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更新日:2021年4月14日

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福知山城の5つの魅力を徹底解剖 墓石などを使った石垣とは?

※この記事の内容は2021年3月9日時点のものです。

『麒麟がくる』は終わってしまいましたが、ドラマからもわかるように明智光秀はその生涯でいくつかのお城を築いています。その一つが京都府の北、福知山市に立つ福知山城。お城ファンにも人気の高いお城です。光秀が丹波を平定した折に築城し、何もなかった由良川の河原に新たな城下町を築きました。福知山音頭にある「ドッコイセ」という掛け声は、このお城建設の時に領民が資材を運ぶ掛け声がはじまりといわれ、光秀は福知山市民から良君として慕われています。今回は光秀の築城当時から残る城の石垣と北近畿唯一の天守閣を持つ福知山城の魅力をご紹介します。
 

福知山城とは


【Google map】

福知山城があるのはJR・京都丹後鉄道「福知山駅」から東へ約15分歩いたところ。由良川のすぐ側に立っています。


福知山城の模型

市街地を一望する福知山盆地の中央、標高約40mの台地に立ち「竜ヶ城(たつがじょう)」の別名があります。立派な天守閣は昭和の再建で、2017年に「続日本100名城」にも選ばれました。

 

動画で福知山城を見よう!

動画内容
◎見る角度によって様々な表情を見せる外観
◎石垣に使用された500個以上の「転用石」
◎城の本丸にある井戸としては日本一深い「豊磐井」
◎場内に展示されている光秀の書状
◎福知山の市街地を一望できる天守閣 など 福知山城の魅力をたっぷり詰まっています。
 

福知山城の歴史

福知山城ができたのは天正7年(1579)頃。丹波を平定した光秀が、さらなる西国攻略に向けた拠点の一つとして横山城とよばれた山城を拡張して石垣の天守台と天守閣を持つ城を築き、娘婿の秀満を城代としました。本能寺の変が起きるのはその3年後で、その後は羽柴秀長などが、関ヶ原の合戦の後は有馬豊氏らが城主となりました。寛文9年(1669)からは朽木氏が城主となり明治維新まで約200年、13代にわたり福知山を治めました。


明覚寺

明治6年(1873)の廃城令により残念ながら石垣と銅門番所(あかがねもんばんしょ)以外はすべて解体。二ノ丸があった台地は削り取られ、城門は観瀧寺、正眼寺、法鷲寺、明覚寺の山門として移築され、それらは福知山市の重要資料に指定されています。

現在の天守閣は「瓦一枚運動」など市民の熱意で昭和61年(1986)に再建されたもので、江戸時代初期天守閣の様式を忠実に再現した3層4階の望楼型。天守閣の高さは鯱までいれると約20mもあります。
 

福知山城の見どころ

その一 なんといっても転用石を用いた石垣!

福知山城の見どころは、なんといっても光秀が築城した当時の面影を伝える、この石垣。よく見ると野面積の石にまじって五輪塔や墓石、宝篋印塔(ほうきょういんとう)、石臼まで入っています!

これは転用石といって織田信長に関わる城に共通するもの。諸説ありますが旧勢力の象徴である寺院から石を集め石垣にすることで支配を示そうとしたのではないかと言われていますが、光秀は石を集めただけでなく代用の石も配ったというエピソードも残っています。また、当時は石垣用の石の流通が整備されておらず、石垣用の石が早急に手に入らなかったから周囲の石を集めたのではないかともいわれています。

銅門番所の横に転用石が展示されていますが、転用石は石垣の中に181個、天守台内部から出土したものが321個で合計502個もあるのだとか!

そしてちょっと引いて石垣を見ると斜めに線が入っています。発掘調査により天守台の裏を突き抜けて反対側(東側)まで伸びていることが判明しました。光秀時代の天守閣はもっと小さかったそうなので、おそらく右側の石垣が光秀時代に積まれたもの、左側が後で積み増しされたのではないかといわれています。

その二 なかなかニクイ仕掛けの石落・狭間

お城好きな方にはお馴染み、城防御のために作られる石落(いしおとし)と狭間(さま)。石落とは建物や塀の床の一部に設けた穴。ここから石を落としたり鉄砲を放ち、登ってこようとする敵を攻撃しました。通常、石落は1階の屋根下にあることが多いのですが、福知山城では2階の隅に配しているので、「石落はないな」と思って石垣を登ろうと思ったら上から石が降ってくるという、なかなかニクイ仕掛けになっています。

狭間は天守や櫓、塀などに開けられた鉄砲や弓を射るための穴。用途により穴の形は異なり、福知山城では四角が弓、三角が鉄砲の狭間になっています。

その三 取り壊しを逃れた銅門番所

廃城令で取り壊しを逃れた建物の一つ、銅門(あかがね)番所。かつては二ノ丸の登城口、現在の市役所の東側にありましたが大正年間に本丸に移されました。城の歴史を物語る貴重な建物です。

その四 最上階・望楼からの眺め

特に北側の窓から見る景色が最高。遠く山並みが見渡せ、酒呑童子で知られる大江山や織田信長の『信長公記』にも登場する鬼ヶ城が一望できます。また、蛇行して流れる由良川や城下街もよく見えますよ。

その五 日本一の深さを誇る井戸

天守閣入口前にあるのが豊磐(とよいわ)の井戸。深さが50mもあり城郭の本丸内の井戸としては日本一の深さ。城の隣を流れる由良川の川底より深いのだそうです。井戸の名前は江戸時代の城主であった朽木稙昌(たねまさ)の父、稙綱(たねつな)の神号「豊磐稙綱命」にちなんだものです。ちなみに、この井戸には抜け穴があり、二ノ丸にあった横穴に通じているという言い伝えがあるんですって。
 

天守閣で明智光秀や福知山城について学ぶ

天守閣の中は展示室になっていて、光秀や福知山城について、また江戸時代から明治まで福知山を治めた朽木氏にまつわる展示が行われています。

天正6年(1578)に光秀が奥村源内に宛てた丹波攻めについて記した手紙(複製。本物は明智光秀を祀る御霊神社所蔵)、娘婿の秀満による天寧寺を保護する判物(はんもつ)文書(複製。本物は天寧寺所蔵)、また大河ドラマと共に閉館した「福知山光秀ミュージアム」で展示されていたパネルなどの一部を展示しています。


『家中軍法』 御霊神社 所蔵 福知山市教育委員会 提供

中でも見ものは、本能寺の変の一年前に制定された『明智光秀家中軍法』(写真右、複製。本物は御霊神社所蔵)。18条からなる軍法で、織田家中に軍法は存在しておらず画期的なこと。

前半の7ヵ条は戦場におけるルールで、後半の11カ条は石高に対する軍役負担(軍事上の負担)が書かれています。面白いのが戦場におけるルールで、戦場では大声を出したり雑談してはいけない、勝手な行動をしていけない、連絡をきちんとするということが記されていて、ちょっと校則みたいですね。

 

また天守閣では「御城印」もいただけますよ。「福智山城」の文字は古文書からとっているのだとか。料金:300円 販売場所:福知山城天守閣
 

領民に愛された光秀による城下町づくり


御霊神社

『麒麟がくる』で光秀の印象が変わったと思いますが、福知山の人々にとって光秀は善政を敷いた良い領主。わずか3年足らずの統治でしたが、様々な善政を行ったことから城下には明智光秀の霊をまつる御霊神社があります。
御霊神社は元々、宇賀御霊大神を祀った神社でしたが、江戸時代に福知山で火災、水害、地震など災害が頻発。それが「光秀の祟りではないか」と考えられるようになり、本能寺の変から100年以上たった宝永2年(1705)、光秀の霊が合祀されました。光秀は一体、どんな善政を行ったのでしょうか。その一部をご紹介します。

地子銭の免除

西国の要衝となる城下町の商業を発展させるため、地子銭(じしせん=屋敷にかかる税)を免除し、経済発展に力をいれました。光秀の霊を祀る御霊神社の宮司さんにお話を伺うと「当時、この辺りは地侍や盗賊が多く、光秀はそれらを排除して住みやすい町にし、地子銭を免除したんです。これは明治に地租改正が行われるまで続いたんですよ。すごいことですよね。これにより福知山は早くから商工業が栄えたんです。そういうことも光秀が領民に愛された理由だと思います」。

城下を水害から守った「明智藪」

福知山城下は由良川と土師川が合流する地点にあり、たびたび川が氾濫を起こしていました。そこで水害から領民を守るため、街中まで蛇行していた(推定)由良川を北に付け替えて城下町建設で発生した土を使って堤防を築いたと伝えられています。それが写真に写っている「明智藪」。現在も由良川沿いを歩くと見ることができます。また昔は水運が物流の中心。そこで川港を整備し由良川水運の物流拠点となるようにしたのだそうです。
 

お城を撮影するならここ!


伯耆丸公園から見る福知山城

お城を見たらステキな撮影もしたいですよね。おすすめの撮影スポットは、ゆらのガーデンや裁判所前辺り、お城の上り口にある陸橋から撮るのがおすすめ。また美しいアーチを描く昇龍橋越しのお城や、少し離れていますが伯耆丸(ほうきまる)公園から撮るのもいいですよ。

雪化粧をしたお城もキリっとした表情でステキ!
 

お城は恋愛成就のパワースポット!?

ところで福知山城にはハート型の石垣があるんです。東側の石垣に3つ、西側の石垣に1つ、城の入り口にもなっている「昇龍橋(しょうりゅうきょう)」の石積みの上流側、下流側それぞれ1つずつで計6つ。側室を持たず、正室である煕子(ひろこ)だけを生涯愛した光秀にあやかり見つければ恋が叶うともいわれているので、訪れたらぜひ見つけてくださいね。

 

■■INFORMATION■■

福知山城
場所 京都府福知山市字内記5
電話 0773-23-9564
時間 9:00 ~ 17:00(入館は16:30まで)
休館 火曜日(祝日の場合は開館、翌日休み)
料金 大人320円、小中学生100円

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