から、海外に行ってこいとの指令が来ました。英語が苦手で勉強したかったので、海外勤務はちょうどありがたいと思ったら、10日間くらいのセミナーだったんですよ、シリコンバレーでずっと缶詰になって(笑)

佐々木)えー!

澤村)関経連のプログラムで、起業家精神を涵養しようというものでした。シリコンバレーなので、新規事業をちゃんとやらないと信用されませんとか言われるんですよ。なので、帰国して、レポート書いてお茶を濁すようなことだけではダメだろうなと思って、社内ベンチャーとかやろうとしたんですけど、なかなか機敏に動けなかったんですよね。

--ほう。

澤村)ちょうどその時に、学研推進機構の方とか、京都銀行や南都銀行の方もいらっしゃって、「けいはんなからやったらどうだ」と言われて。ちょうど2010年頃ですけど、新規事業をやりましょうというのが流行ってたんです。ただ、ITの場合は分かるんですけど、ものづくりで新規事業ってどうしていいか分からなかったんです。

--ふむ。

澤村)新しいことをしようとすると、そもそも実績がないからできない。だけど、小さなニーズはたくさんあって、だから、大企業ではなくベンチャー企業にやってもらえばいいんだと分かってきました。

佐々木)うんうん。

澤村)そこで不都合が起こったんです。ちょうどいいベンチャー企業が周りにいなかったんです。海外にはベンチャー企業がいましたよ。本当に口は上手なんです。だけど、本当にできるのか?私、技術者だから見抜けたんですよね。日本は堅実ですが、海外は良くも悪くも「えっ、こんな内容で?」と思うことでも平気で主張してくるんですよね。でも、技術的にダメなものはダメなんですよ。

佐々木)ダメなものはダメですよね。

澤村)だから、周りの大学の先生を見渡しました。しかし、教授までになってらっしゃる先生はベンチャー企業を起こさない。

佐々木)うーん。

澤村)ただ、60歳を過ぎた先生は起業します。生活困らないですし。でも、軌道に乗るのに5年、10年かかりますから、その頃には「疲れた」ってなっちゃうんですよ。

澤村社長

支援を成果で循環させる

--ふむ。

澤村)こう考えてくると、構図的に一番起業すればいいと思うのは30歳代、40歳代。20歳代はITはいいでしょうけれど、ものづくり系はさすがに経験が乏しいとできない。ところが30歳代、40歳代でベンチャー企業やってくれる大学関係者がいない。そして自分は技術者だ。そうしたら「あんた自分でやりなさいよ」となっちゃって。幸いにして、当時結婚しておらず自由に動きやすかったので「じゃあ、やりましょか」と。

結婚している今だったら、起業は難しかったかったかもしれませんできなかったですよね。子どもがいて、家のローンとかあったら、まず家族を守る責任がありますので、普通はできないです。

佐々木)できないですよね。

澤村)だから、30歳代くらいの人がベンチャー企業をやったらどうなるか、が分からなかったんです。2010年頃ですが、当時「日本にはイノベーションのエコシステムがない」と散々言われていました。しかし、支援機関の方々はいるんだけど、そもそもプレイヤーがいない、というのが真実だったと思います。ほとんど60歳を超えた大学の先生とかしか起業していなかった。

佐々木)うーん。

澤村)そこで仮説を立ててみました。やる気があるプレイヤーがいたとして、できるんならエコシステムはあるんでしょ、ダメだったらエコシステムに改善の余地があるんでしょ、ということになる。そこで、けいはんなプラザで起業して試してみようかと。

佐々木)へー!

澤村)起業の時に、みなさん「お金がない」とか「人がいない」とか、何かと言い分けを言うのですが、何もないところからできるのか検証しようということで始めたわけです。奨学金などの借金が1,000万円あり、もともとお金を持っていなかったということがありますけれども、かといってあまり少な過ぎるのも、と思って資本金は300万円にしました。また、前職の関係から人を連れてくるなんてこともしてはいけませんから一人で始めました。

--けいはんなプラザのことはすごく褒めてらっしゃいましたよね。「何もなくてかわいそうだから、と机と椅子を付けてもらった」とか(笑)

机と椅子

--ははは、そうでした!今思い出したら、澤村さんだけお若かったですよね。当時、起業して入居される企業の経営者は、50歳代、60歳代の方が多かったですね。

澤村)何が課題かっていうのも、自分がやらないと分からないので。

佐々木)そうそうそう!

澤村)いろいろ試しまして、改善が必要なこと、そもそもダメなことなど分かってきました。例えば、補助金だけもらって、雇用を増やしたり、成果を還元しようとしないのはダメだとか。

--しかし、よく自分を実験台に起業をしようと思われましたね。

澤村)セミナーなど散々参加さえてもらっておいて、何かしなければダメだろうと思ったんですね。ちゃんと循環するようにしないと。自分がやらないと説得力もないし、補助金いただいた分もちゃんと返すと。

佐々木)そうですよね。ほんとそう思いますよね。

やるしかない、使命感

--ビジョンについてはいかがでしょう?

澤村)エネルギー問題、環境問題の解決ですね。日本ってすごく技術の蓄積があります。当社はセラミックの分離膜を扱っているわけですが、当社だけで出来上がったものではありません。30~40年前から蓄積されてきたものなんですよ、かなり税金を投入して。ただ、事業化するという段階では、地道な最適化等の作業が必要となり、論文にならないので、大学では誰もやらないんです。だから企業がやるしかないのですが、既存事業ならともかく新規事業はなかなかやりづらいわけです。そのギャップがあるわけです。幸い、セラミックの分離膜は、すごく開発が進んでいたので、そういうのを上手く活かせば日本としては、環境分野で成長を目指せるところだと思ったんですね。

--ふむ

澤村)大学の研究と、事業化を繋げるところを支援する人が日本は圧倒的に少ないのですが、私自身はそこの

部分の教育を受けてきたので、なんかやらないと、と思ったんです。「博士課程を出ても役に立たない、役に立つ人材を育てましょう」と言われた時期に教育を受けてきましたし、今まで恩義を受けてきた大学の先生や文科省のためにも、やらないと、と。

--そうした中で、事業として軌道に乗せられると確信できたのはどういうタイミングでしたか?

澤村)確信はないですね。やらないといけない、しかなかったです。自分の人件費を究極までカットしてでも。

佐々木)使命感ですよねえ。そこでかき立てられるんですよねえ。

--セラミックの無機膜は、大手もやってる?

澤村)当社も大手もやってるのですが、最後までできていなかった、ということです。新しい技術の開発って、普通にやってたらできないですよ。失敗と改良を何度も繰り返して「今度こそいけるぞ」と思っても、やっぱりダメで、あきらめかけたところで、ちょっと進む・・・といった感じですから、よほど信念をもってやらないと、見逃したりするので、普通ではできないですよ。だから、お金があってもそれだけではダメで、逆に楽しようとか思ってしまうし、むしろお金が無くとも、無いなりに改善してやっていきますし。

佐々木)うんうん。

澤村)それが次につながったりするわけで、とにかく信念をもってやらなきゃダメだということですね。

--佐々木社長も澤村社長も、「使命感」を持ってなさってこられました。普通はなかなかそこまで使命感を持てないと思うのですが、お二人はどうして?

澤村)はじめは実験的な意味合いがあったのですが、途中から応援してくれる人が増えるんですよね。自分だけでやってるんじゃなく、いろんなものを背負ってくるので、やっぱり頑張らなきゃいけないという気持ちになりますよね。

--いろいろ苦労もなさってるでしょうけど、会社も徐々に大きくなって来られてますよね。

澤村)皆さんにも支援していただいて、おかげさまで楽しくやってますよ。

心地よいロボット、心地よいサービス

--では、次に宮下先生、簡単に自己紹介からお願いします。

宮下)ATRのインタラクション科学研究所の所長代理と、その中のインタラクション科学研究所のマネジメントを所長としております。私自身は研究者でして、ロボット、それからロボットと人とのインタラクションが研究領域です。インタラクション科学研究所というのはどんなことをしているかと言いますと、例えば触って感じるという相互作用だけだと、物理的な力のやりとりにしかなりませんね。人はそこから心地よいとか、不快であるとか、気持ちの方にまで影響が及びますので、その気持ちの変化まで含めた数理モデルを解明していく研究をしているのです。これが分かると、人にとって心地よく動くロボット、あるいは心地よいサービスの作り方などまで、設計論に落とし込んでいくことが我々の狙いですね。

ATR

--ほう。

宮下)かなり先の長い研究ではありますが、基礎研究としてやっています。一方で部分に目をやれば応用範囲が広い技術ですので、各企業の皆様と共同研究を進めています。例えば、マッサージチェアの会社は、マッサージをすることで快適を売ってらっしゃるわけですが、それをより快適にするために、どうすればいいのかについて研究を行いました。マッサージをしながらコミュニケーションをとる、指圧師さんがお客さんに話しかける際に、どんなタイミングでどんな状況下でどんなことを話しかけると。より快適かということを解明していくということですね。マッサージ自体の効果もこうしたコミュニケーションによって違ってくるそうです。

--ほう。

宮下)あるいは電動アシスト自転車について、一般の人たちは自転車がより「楽」になればと思って乗ってらっしゃると思いますが、自転車メーカー側は自転車の「楽しさ」を知ってほしいと思ってらっしゃるのです。要するに、ペダルを漕ぐ負荷が多少かかかって、運転の達成感を感じられるものですね。漕いでいて多少はしんどい、でもしんどいばかりは嫌だ、つまり、ちょっとしんどい方が乗ってて気持ちいい、達成感があるということです。被験者に自転車に乗ってもらって脳波、脈波など生態計測を行う実験を行っています。

--へー。

宮下)自動運転車でもそうですよね。運転の楽しみをいかに確保するか、自動運転でもいかに自分が運転しているように感じられるようにするか、それと安全をいかに両立させることが重要で、インタラクションの研究をしているということです。

新しい社会参画を促すアバター

--なるほど。

宮下)今メインで研究しているのはアバターです。アバターというのは自分の身代わり、CGエージェントとかロボットを指します。遠隔地からログインしてその人の代わりに作業を行わせるというもので、社会参加を促進する手立てにもなると考えています。外出しづらい、社会参画しづらい方が、CGエージェントやロボットを使って働けるようになれば、本人にも生きがいが増えるし、国としてもGDPの拡大にも繋がるし、ということになりましょう。働きたいと思ったら働ける、選択肢を増やすために、研究を進めています。

--重度の障害をお持ちの方とかにも、新しい選択肢を提供できる可能性があるということですね。

宮下)はい、私どもは研究開発が中心ですが、事業化を目指す民間企業との共同研究を進めていまして、すでにロボットカフェを実際に運営しています。例えばALS(筋萎縮性側索硬化症)の患者さんたちが遠隔操作型ロボットで給仕をして、対価をもらうということです。そして、働いて給料を得たら、障がい者支援費を減らされるという制度も、改善されたと聞いています。

--素晴らしいですね。

宮下)障害をお持ちの方だけでなく、例えば高齢者施設に入居しているご高齢の方も、アバターを通じて、例えば今までの自分の経験を伝えていくとか、パートタイムで働くといったことが可能になってきます。社会との繋がりを作っていくことができます。

--へー!

宮下)あるいはASD(自閉スペクトラム症)を持っているお子さんで、学校に行きづらいという方がいらっしゃるのですが、ロボットを介すと人と話しやすくなるケースも分かってきており、アバターによって学校に通うということも可能性が見えてきています。こういう研究を様々しているのです。

宮下先生

人に応じたインターフェースが鍵

--アバターの研究開発では、どういったところが難しいですか?

宮下)難しいところしかないですね(笑)。例えば、ユーザーの症状、状態に合わせて操作パネルをいかに設計するかとか。「こんな操作パネルではとてもじゃないが社会参画できないよ」という厳しい意見も多くいただいてきました。

--そうなんですねえ。

宮下)一方で可能性はすごくあるのは間違いないので、社会参画に繋がるインターフェースを作りたいと思っています。

--そのインターフェースがまさに先生の研究領域なのですね。

宮下)はい。実験しながら気づいたこととして、ASD(自閉スペクトラム症)の方って、問題解決能力が高いと思いました。ある別の実験でロボットを操作するという際に、ルールの範囲内でこのロボットを操作してこんな風にしてくださいというオーダーを与えると、ASDの方は、すごく早く適応されました。操作の仕方を探す能力がすごく高くて、直観力か観察力か分かりませんがすごく高いと思いました。一方で、ルールを外れないと解決できないようなオーダーに対しては、問題解決をしにくいようでした。こうしたある意味の特性に応じてインターフェースを作っていくことが重要なわけです。すごく可能性が見えているんです。

--素晴らしいですね。

宮下)こうして社会との繋がりを太くして、社会への貢献感を感じられるようになれば、自分の幸せにも繋がっていくのではないかと思います。

--そもそも先生の専攻は何だったのですか?

宮下)もともとは制御工学、ロボットを対象にした制御ですね。例えばロボットのたくさんの関節をどう制御するのかとか、ですね。そこから、ロボットの存在意義はやはり人のためだろう、人を中心にサービスを展開しないと意味がないと考えるようになって、人に興味の中心が移ってきていて、今はロボットと人の間のインタラクションを研究対象にしているといったところです。

人中心のDX

佐々木)宮下先生、実は私、ここでそのアバターを使ってALSの子どもたちを支援したいんです。これまで障がい者のデイサービスに行かせていただいた時に、ALSの患者の皆さんに出会ってきました。例えば「右手しか動かないけれど、トレーニングしてほしい」とか、残っている機能でなんとか自立した生活を送っていこうとされていました。障がい者の方のトレーニングにおいては、今まで自分が蓄積してきたトレーニングの概念すら、全てとっぱらわないと対応できないなと思って、いろいろ勉強して、今のトレーニングのスタイルが出来上がってきたんです。

--おお。

佐々木)ALSの子どもたちだけでなくて、在宅で居ながらも働ける仕組みを作っていきたいんです。以前、テレビで見たのですが、障がいをお持ちの方が、初めて給料をもらわれて、「もらった給料で何がしたいですか?」とインタビューされた時に、「お母さんにプレゼントを買いたい」って。ももも、もう、それ聞いたら号泣ですよねえ!

--今、佐々木さんの口から聞いても、号泣です。

佐々木)いつも一生懸命自分の世話をしてくれるお母さんにプレゼントをしたいんですという話を聞いて、なんとかしたいなと。私も今まで多くの施設を廻らせていただいてトレーニングをしてきまして、いろいろ見てきましたけれど、お互いに不幸になる状況っていっぱいあるし、それぞれの施設にも課題もあるし、一トレーナー、一受託事業者では解決できない課題がいっぱいありました。でも、働き方改革に繋がるようなことをやっていきたいと、ずっと温めていたんです。ですので、宮下先生、改めて相談させてください!

宮下)ええ!是非!AIでもロボットでも、「人」をよく見て、人間中心でないといけないと思うんです。そして、AIやロボットが人を排除するということではなく、それらを使って人をどうサポートするのか、何ができるようになるのか、どれだけ社会参加できるようになるのかをしっかり追求していくことが大事だと思っています。

--ロボットに仕事を奪われる、ということではなくって、ロボットに任せられることは任せて、人間はもっと違うこと、今までできなかったことをしましょうということですよね。その際、何ができるようになるのかをもっと考えましょうよと。

宮下)DXの議論でよく聞くのは、効率化を省人化で行うというものですが、それよりも、個々人の生産性を上げることの方が効果が大きいわけです。人中心で考えていってほしいなと思いますね。

佐々木)従来のアナログの時代って、いかにより質が上がるか、あくまでも人を中心に考えてたんじゃないかと思いますよね。

一緒に試す場づくり

--佐々木社長のこの場所の目の前に、ATRがあって宮下先生がいらっしゃるので、ぜひ、ここをロボットカフェにしていただいたら。

佐々木)ほんと、ここでやりたいんですよ。この前も石川さん(株式会社けいはんな)と一緒に障がい者施設を廻らせていただいてまして、障がいをお持ちの子どもたちが、生涯に亘りスポーツを楽しめる場所もまだまだありませんし。私自身、お子さんやそのご家族とずっと向き合ってきて、中には究極に苦しんでこられた方々もいらっしゃいまして、そういう方々と向き合ってきたからこそ、やっぱり使命感にかき立てられるんですよね。目の前に困っている人、苦しんでいる人がいるのに、手を差し伸べられる人が少ないというのが日本の社会です。制度がまだまだ追いついていないし、逆に制度の枠組みを外さないとできないことだらけなんですよね。だから当社は敢えて制度を外す方向性に舵を切ったんです。社会問題をいっぱい見てきました。

--制度を外してしまうと、お金が入ってこなくて困りませんか?

佐々木)お金は稼いでいかないといけないものです。いつまでも制度や枠組みに頼るものではなくって、やはり事業者が自力で立ち上げていくということをプロとしてやっていかねばならないと思っています。そりゃあ、保険と比べられたら、リハビリ一つとっても保険を使えば1時間1,000円だとしても、実費なら1万円とかになるわけで、今は皆さん1,000円の方を選択されるでしょうけれど、1万円の方を選択して頂けるように質を上げる、サポートを充実させていく、制度の枠でできないことを作っていくということが重要だと分かってきているので、地道な努力しかないなと思っています。

--ロボットを導入したいという人に分かってもらうためにもロボットカフェのようなものは重要ですね。

宮下)研究開発側でできることは限られる中で、社会受容性がどれくらいあるのかは、一緒になって作っていかないと分からないわけです。こんな技術があるんだということさえも、ご存じないのが普通です。なので、私たちは「これはこんな風に使えるんだよ」ということを、いろんな人たちに見せて「だったら、これはもっとこう使えるんじゃないか」ということを議論していく中で、社会受容性が上がっていくのかなと思うのです。社会受容性を上げるための取組は惜しまずやっていこうというのが現状です。

--そのためには多くの人の意見を得ることが重要です。一方で、障がいって人それぞれ違いますから、10人いたら10種類のインターフェースを作らなければならないですよね。それはすごく大変なことでは?

宮下)そうですね。考え方は多分2つありまして、1つはインクルーシブに作っていく。多くの人が共通して使えるものをベースに据えつつも、こんな人もあんな人も使えるような機能を付け足していくという作り方。

--ふむ。

宮下)もう1つは、バザール型。作るためのいろんなパーツを用意して、独自に自分たち用に作れるようにしておくやり方。ウェブアプリとかはこのやり方ですね。こうした爆発的に広がるようなやり方をしていかないと、五万と症例があるものには対応できません。そのためのAPIの整備や仕様の標準化といったところは、ATRが頑張りますし、その先に、バザール型が華開くと願ってやっています。

--ここにロボットを置きましょう!

佐々木)それがやりたいんですよ。学研都市だ、新しい仕組みだと言っても、それを見せられる状態にまだなっていないんですよ。けいはんなプラザに来て「学研都市やな」と感じられるものがなかなかないですし、ここをアンテナショップにしたいです。私は地元の人間なのに、何をやっているところか知らず学研都市に興味を持ったこともなかったのですが、けいはんなプラザに入居させていただいて、こうしていろんな人に会わせていただいて、「やっぱりここは誇るべき街や」って思うんですよね。

三人

20年後の未来を体感できる街で、40年後の未来を考える

--おお。

佐々木)それと、今度「子ども未来会議」っていうのを立ち上げていこうとしています。私自身はスポーツばっかりしてきたのですが、その反省も踏まえ、スポーツだけでなく勉強も含めて文武両道を推進してきました。子ども達にいろんな夢を持たせてあげるのに、「学術研究都市」っていう、こんなに特別な場所に居て、そこが一切スパイスとして入ってこないっていうのは、豊かじゃないですよね。これだけの仕組みが作られている街なので、もっともっと発信していきたいなあと思うんです。今、外国の方も含めてどんどん集まって来てくれているので、「みんなで子ども未来会議せえへん?!」という話をしています。自分たちが大人になる社会をどういう風に作っていきたいのか、自分たちも社会を作る一員なんだよっていう場ですね。小学校6年の息子にこの話をしたら「国なんて偉い人が作っていくだけやろ!?」って言うので、「違うで、みんなで作るんやで!」って言ってるんですけど、こういう思いを出せる場所を作ってやりたいなあと想っているです。環境で子どもは変わりますから。そこに、障がいを持っている子も、入ってもらって、みんなでやろうという話がちょうど始まったところです。ぜひ来て頂いて。

--むしろ我々も一緒にやりましょう。

佐々木)学研都市ってこうなんだよ、学研都市で暮らすってこうなんだよっていうのを発信していければ、順送りで繋ぐっていうことができるんじゃないかと思うんですよねえ。

宮下)研究所で研究開発している技術が世に出て行くのには20年かかるんです。80年代に研究開発していた技術が携帯電話に載ったのが2000年頃なんです。

佐々木)へえ!

宮下)そういう研究をしている研究所が、わんさかある。例えば、人が眠っていて夢を見ていると、どんな夢を見ているのか分かりますとか、念ずれば動くようなデバイスを作ることも、既にできる状態にあります。さきほどのアバターも、アバターを動かすことで、新しい遺伝子が発現するというようなことも研究されています。

佐々木)すごい!!

宮下)人類が次のステップを踏めるように進めているのですが、これらをダイレクトに社会に投入すると、20年後の未来がすぐにできるはずなんです。20年後の未来を体感した上で、40年後の未来を考える場とする。

佐々木)楽しい!!!

宮下)それを子ども達にぜひ考えてほしいですね。それと「国が決めるんだ」という考え方を変えて、「自分たちで作るんだ」という風になってほしいですね。

--今日、なんかむちゃむちゃいい話になりましたね(笑)

佐々木)行政も頑張ってくださいね!(笑)

--はひっ!(笑)

佐々木)それにしましても、実際にはいろんな歯車が合わなくなってきた時代なんでしょうねえ。隣の人は誰か知りませんみたいな世の中になってきています。「お互い様、おかげさま」っていう言葉も聞かなくなってきましたし、古き良き日本の良さが崩れていっているようにも思いますね。だからこそ、先ほどの「使命感」でやっています。

宮下)新しい倫理観や道徳観って、作っていかないといけないんですけど、それに制度やみんなの考え方が付いてきていないというのが今の状況だと思うんです。しかし、せっかく科学技術が集まっている街なので、ここから倫理観や道徳観、さらには新しい制度がどうあるべきか、提言として出せると大変意味があるなと思うんです。私どもとしては、いろんな人が社会参画できる社会というのを、今なら作れるはず、作っていきたいと思いますね。

--最後、澤村さんもひとことお願いします。

澤村)分野はロボットじゃないですけど、エネルギー、環境訪問で何か貢献できればいいなと思います。また、子どもとか地域の方々の理解ってすごく重要だなと改めて思いました。それと20年単位で考えていくということになると、やはり最終的には人が大事だなと思いました。私自身、会社を立ち上げましたが、突き詰めて考えていくと、結局、人の問題に行き着いたんですよ。どんどん事業を大きくしようと思うと、人を増やさなければならない、そういう時に地域でいい人材に参画いただいて、また事業が大きくなって、という循環を生んでいきたいなと思います。

--皆様、今日はお忙しいところ、どうもありがとうございました!

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