KYOTO,JAPAN IN DUBAI

2025年 | 2024年 | 参考情報
 
京都は、創業数百年という老舗企業が数多く存在するとともに、伝統技術から現代社会を支える様々な先端産業が生まれてきた土地であります。しかし、時代の変遷の中で、老舗企業を支えてきた古来の伝統的なエコシステムは徐々に衰退しています。また、先端産業においてもグローバル化の大きな潮流によって、その基盤は常に不安定なものとなっています。そこで、京都・日本の伝統産業や先端産業にとって、よりスケールの大きな、そして全く新しい価値を付与してくれる、世界規模の新しいエコシステム形成を構築するため「Kyoto Japan in Dubai」を新たに開始しています。(Global Hub KYOTO/グローバル・エコシステム)
Kyoto is home to many long-established companies that have been in business for hundreds of years, and is also a land where various cutting-edge industries that support modern society have been born from traditional techniques. However, as times change, the traditional ecosystem that supported long-established companies is gradually declining. Furthermore, the foundations of cutting-edge industries are constantly becoming unstable due to the major trend of globalization. Therefore, we will newly launch "Kyoto Japan in Dubai" to create a new ecosystem on a global scale that will add completely new value on a larger scale to traditional and cutting-edge industries in Kyoto and Japan. I decided to do so.
KYOTO,JAPAN IN DUBAI 2025
	- 2025年2月10日~12日、ドバイ・ワールド・トレードセンター
 February 10-12, 2025, Dubai World Trade Centre
アブダビとの連携事業(調整中)Collaborative project with Abu Dhabi (under coordination)
 


Topics | 開催結果 | 記者発表 | 参加募集(補助金情報) | 主催者| スポンサー募集
 Topics
	
		
			| ドバイを基点に世界の投資家、アフリカ・インド市場と接続!(出展95社、来場12,000名)
 ドバイ訪問記
    (1)集積する投資家「日本市場にとどまらず、どうして早く世界に持ってこないのだ」などの投資家の熱いエールが多く、大型資金調達に成功した例も生まれました。
 (2)日本の品質を希求「3日間商談が途絶えず、京都とアフリカでの量産体制整備を決意した」「アフリカ諸国中心に相談を受け、所期の目的である市場調査達成」「サウジアラビアの飲食店経営者が購入を決定してくれた」「現地ディストリビューターを確保できた」など、日本の品質を希求されており、伝統産業等にも大きな市場があることがわかりました。
 (3)アフリカ・インドへの道これまで日本があまりアプローチしてこなかったアフリカ、中東、インドとの繋がりができ、次なるビジネス基盤構築のきっかけになりました。
 
				京都府においても、ビジネス基盤構築のための関係団体等との足掛かりを築いてきました。
 --40万社が集まるドバイのフリーゾーンのひとつ「シリコン・オアシス」との意見交換会を開催しました。また王族との晩餐会では、カレーライスのような食べ物を皆で囲んで、右手で直接食しました。遊牧民時代の伝統的な食べ方だそう。
 
    
 --アジュマーン首長国の工業団地(機械金属、樹脂成形、半導体関連等)とその工業地帯に立地する企業の関連会社・輸出代理企業の社長宅での懇談
     | 
	
日時 Date and time
2024年1月22日~24日 January 22-24, 2024
会場 Venue
DUBAI WORLD TRADE CENTER(外部リンク)
来場者数 The number of visitors
12,000名
 
 
	
		
			| アワード結果(模範となる出展企業を実行委員会で選定) 
 
				大賞:MIRROR TOKYOファッション。現地向けにカスタマイズしたサービスが大反響
 
 
				破壊的イノベーション賞:叶友家畜成長促進剤。食糧問題・畜産原材料高騰の解決
 
 
				創造的デザイン賞:コスメディ製薬世界初のマイクロニードルによる美容製品
 
 
				ビジュアルインプレッション賞:ヒロセ工業機械金属業。中東向け商材に手応え
 
 | 
	
スケジュール Schedule
	
		
			| 投資家向けピッチ   
 | 
	
1月22日10時~18時:BtoB商談会/調印式・投資家向けピッチ会
DAY1 10時00分-18:00:B to B business meeting/Ceremony & Pitch meeting
	- 10時00分 開場/開会セレモニー/狂言パフォーマンス(オフィスKAJA河田氏)(予定)
- 11時00分 調印式 京都府(西脇知事代理・山下副知事)×ドバイ政府観光局
- 11時30分 調印式 日本(慶應義塾大学 藤末健三教授)×UAE大学(カナディアン大学ドバイ校)間協定
- 13時00分 Keynoteスピーチ(ドバイ商工会議所日本オフィス)(予定)
- 13時30分 投資家向けピッチ会(Group1)
 (1)リジェネフロ株式会社、(2)株式会社Halle Game Lab、(3)株式会社ゆずプラス、(4)白糸酒造株式会社
- 14時30分 投資家向けピッチ会(Group2)
 (5)株式会社フロムハンド・株式会社Snowf、(6)株式会社水玄京、(7)W&Co.KYOTO、(8)ミツフジ株式会社
- 15時30分 トークセッション「日本発スタートアップの中東・海外進出の未来と展望」
 カタリストインベストメントグループ株式会社代表取締役・米田岳氏、同取締役・山本泰史氏、Mr.SULTAN ALI ・RASHED LOOTAH氏(予定)、サイキックVRラボ社長・山口征浩氏
- 16時30分 投資家向けピッチ会(Group3)
 (9)ネーヴェ合同会社、(10)Planetway Japan株式会社、(11)株式会社フクオカ機業、(12)有限会社叶友
- 18時00分 閉会
1月23日10時~18時:BtoB商談会/テーマ別トークセッション
DAY1 10時00分-18:00:B to B business meeting/Talk session
	- ALL DAY 出展企業インタビューFacebook生配
- 10時00分 開場/狂言パフォーマンス(オフィスKAJA河田氏)
- 10時45分 オープニングトーク
- 11時00分 トークセッション1「How to Connect Hidden Japanese Creater 未知の可能性を秘めたジャパニーズクリエイターとの繋がり方〜ゲーム、アニメ、食、アート、フード〜」
 BitSummit主催チーム 村上雅彦氏、スケルトン・クルースタジオ株式会社スタジオマネージャー・石川武志氏、京都府ものづくり振興課長・足利健淳)
- 15時00分 トークセッション2「ドバイ×日本企業の成功方程式〜商習慣や文化が異なるドバイにて日本企業が発展、成功する道筋をディスカッション」
 DENSO SALES MIDDLE EAST & NORTH AFRICA(DSMN)奥谷社長、Planetway 株式会社代表取締役CEO・ 平尾憲映氏、Mui Laクリエイティブディレクター・廣部延安氏
- 16時30分 トークセッション3「女性リーダーが感じるドバイ市場の魅力」
 ドバイ政府観光・商務局・シェイカ氏、YUNA STYLE服部由奈氏(予定)、株式会社マイコエンタープライズ代表取締役・坂上舞、株式会社MYコンパス代表取締役・岩橋ひかり
- 17時45分 クロージングトーク
- 18時00分 閉会
1月24日10時~15時:CitizenDay/伝統産業トークセッション、アワード表彰式
DAY3 10時00分-15:00:CitizenDay/Corporate performance & Awards ceremony 
	- 10時00分 開場
- 10時30分 オープニングトーク
- 11時00分 狂言パフォーマンス(オフィスKAJA河田氏)
- 11時40分 伝統産業トークセッション1
 金属工芸協同組合(株式会社中嶋象嵌・中嶋龍司氏、有限会社りんよ工房・白井亮助氏、Chikako Ueda ・ 數間千香子氏)
- 12時00分 伝統産業トークセッション2
 株式会社松竹撮影所京都製作部・永島聡氏、有限会社フクオカ機業・高山祐華氏他、叶松谷代表・叶具夫氏
- 13時00分 アワード表彰式
- 14時30分 閉会セレモニー
- 15時00分 閉会
後援

記者発表 Press announcement 
2023年11月27日(月曜)/京都府 旧本館 旧正庁にて開催(記事:京都、日経、読売、電波)(動画:Facebook)
 
 
2023年11月9日(木曜)(反響記事一覧)
 
 
 
 
 
 
参加募集 Recruitment of participants 
 
 日程 Schedule
2024年1月22日(月曜)~24日(水曜)
 January 22-24, 2024
	- 【DAY1時01分月22日】開会式、BtoB商談(VIP等向け含む)、投資家向けピッチ会
- 【DAY2時01分月23日】BtoB商談
- 【DAY3時01分月24日】BtoC商談、VIPパーティ
(視察ツアー:1月25日、24日(予定))
	
		
			| スケジュール(目安です) 
				10月11日 出展申込開始(参加申込みフォーム(外部リンク))10月20日 主催者説明会開催(18時~19時/京都経済センター3F KOIN11月下旬 電源・備品・下記取扱い申込み開始11月30日(12月15日まで延長) 参加申込締切12月中旬 オプショナルツアー申込み締切12月15日 参加料支払期日1月上旬 航空便商品搬送の手続開始 | 
	
 会場 Venue
DUBAI WORLD TRADE CENTRE(外部リンク)



 参加対象 Participation target
優れた先端科学技術、伝統技術、食、映像・ゲーム・アニメなどのコンテンツ・テクノロジーを有する企業 100~200社(うち京都約半数)
100 to 200 companies with outstanding cutting-edge science and technology, traditional technology, food, content and technology such as video, games, and animation.
 
 
  
 
 内容・参加コスト Contents/participation cost
 
	- 展示商談会(アラブ首長国、ペルシア湾岸各国に集積する世界の大企業向け)
 【出展料(1コマ(3m×3m)110万円、半コマ55万円)、造作費用】
	
		
			| 割引特典「京都合同(割引)ブース」(京都府内に本社登記のある20社限定) 【テーマ】<1社1件資金調達及びスポンサー獲得を目指す!>  スタートアップ企業をはじめ、世界中の投資家からの資金調達やスポンサー獲得を目指されている多くの京都企業の皆様がこのイベントを機に飛躍的に発展していただけるよう、京都府が出展金額の一部を負担することで、出展料金が割引となるブースをご用意する予定です。 【参加条件】  1.明確なエクイティストーリーが描けること(投資家へのプレゼンができる)  <エクイティストーリーの内容>事業内容・収益構造・ターゲット市場・自社の強み(独自技術、ビジネスプラン等)・競合他社への勝ち筋・KPI、成長戦略 等
  2.上記1.を実現するための資本力が不足していること 【参加負担額】 出展料を20万円割引(京都府補助) | 
	
 
	
		
			| 割引特典(京都府内に本社登記のある10社限定) 参加料を20万円割引(京都産業21補助) | 
	
 
	- メディア確約プラン
 【プラチナコース:1100万円、ゴールドコース550万円、ハッピーコース330万円】
- 商品プロモーションプラン
 【33万円】
- 越境EC、現地店舗確約プラン、現地商工会議所・その他要所視察ツアーなど
 【調整中】
- その他経費は【渡航費、宿泊代】等
 
  
 
	- 主催者:KYOTO,JAPAN in DUBAI EXPO with ダイバーシティ 2024実行委員会(BORDER ZERO:株式会社マイコエンタープライズ、株式会社UTO、他)
- 共同主催者:京都府(ものづくり振興課 担当:足利、大空、水口、坂井、濱田)
 Kyoto Prefectural Office
- 協力:ドバイ政府(観光商業マーケティング局)、ドバイ商工会議所、アブダビ商工会議所、シャルジャ商工会議所、アジュマーン商工会議所、フジャイラ商工会議所、ウンムアルカイワイン商工会議所、ラスアルハイマ商工会議所、京都産業21
	
		
			| 知事ビデオメッセージ撮影中(前編・中編・後編)      京都府の西脇知事、山下副知事、上林商工労働観光部長と
 | 
	
スポンサー募集 Looking for sponsors
ご協力いただける企業様を募集しています。(主旨説明) 
We are looking for companies that can cooperate with us.(Main idea explanation)
	
		
			| 様々な分野に広がりつつあり、多くの皆様に協力を求めております。 
				文化庁訪問
    | 
	
	
		
			| Youtube ドバイ発展の歴史と現在 ドバイが求める日本 | 
	
 
	
		
			| アラブ首長国連邦(UAE)について 基本情報 7世紀以降はイスラム帝国、次いでオスマン・トルコ、ポルトガル、オランダの、17世紀以降は英国の支配を受けるも、1968年における英国のスエズ運河以東撤退宣言を機に独立達成の努力を続け、1971年12月、アブダビ及びドバイを中心に6首長国が統合して結成した。 
				首都:アブダビ面積:83,600平方キロメートル(日本の約4分の1。北海道程度)人口:約989万人(2020年世銀) 政治体制 アブダビ、ドバイ、シャルジャ、アジュマーン、フジャイラ、ウムアルカイワイン、ラスアルハイマの7首長国による連邦制 
				議会:連邦国民評議会(ドバイは定数40に対し8議席を持っている)元首:大統領=シェイク・ムハンマド・ビン・ザーイド・アール・ナヒヤーン殿下(アブダビ首長)首相:副大統領=シェイク・ムハンマド・ビン・ラーシド・アール・マクトゥーム殿下(ドバイ首長) 経済状況 天然資源依存型経済から脱却するため、豊富な天然資源収入を背景に活発な投資を行い、製造業やサービス業等の産業多角化を推進中。ドバイは商業・運輸・物流のハブとして発展 
				名目GDP:4,211億ドル(2019年世銀)(石油産業4割)<日本:49,719億ドル(2018年IMF・WEO)>輸出額:3,064億ドル【原油・天然ガス(日本が最大の輸出相手国)、原油製品等】(2020年UNCTAD)<日本7,515億ドル(2022年)>輸入額:2,264億ドル【自動車、機械、電化製品等】(2020年UNCTAD)<日本9,026億ドル(2022年)>1人当たり名目GDP:43,103ドル(2019年世銀)<日本39,306ドル(2018年IMF・WEO)>GDP成長率:-0.25%(2019年:世銀)<日本0.81%(2018年IMF・WEO)>物価上昇率:-2.08%(2020年世銀)失業率:2.23%(2019年世銀)交通:ドバイ本社のエミレーツ航空は世界の150都市以上に運航。2009年開通のドバイ・メトロ(三菱商事、三菱重工業、大林組、鹿島建設らの共同受注)は全線自動運転 文化・教育・生活 国民が圧倒的に少数という現状から、政府は伝統的な文化の保存・保護や国民意識の形成に力を入れている一方、寛容な文化政策を採っており、特にドバイなどでは各所のショッピングモールなどで各国のポップカルチャーや食文化を楽しむことができる。 
				教育:小学校6年、中学校3年(義務教育)、高校3年、大学4年の6・3・3・4制アラブ料理:イスラム教の法で禁じられる豚肉は使用せず、羊肉や鶏肉がよく使われる(「マチュブース」「フムス」「ケバブ」など)。スポーツ:サッカー(1973年プロリーグ化)、クリケット(国際本部)、競馬(例年3月には1着賞金世界最高のドバイワールドカップも開催)、ブラジリアン柔術が人気。伝統的競技としてはラクダレース、鷹狩も行われている。水の確保:海水を淡水化(石油を燃やして海水を蒸留/ドバイでは、膜フィルターや人工降水の研究が進む) ビジネス習慣 基本的には保守的で、人間関係をとても大切にします(良い関係が築けなければビジネスに進めないため、人間関係構築のため世間話は重要です)。契約時も記載内容だけでなく、口頭での内容も重視するそうである。 
				握手:性別が異なる場合はしてはいけません(同性のみ。ただし、許可を執れば異性でも大丈夫です)。握手後に右手を胸に当てるようです。初対面:プレゼントを渡す習慣があるようです(同性のみ)。ただし、酒類、豚肉、貝などハラムのものは不可週末:金曜日と土曜日 日本との関係 アラビア石油株式会社を創設したことで有名な山下太郎氏(1889年生まれ)は、日本の戦後復興のため、1957年にペルシャ湾岸海底油田の開発利権を獲得し、1960年にカフジ油田を掘り当て、当時100%米国頼りだった日本の石油の15%を補うことができました。やがて、UAEに対しては、資金と技術力(炭酸ガス圧入法など)を提供し、アブダビ油田(海上・陸上)の権益(1969年~。2015年からも40年間)ほか、上部ザクム、下部ザクム、サター、ウムアタルク各油田の開発と一部権益を確保しています。そして、2009年から共同石油備蓄事業を始めており、鹿児島県の石油タンクをUAEの石油会社に貸して、東アジアへの供給拠点にしています。なお、2022年からのロシア経済制裁後、高騰した石油の値段も、同国が石油増産姿勢を見せたことで、価格が安定してきました。日本は、1971年のUAE成立時に、最初に認めた5か国の1つで、1973年、1974年に互いに大使館を置いています。
   経済産業省資料「UAE概況」(外部リンク) | 
	
 
	
		
			| ドバイ首長国について(外部リンク) 基本情報 ペルシャ湾に面し、漁業や真珠の輸出を産業の主とする小さな漁村だったこの地に、アブダビの首長ナヒヤーン家と同じバニー=ヤース部族のマクトゥーム家が、1830年代にアブダビから移住したのに伴ってドバイ首長国が建国された。 
				ドバイ市のみで構成(都市国家)面積:3,885平方メートル(埼玉県ほど)人口:約348万人(2021年末、ドバイ統計センター) 政治体制 他のアラブ首長国連邦の構成国同様に世襲式の絶対君主制を採っている。議会選挙は行われておらず、結党の自由も認められていない。 
				首長:シェイク・ムハンマド・ビン・ラーシド・アール・マクトゥーム殿下市長:ダウード・アブドルラハマーン・アル・ハジリー氏 経済状況 1958年のアブダビにおける油田の発見に続き、1966年にドバイ沖の海底油田が発見された。 しかし、石油埋蔵量の少なさ(UAE全体の94%がアブダビでドバイは4%に過ぎない)により石油依存型経済からの脱却を志向せざるを得なかったドバイは、特に1980年代の半ば頃から経済政策として産業の多角化を積極的に進めた。国を挙げて中東における金融と流通、および観光の一大拠点となるべくハード、ソフト双方のインフラストラクチャーの充実に力を入れた。特に、外資の直接投資の自由や外国人労働者の雇用の自由を完全に保障する経済特区により、その結果、日本やアメリカ、イギリスなど世界各国の大企業がドバイに進出。市内や一大リゾートエリアとして開発されたジュメイラ・ビーチ周辺には超高層ビルや高級ホテル、別荘などが立ち並んでいるほか、多くのショッピングモールやテーマパークが建設されており、中東経済のハブとしての開発が加速している。2010年代以降は観光客や商業、金融だけでなく、ベンチャーを含むハイテク分野の企業・人材の誘致に力を入れており、空を飛ぶドローンタクシーや3Dプリンターによる大型建築など新しい技術導入の実証実験や規制緩和に積極的です。付加価値税が2018年に導入されたものの、法人税や所得税、現地住民の雇用義務がなく、外資が進出しやすい状況である。 商業や観光、金融といった第三次産業の発展により、GDPに占める第一次産業の占める割合は減り続け、石油の割合も2%以下となっているが、現在も漁業が盛んに行われているほか、砂漠地帯ではアラビアンデザートダイアモンドが採取できる。 アメリカのシンクタンクが2017年に発表した総合的な世界都市ランキングにおいて、世界28位の都市と評価されており、中東の都市では首位である。 
				名目GDP:約12兆円(石油産業1%台)(茨城県、広島県とほぼ同じ経済規模)一人当たりGDP:42,884ルと高水準(英国、フランス並み)観光収入:約3.5兆円(世界1位)(日本全体で4.6兆円(2018年)産業戦略:「世界の研究室」を目指す(3Dプリンター建築、電気・水・食料を自給するサスティナブル・シティ、ドローンタクシー、超高速列車ハイパーループ、火星移住計画) 歴史背景 過去に英国保護領であったことから、英国の影響も多く受けています。王族は英国で教育を受け、アラビア語と並んで英語が公用語で、欧米諸国の中では英国人が最も多く住んでいます。エレベーターにはGボタンがあり、コンセントもBFタイプです。また、アラブコーヒーの国でありながら高級ホテルではアフタヌーンティーが勧められ、ラクダの国でありながら競馬「ドバイワールドカップ」が開催されている。ビッグ・ベンやロンドン・アイに倣った建築物も建てられている。一方で、ドバイにおけるアラブ人の割合は13%に過ぎず、インド人が多くを占めています。今日のドバイの反映はインド人なくしてなかったと言われている。
 現首長シェイク・ムハンマド・ビン・ラーシド・アール・マクトゥーム殿下の父であるシェイク・ラーシド・ビン・サイード・アール・マクトゥーム殿下は、油田発見にもかかわらず、埋蔵量の少なさを考慮し、非石油産業の経済・産業路線を敷きました。UAEの首都アブダビ国際空港が国際便を独占する中での、エミレーツ航空の設立(2015時点でドバイ国際空港の旅客数は世界1位)、貿易の要となる大規模人工港の開港(2014年のコンテナ取扱量は世界9位)、自由貿易地域(フリーゾーン)の開業(100%外資の参入を認め、50年間税金免除)などを次々と進めた。
 フリーゾーンは、当初、ドバイの知名度が低く、鳴かず飛ばずであったが、1990年の湾岸戦争勃発に伴い、CNNがドバイに拠点を置いたことで、ドバイの安全性への認識が広まったことがきっかけで、多くの外国企業と金融機関が集積するようになった。
 さらには2001年の同時多発テロ以降、米国や英国からの厳しい目線により、それまでそられの国で運用していたオイルマネーの資金運用先がドバイに向けられたことも、ドバイの開発を後押しした。
 そして、リーマンショック後の、2009年のドバイショック(政府系持ち株会社であった「ドバイワールド」と、その傘下の不動産会社「ナキール」に対する欧米の金融機関の債務約590億ドルの支払猶予を、ドバイ政府が求めたことが、かえって欧米の金融機関の信用不安を掻き立ててしまった)では、UAE中央銀行やアブダビ政府の支援があったものの、株価の急落や通貨相場の乱高下を招きました。しかし、世界最大の人工島パーム・ジュメイラ、世界最大の額縁ドバイフレーム、世界最大の噴水サ・パーム・ファウンテン、世界最高の建築物ブルジュ・ハリファなど、様々な世界一の観光資源を作ることで「世界一が集う観光都市」として、ヒト・モノ・カネが集積し復活を遂げている。
 
				10万年前:槍の穂先が現在のドバイの地で見つかっており、当時、この地域の大部分が草原で、狩猟採集民が家畜を飼育していたと考えらる。紀元前3000年頃:広大なマングローブの湿地が干上がり、居住が可能となった。紀元前2500年頃:遊牧民が定住し、ナツメヤシ農園を定着させ、農耕時代が数世紀続いた。400年代:現在のイラクとオマーンを繋ぐ交易キャラバンの停留所にもなった。1580年:ベネチアの真珠商人の日記から、漁業、真珠獲り、造船業のほか、この地を通過する商人(金・香辛料・織物商人)向けの宿泊・飲食業が営まれていたことがわかってる。1793年:バニヤス族がアブダビとドバイに定住開始(ドバイはアブダビの属国)。アル・ファヒディ要塞が築かれた(現在もアル・ファヒディ歴史地区として当時の趣が感じらる)。1820年:インドが英国の植民地だった時代、英国船の航行が増加する中、当時の首長国と海上での争い(海賊)が多く、英国はバニヤス族その他湾岸周辺部族と停戦条約を結ぶことで、この地の支配権を独占し、この地は英国の保護領となり、交易の重要拠点となった。1833年:バニヤス族のマクトゥム・ビン・ブッティがアブダビから追いやられ、この地に定住し、アブダビからの独立を宣言(現在もこのアル・マクトゥム王朝がドバイを支配)。1894年:外国人労働者の免税を認める新規制により、インド人やパキスタン人の貿易商人をはじめ、外国人労働者が押し寄せ、貿易がさらに発展1900年代前半:依然として中心産業は漁業、真珠採りで、真珠船300隻以上、真珠1グラムが金320グラムに相当した(1917年)。1950年代:日本のミキモト社により養殖真珠が発明されると、真珠産業が崩壊し景気が低迷1958年:シェイク・ラーシド・ビン・サイード・アール・マクトゥーム殿下(現首長シェイク・ムハンマド・ビン・ラーシド・アール・マクトゥーム殿下の父)がドバイ首長即位1959年:ドバイ空港開港、自由貿易地域(フリーゾーン)開設1966年:ドバイ沖合で石油を発見。これを機に殿下のリーダーシップとビジョンにより、ドバイの開発を開始(ドバイ・ワールド・トレード・センター、ラシド港、ジェベル・アリ港、ドバイ・ドライドックス、ドバイ・クリークの拡張、エミレーツ航空の設立など)1971年:英国から独立し、アブダビらと共にアラブ首長国連邦を形成1973年: UAEディルハムを同国の通貨として採用1985年:エミレーツ航空設立1990年:シェイク・マクトゥム・ビン・ラーシド・アール・マクトゥーム殿下(現首長シェイク・ムハンマド・ビン・ラーシド・アール・マクトゥーム殿下の兄)がドバイ首長即位2001年:パーム・ジュメイラ建設開始2002年:ドバイ国際金融センター開館、ドバイ砂漠保護区開設2004年:ブルジュ・ハリファ基礎工事完了2006年:シェイク・ムハンマド・ビン・ラーシド・アール・マクトゥーム殿下がドバイ首長(UAE副大統領兼首相)即位2009年:ドバイショック。ドバイメトロ開業2010年:ブルジュ・ハリファ開業2021年:ドバイ万博開催   日本アラブ首長国連邦協会(ドバイ)(外部リンク) | 
	
 
	
		
			| 中東に石油が多い理由 石油は生物の死骸に由来すると言われています。海や湖の中でプランクトンなどの生物が死ぬと、その死骸が海や湖の底に溜まり、やがてその死骸に高温と高圧が加わることで石油に変わります。あるいは、地上の草や木などの植物が朽ち果てて溜まった地層からも石油ができます。いずれも、数百万年以上もの長い年月がかかります。 中東の辺りには、太古の昔、テチス海という大きく浅い海が存在していました。温暖な気候でプランクトンがよく育ち、陸地に囲まれ海流が循環しにくい海であったため、プランクトンの死骸が溜まりやすく、石油ができやすい場所だったのです。ちなみに日本にも油田はあり、新潟県や秋田県、北海道など、日本海側で石油が採掘されています。大昔の日本はユーラシア大陸とつながっており、当時の日本海は陸地に囲まれていたため、テチス海と同様にプランクトンの死骸が溜まりやすかったのです。 |