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京都府では、年4回鴨川探検再発見と題して小学生を対象にして、鴨川の体験イベントを開催しています。
今回は、25年度第1回目の開催となりました、6月23日(日)開催の第31弾「春の鴨川ウォーク 水辺の自然観察会」の様子をご紹介しましよう。
鴨川を歩いているだけでは見えない、川の中の小さな生き物や、草むらに隠れている昆虫や植物を親子合わせて100の目で追いかけ、そっと捕獲して観察してみました。
京都土木事務所に集合した参加者は、ご案内いただくNPO法人の皆さんとご対面そしてスケジュールの説明を受けていよいよ鴨川へ。みなさん何が出てくるかと目を輝かせながら鴨川へと足を運びます。
<NPOのみなさんの自己紹介>
<何が出るかな?>
いつもは見えない小さなバッタも草を分け入ると次々と姿を見せてくれます。早くも“ショウジョウバッタ”の赤ん坊が「ぴょんぴょん」と飛び跳ねています。
<ここに何かいるよ>
<ショウジョウバッタを見つけたよ>
一行は2班に分かれて川の中と、河川敷へと向かいます。川の水は数日前の雨のおかげで水量も申し分なく、澱みなく流れる水は少し冷たく“におい”も気になりません。
<続々と川班が川の中へ>
<ひんやり冷たい水が心地よいです>
子供達は、指導員の皆さんに“コツ”を聞きながら“ガサゴソ”と網を岸際や川底へと潜り込ませます。
<こうすると魚が網に入るよ>
最初に捕獲されたのは、水の上をスイスイ走る“アメンボ”です。比較的動きも小さくて網で簡単に捕まえることができる“アメンボ”はみんなが捕まえて、バケツは“アメンボ”だらけとなっていました。
<バケツにアメンボ、エビ、ヤゴが入りました>
<しばらくするとアメンボだらけに>
そして、“沼エビ”。このエビも“外来種”で繁殖力が強く、鴨川ではほとんどの川エビがこの種だそうです。
そして、川底に石に付着したかたまりをほぐすと、川の虫が出てくるんだよと若き指導員さんからお話を聞きます。
<こうしてほぐすと、あれ?・・・>
<みてみて、アメンボゲット>
<それはこの虫ですね とても生命力が強いです>
そして、小さな魚がゾクゾクと網に入ってきます。“オイカワ”や“カワムツ”の稚魚と思われる小さな魚たちが姿を見せてくれました。
<お魚も捕れました>
<川底に棲む魚も>
そして、トンボです。“コ オニヤンマ”“ハグロトンボ”“シオカラトンボ”が次々と川の中で捕獲されました。
<これはコオニヤンマですね>
生き物は、魚、川虫、昆虫だけではなくて、植物も生き物です。指導員さんはそれを紹介する準備として、寄州に生える植物をじっくり観察して採取していただいていました。
<これは何だろう?>
お子さん達だけでなく、保護者の皆さんも鴨川で捕獲した魚や水中に住む虫たちを見て熱心に指導員のお話を聞いて「なるほど」と納得されていました。
<これが”ぬまえび”で、こっちは”オイカワ”ですよ>
少しバケツを覗かない間に、もう一つのバケツに意外と大きなお魚が入っていました。指導員さんに「これは“ナマズ”ですか?」と尋ねると「ナマズと同じ科ですが、“ギギ”といいます」とのこと。名前だけは昔から聞いたことがありますが、目の前にして“ギギ”とは頭に浮かびません。さすがは指導員さんです。
<ヒゲも生えていて“ナマズ”みたいですが“ギギ”です>
そして、川の中班と河川敷班の交替です。今度は河川敷の昆虫たちを見つけます。子供たちの目は大人の目を遥かに大きな好奇心で圧倒し、いろんな昆虫を見つけ出します。
“ゴミムシ”“コガネムシ”“バッタ”などなど。前号でご紹介しました、すずめが食べていた“コガネムシ”は動きも遅く次々と捕獲されていました。
<コガネムシ ピントがあっていませんが・・・>
指導員のみなさんも、図鑑を片手にこれは何だろうと予測しながらページをめくり、「何処にいた?」と聞いて「それじゃー”この虫”の仲間だね」と子供たちの問いに答えていただきました。
<指導員さんがお持ちになった鑑賞用のコンパクト収納できるカゴ>
<かごの中には“ハグロトンボ”“ショウジョウバッタ”>
「“かなぶん”見つけたよ」と見せてくれた少年でしたが、危険を感じた時にお尻から出す体液を手のひらに受けてしまいました。
<この液体が嫌な臭いなんです>
昆虫観察でも“保護者の皆さんのほうが童心に帰って”と感じるくらいに「一生懸命網」をかざしておられました。そんな姿に、釣り人も「寄州」にいる昆虫採集をお手伝いいただきました。
<それ!それ!届かない>
<釣り人にも“コガネムシ”をゲットしていただきました>
まったくピントが合わなくて残念ですが、カメムシの幼体(ナガメ)というのを見せてもらいました。これがカメムシとは知らずにみたら判らないと思います。指導員さんも、「子供たちはテントウムシと思って捕まえたようです」と言われました。
<羽も無くカメムシ?という感じです。ここから変体するそうです>
そして、まとめの時間が来ました。みんなで階段に座って指導員さんから今日探した生き物たちの解説をしていただきました。
<指導員さんの話に耳を傾けます>
ここが今日の“ハイライト”。今日の復習です。「今日見た“バッタ”は何というバッタですか?」という指導員さんの問いに「ハイ!」と手を上げた子供たち。「ハイ君」と指された子供でしたが、「何やったっけ?」と保護者に尋ねる一幕もありましたが、ちゃんと“ショウジョウバッタ”と思い出してくれました。
ショウジョウバッタは、体の色が「緑」「茶色」とありますが、カメレオンの様に保護色で色が変化するのではなく、生まれた時から体の色は変化しないそうで、人類の「肌の色」と同じ性質だそうです。
私もかなりの田舎育ちですので、思い出しました。“ショウジョウバッタ”は大きくなったところを脚先を揃えて摘むと跳ねようとして足を曲げ伸ばしします。
その動きが昔の織機の“ギッタン、バッコン”という動きのようなので、「ハタオリバッタ」と呼んでいました。
話はそれましたが、昆虫に続いては植物のお話です。今回は子供たち自身で植物を「これは何?」という場面は少なかったのですが、鴨川を歩いて一番目にすることができるのが、その場から移動しない植物です。
「この植物は“クリスマスリース”を作るのに最適です」とか「この草は“ハーブ”の仲間です」とかそれぞれの特徴を説明いただきました。
<こんな風に輪にして“リース”づくりに適しています>
そして、“コガネムシ”“トンボ”の説明の後、今回「捕った」と子供たちに実感が大きかった「水生の生き物」の解説です。やはり、川の中の生き物は自然体で目視することが出来ない世界でもあり、興味は大きいようです。
<これが代表的な“コガネムシ”です>
川に入り、大人に教えてもらった方法で網を操り見事に“自分自身”で捕まえた小魚を河川敷で見守る保護者に見せに走る子供たちの得意そうな顔は“達成感”で満ちているようにも見えました。
「どんな魚を捕りましたか?」の問いに手を上げた男の子。「ギギ」との答です。この子があの“ギギ”をと皆さんが思ったことでしょう。
<これがギギの姿>
そしてお開きとなりましたが、その後も子供たちは魚や昆虫を観察していました。
<これはカメラに収めましょう>
そんな観察グッズの中でも優れものとみんなが思ったのがコチラです。
<緑の容器は上からものぞけますが、もっと優れものです>
<うわ~よく見える>
<横の黄色い出っ張りから覗くと腹が見えました>
<アメリカザリガニをつかんで見せてくれた女の子>
小魚なんかの腹側の様子が鏡を通して見えてしまう“優れもの”です。これなら魚だけでなくてもいろんな小さな生き物を下から観察できそうです。
「それめっちゃええやん」「君の腹も黒いのか、どんな色か見えるかもね」との言葉も聞こえてきました。ちなみに、お魚の腹は綺麗な白い腹でした。
終了後には、虫や魚を自由にしてあげて無事終了いたしました。
平成25年6月24日(京都土木事務所Y)
鴨川真発見記では、これまでに鴨川で生活する生き物を数多く御紹介してきました。その中でも冬期に飛来し春には北へと帰っていく「カモ」は種類も多く愛らしい仕草で鴨川利用者の目を楽しませてくれます。
これまでに鴨川で目にしたカモは「マガモ」「カルガモ」「オナガガモ」「ヒドリガモ」「コガモ」「キンクロハジロ」「ヨシガモ」「カワアイサ」と8種類です。
<マガモ オス・メス>
<カルガモ オス・メス不明>
<オナガガモ オス・メス>
<キンクロハジロ オス・メス>
<ヒドリガモ オス・メス>
<ヨシガモ オス>
<カワアイサ オス>
6月中旬の現在鴨川で目にするカモは「マガモ」「カルガモ」「マガモとカルガモの交配種」で、鴨川や近くの池で繁殖し子連れの「カモ」の群れも目にします。
カモの交雑種は、マガモのトレードマーク「青い頭」が少し茶色にくすんでいたり、カルガモのトレードマークのくちばしの先が黄色なのに体の模様がマガモの雌だったりと良く見ると見分けが出来るようになります。
そんなカモの様子を見ていて「ん」と思う光景に出会ったのが5月1日のことでした。他の渡り鳥のカモたちが姿を消していく中で、一羽の「ヨシガモ」のオスが「マガモ」のオスと二羽で過ごしていました。
<遠目にはマガモが二羽のように見えますが>
同じ種のカモが仲良く並んで、同じタイミングで同じ仕草をする光景は良く目にしますが、違う種類のしかもオス同士のこの光景が目の前にありました。
<手前「マガモ」奥「ヨシガモ」 同じ方向を羽繕い>
<今度はこっちとかけ声でも掛けているかのようです>
もしかして、この「ヨシガモ」・・・同性のパートナーを見つけて鴨川に根を下ろすつもりなのかと考えていたのを思い出します。
<仲良く泳ぎだしました>
そもそも、この「ヨシガモ」・・・以前は鴨川にもちょくちょく姿をみせていたそうですが、近年では珍しく鴨川へ飛来したとのことで、鴨川真発見記第51号「今シーズン初の野鳥」もの【緊急追伸】で御紹介させていただきました。
<仲良くお休みです>
その後、深泥ヶ池に群れを目撃し「はぐれ者」かなと思っていたところです。
そして一月半が経過した6月中旬に、今度は一羽で水浴びをしているところを目にしてしまいました。さっそく「日本野鳥の会京都支部」へ報告すると、「この時期にヨシガモ?変ですね~。体調が悪くて渡りを見合わせているのでしょか。観察していく必要がありますね」とのこと。
<これはもしかして「ヨシガモ」>
<バシャバシャと水しぶきを上げています>
<確かにヨシガモです>
「鴨京都へ・・・」というドラマも放映されましたが、「“ヨシガモ”鴨川から離れず」といったところでしょうか。
この記事を作成して約2週間後の6月25日の朝、あの「ヨシガモ」はまだ鴨川に残っていました。おそらく、以前一緒に過ごしていた「マガモ」と一緒です。
<今回も遠目にはマガモが2羽に見えますが>
<近くで確認すると「ヨシガモ」でした>
日本野鳥の会京都支部へ報告すると、「“ヨシガモ”が鴨川(京都)にとどまるのをはじめて聞きました」とのことで、鴨川真発見記では「カワアイサ」に次ぐ「新発見」となりそうです。
も“しか”して鴨川を好きになったかもしれないのが「鹿」です。これまでからも鹿が鴨川・高野川で目撃されることは多々ありましたが、今年は少々その頻度が高いようです。
ある日、鴨川の巡視中のことです。真っ昼間に賀茂大橋の下流に鹿が歩いていました。鴨川の利用者の方が警察に連絡されたようですが、「自然のままにしておいてください」との応対に少々ご立腹のようでした。
<広々とした鴨川で水に足を浸けて涼んでいるようです>
<高水敷の騒ぎをよそに悠然と歩いています>
<真っ白なお尻を見せて上流へと向かいました>
しかしながら、お巡りさんが登場され「鹿が賀茂大橋下流の川の中を歩いています」と無線連絡をされていました。土木事務所では鹿の対応は出来ない旨をお話してその場を後にしました。
街中を走り回ったりすれば捕獲して山へと返すのでしょうが、川の中に居るだけなので人の迷惑にはならないということです。
高野川では連日夕刻になると姿を現していて、「近所の方が今日も居るね」とか「今日は見えないね」といった会話が耳に入ってきます。
<堂々たる姿の“鹿”です>
どうやら中州・寄州に茂った草を食べて居着いているようです。先日も犬の散歩をされていた男性が、「大きな鹿が毎日のように現れる」とお話されている最中に、上流から若者に追いかけられた鹿が走ってきました。脅かして川から上がってきては大変です。
御蔭橋上流の寄州、背が高く茂った草の間から姿を現したのは、鹿の親子です。山の中では食べ物が不足しているのか、鹿の数が増えすぎたのか、鴨川にエサを求めて降りてきているようです。
<コチラは親子 茂みの中へ消えていきました>
農作物を食い荒らす「害獣」として扱われている鹿ですが、鴨川の草はいくら食べても誰も苦情は言わないようですので、今のところはそっとしておきましょう。
平成25年6月20日(京都土木事務所Y)
みなさんが「鴨川」と聞いてイメージされるのは、市街地を流れる姿ではないでしょうか。鴨川は市街地の北端である「柊野」から上流へ約9キロの位置に一級河川としての起点があり、さらに上流にいくつかの源流があります。
柊野からわずか2キロ余り上流付近で川の中へと降りてみると、ひとつ砂防ダムがあります。ゴツゴツした大きな岩が林立する渓流の顔が現れます。柊野堰堤は市街地と上流域を隔てる砂防堰堤ですが、その上流にも2箇所の砂防ダムが設置され、一度に大量の土砂が下流域へと流れ込むのを“とうせんぼ”してくれています。
<新緑が鮮やかです>
<大きな岩がゴロゴロしています>
<柊野の一つ上流の砂防ダム(堰堤)>
このダムの下流に水が落ちて少し深くなった溜まりの部分を上から眺めると、なんとも綺麗に底が見えます。水深約3メートルほどだそうです。でもここで潜るのはよしましょう。底の方の水温はかなり低く心臓にショックを与える程だそうです。
<澄んだ水で底が透けて見えます>
市街地にもあるのでしょうか、高木によじ登った“藤”が人でいう“カツラ”のようにその花をつけています。今風にいうと“ウイッグ”とでもいった装いです。
鴨川の源流域のひとつに位置する「志明院(しみょういん)」を訪ねました。この階段を登り奥へと進むと一筋の流れが鴨川の源流として姿を現します。その流れは社務所を通り途中に多くの流れと合流しながら桂川合流点まで約27キロの旅にでます。
<志明院の山門>
<この階段の奥に鴨川の源流の一つが浸みだしています>
<源流からの流れは植物に命を与えながら流れていきます>
<志明院近くの山には京都市の天然記念物「シャクナゲ」が群生しています>
寺の近くには「鴨川新発見記」第88号でご紹介しました「葵祭」で使用される「双葉葵」が広範囲に自生している場所もあります。
<こんなにたくさんの双葉葵が>
志明院の方によりますと「毎年“鹿”に食べられてしまって・・。でも今年はなんとか残りました。」とのコメントです。立派な「双葉葵」が見事に広範囲に自生していました。
<鹿の食害をまぬがれて>
傍らには方々の山からのいくすじもの流れが合流し、“さわがに”の姿が見えそうな沢が形成されています。
<小川よりも小さな流れです>
この綺麗な水が柊野までいろんな流れと出合いながら進んできます。柊野堰堤の水はそんな渓流の水が集まる集合地点。バーベキューは禁止されていますが、お弁当を持って“水遊び”には鴨川でも至極のスポットです。
<水辺に親しむベストスポット>
<青空の下親子で水性生物を観察するのもイイですね>
これから迎える夏場には多くの人でにぎわう柊野ですが、この綺麗な水を汚さないように気持ち良くお楽しみ下さい。楽しんだ後はゴミの持ち帰りに御協力を御願いいたします。
平成25年6月5日(京都土木事務所Y)
よく耳にする言葉に「実りの秋」という言葉があります。収穫のイメージは秋という先入観が初夏の実りのイメージを薄くしているような気がします。
あえて初夏の収穫をというと「イチゴ」かな、と思いますが、鴨川の木々には初夏の実りが見えます。
春の開花を経た木々は、実りの初夏を迎えました。美味しい「サクランボ」とは品種が違いますが、ヤマザクラは青い実を付け、赤く熟し、真っ黒になって枝を離れていきます。ムクドリなどの野鳥がこの実をついばみます。
<ヤマザクラ 花開いた順に熟していくのでしょうか>
<最後は真っ黒に色づきます>
<花の勢いに比例するのでしょうか コチラはびっしりの実です>
サクラに先んじて春一番に花を咲かせた“アンズ”も実を結びました。緑の葉に囲まれて気付きにくいですが、立派な実がぶら下がっています。
<中央にアンズの丸い実が付いています>
<写真撮影時から少し経過して 熟してきました>
<こんなに大きく立派な実も落ちていました>
こちらの木には、野いちごのような実が沢山実っています。自然の恵みを鴨川の生き物達をはぐくんでいます。
<野いちごのような実がたわわに>
川の中で「カモ(アヒル)」が藻を食べています。普段目にするお食事シーンは川の中に頭を突っ込んでお尻をあげたポーズだけで、水の中の様子は見えません。この日は“たまたま”よく見える護床ブロックに生えた藻を食べるシーンを見ることが出来ました。
<ブロックに生えた藻を食するカモ>
<親の後ろを追いかけて泳ぐだけだったヒナも各自で食事>
<ヒナの成長を見守る親ガモ>
この藻、ヘドロと勘違いされることもありますが、「カモがヘドロを食べることは無いでしょう」ということで藻です。
今度はスズメです。遠目にスズメが何かを咥えようとして、ビー玉を弾くように何かがスルっとはねます。近づくとスズメは逃げて行きました。残されたのは小型のコガネムシです。全部の足が半分くらいの所でもぎ取られ、前に進むことも出来ない様子です。
それをやり過ごし、少し進んで振り返るとまたスズメが帰ってきました。「ムダな努力、それは食べられ無いでしょう」と内心思いながら観察してみました。
<羽を覆う甲殻が剥がれました>
<さらに振り回します>
何度も何度もくわえようとしては弾きを繰り返すうちに、なんと固いコガネムシの羽を覆う固い甲殻が剥がれ、スズメはそこから食べることが出来ました。
これもまた、勝手に無理と決めつけていた固定概念を覆された瞬間となりました。
昆虫も初夏の恵みに舌鼓です。川の中に咲いている花に“モンシロチョウ”“モンキチョウ”そして“アゲハチョウ”が取り付いて、蜜を食しています。タイミング良くストロー状の舌を伸ばしたシーンが撮れました。
<アゲハチョウ 最盛期を過ぎた菜の花の蜜をいただきます>
<自身の体長よりも長い舌を伸ばして>
<こ~んなに長いのですね>
子育て真っ最中のツバメも川面を自由自在に舞ながらエサを空中キャッチしています。皆さんも経験があると思いますが、この時期河川には小さな虫が集団で頭の上にたかります。人間には“ウザイ”存在ですが、ツバメには大切な食料です。
<水面を飛ぶツバメはカメラで捕らえられませんが、休息から飛び立つ瞬間>
<お腹をすかせたヒナの待つ巣へ>
この小さな虫を狙っているのは、ツバメだけではありません。水の中からも嬉しそうにジャンプしながらキャッチする小魚たちです。夕暮れ時、太陽の光を浴びてキラリと光る魚の姿を連続してみる事ができます。
<小魚ジャンプ一番>
<もう少し拡大>
<太陽の光を受けてキラリ>
<少年も小魚を狙います>
「鴨川で目にする魚は鯉だけ」とおっしゃる方もありますが、この光景を見ると“どうして、どうして”沢山いるようです。
<確かに鯉は目立ちますが・・・>
この様子をみて、改めて「食物連鎖」という言葉の意味をかみしめるのでした。
(京都土木事務所Y)
<おまけ>
ある日、低く流れる霞がちょうど大文字の「大」を隠す瞬間に遭遇しました。
このあと、霞は通り抜けていきました。大衆演劇の女形の役者さんが、登場の際に被る手ぬぐいを連想するシーンでした。
<夢芝居でも踊りましょうか>
“比叡山”はと見ると、天女の羽衣のようにかすみを裾野にまとっていました。
霞の演出ひとつでいろんな顔をみせてくれます。
<羽衣をまとって舞い上がりましょうか>
送り火の山々の顔といえばやはり文字の部分かと思います。鴨川・高野川から見える「大」「法」「舟形」の顔に表れた新緑に注目です。
「法」「舟形」はバックの部分に新緑が現れ、文字の部分の地肌が読みとれます。ところが、「大」は文字の部分に新緑が現れ、バックの地肌がそのままなのです。
<かすかに“法”と読めます>
<“舟形”も緑に覆われています>
<“大”だけ・・・・?>
何か理由があるのでしょうか?少々気になって、京都市の所管課にたずねてみましたが、タネも仕掛けも無いとのお答えでした。植物の種類が違うのでしょうか。
平成25年6月5日(京都土木事務所Y)
鴨川真発見記も少し建設業界のお役に立てるかなと「第2回 京都建設技術フェア」にお邪魔しました。
後にバブルと呼ばれる昭和60年ごろからでしょうか、建設業(土木)の職場の3K(危険、汚い、キツイ)という言葉が巷に広がりました。その後、大学では「土木」という言葉が学科名から姿を消し、市民工学や都市システム工学といった学科名に移行しているようです。
「土木」という言葉に対する学生等のアレルギーを感じ取った各大学の対応だったのでしょうか。今回ご紹介します「建設技術フェア」開催は、主催者が信念とされていること、「道路や橋梁、河川や下水道などの公共施設の整備が進み、人々は今そこにある便利な道路などが当たり前と思っている。その整備に関わっている人々の姿がかすんでいるのは社会的に問題だ!」という思いも根底にあってのことと思います。
注:主催者は、建設関連の研修セミナー、ソフトウエアの開発・販売、コンサルティングを手掛ける建設業サポート企業です。
公共事業をはじめとする社会基盤整備に携わる人々のおかげで快適な生活が出来ている事、そしてその仕事に従事することの「ヤリガイ」を多くの人に知ってもらいたいと感じます。「あの橋はお父さんがこんな風に関わったんだよ」とか「みんな見て、私が設計した砂防堰堤よ」なんて自慢が出来るのが土木(建設)の仕事だと思います。
<受付 笑顔でお出迎え>
そんな、熱い思いの「建設業フェア」が「鴨川真発見記」と何の関係があるのかと思う方もいらっしゃると思います。
私ども土木事務所としては、建設業者の皆様が確実に工事を進めて頂いてこその公共事業の推進であり、災害という非常事態への緊急対応や除雪といった生活環境確保への取組には、建設業界の皆様のお力やご協力が欠かせません。
それにはやはり建設業界の将来を担う人材確保が必要です。そのためのイメージアップに協力は惜しみません。
<200名の3回入れ替え 延べ600名が受講したCPDSセミナー>
<セミナーの休憩時間には各企業のブースが賑わいます>
<主催者も無線で指示を出しながら走ります 大忙し>
今回のフェアには、京都土木事務所からもパネル展示をさせていただいきました。2年前、鴨川三条~四条間の工事現場の仮囲いに掲示しました、鴨川の明治から昭和初期の写真をA0サイズで展示しました。
<京都土木事務所からの展示資料のコーナー>
<A0パネルの説明 工事現場の仮囲いに掲示しました>
また、災害に関心が高まる中で昭和10年の大水害時の鴨川の被災状況や、前90号でご紹介しました昭和10年の大水害の紙芝居」も展示させていただきました。
併せて「鴨川真発見記」のPRもちゃっかりさせていただきました。
<鴨川真発見記冊子版も並べていただきました>
<昭和10年の大水害写真と当時の「上賀茂小学校記念誌」に基づく紙芝居>
先程も御紹介しましたとおり、このフェアでは企業ブースがPRを実施しておられたのですが、その中で興味を引かれたブースを紹介したいと思います。個人的興味ですがご容赦ください。
<会場には沢山のブースが並びました>
最初は、コンクリート耐震補強が本職なブースなのですが、通りかかる参加者を“ガゼン”興味津々にさせてしまうものがありました。
それは、カメラ搭載のラジコン飛行体、あえてヘリコプターとは言いません。興味を示したある方は「オスプレイか?」という4つのプロペラで安定飛行の空中撮影ラジコンです。
<4つのグラスファイバー製のプロペラで舞い上がります>
災害時に、人の目視では不可能な上空などから被災箇所を確認するには絶好の機器と感じました。現在は、堰堤や調整池などの上空から見ないと全体の様子が見えない工事完成写真にも利用され始めているそうです。
最近被害が多い「トビ」が上空から狙う「食べ物」を旋回しながら見るとどんな感じなのか、皆さんにこれは警戒せねばと認識していただける映像も見てみたいですね。単純に鴨川の様子も見たい興味で一杯なのですが・・・。
<トンビからは、手に持った食べ物はどんな風に見えるのでしょうか>
次に興味を引いたのが、「建設業の経営をITで管理するシステム」です。こちらは、CPDS単位取得セミナーの対象でお話されていたのですが、今日は午前中に出水期前水害対応訓練をしていましたので、午後からの参加で講義には間に合いませんでしたが、資料を見せていただいて理解しました。
<頂いた“システム”の資料>
生まれてこの方「土建屋」という宮脇さん、ブースには「土建屋魂」の文字があります。「土建屋」の経営管理をITシステムで管理するものです。大分県からお越しいただいた“このシステム”にはヘビーユーザーもおられるそうで、資料の表紙の見出し「現場から生まれた“理論”と“実践”」裏表紙の「現場の利益を叩き出すノウハウはここにあり。」に興味引かれる人は是非お問い合わせください。
<写真左が常務取締役の宮脇恵里さん 土建屋に生まれ育ちました>
<セミナー後のアンケート時には多くの方から声が掛けられました>
そして、今回の展示の中で若者の発想力豊かな展示がありました。未来の京都の姿を想像してというか、こうあって欲しいというのでしょうか、大学生達の考える京都の将来の姿には興味深いものがありますね。
<京都市内の様々な大学の生徒が未来の京都を描いています>
<中には当所管理の“嵐山公園付近”嵐山地区の様子も>
<未来の嵐山のイメージはこんな感じ>
今回の最後にご紹介しますのは、土木のイメージアップにも力が入っているコンサルタント会社さんです。建設業に従事する中で実際にあった心温まるエピソードを綴った本を制作されました。施工業者の胸にグッとくる話や、土木などの事業に対する思い入れなど約500の短編から厳選された61話が掲載されています。
<試読版「建設業で本当にあった心温まる物語>
その中に、「鴨川」にまつわるお話が1話ありましたので、御紹介させていただきます。第8章「こころやさしい建設マン」に掲載されています。
お話の内容は、工事の際のポンプでの水吸い上げに伴い、魚やカメが死んでしまうことがあります。
この魚を活かして鴨川へもどしてやろうと、一人の作業員がポンプを止めて自前で作業員全員分の網を買ってきて、工事作業を中断し魚の救出作業にあたった話です。
<実際の文章>
別の工事ではあると思いますが、鴨川の三条から四条での護岸工事の際にも、同じ様な場面に遭遇したことがあります。この時は丸々太った「鴨川のヌシ」のような“ウナギ”とフリスビーくらいの大きさの“すっぽん”も確保、放流しました。その時の様子をPDFで見る(PDF:766KB)
<確保された大きな“ウナギ”>
<高価で取引されそうな“スッポン”>
ここでも見つけた「こころやさしい建設マン」です。建設業のイメージアップで「こころやさしい建設ウーマン」も増えてくれることでしょう。
<主催者の皆さん 最後に記念写真>
主催者・スタッフの皆様「お疲れ様でした!そして今回の“フェア”大成功おめでとうございます!!」
平成25年6月12日 (京都土木事務所Y)
これまで鴨川のいろんな姿を御紹介してきた「鴨川真発見記」ですが、現在の鴨川はいつ頃造られたか御存知でしょうか。古くは平安時代や江戸時代など、その時代の必要に応じた河川工事が行われてきましたが、直近のものは昭和10年(1935年)の大水害がきっかけとなりました。
そこでこの昭和10年の大水害のお話を何回かに分けて御紹介しようと思います。
昭和10年6月28日から29日にかけて降り続いた大雨は鴨川ばかりでなく大小の河川を氾濫させ京都のまちは大きな水害に見舞われました。。
<三条大橋も「まっぷたつ」>
今回は、鴨川でも上流域の「出町」以北から「上賀茂」地域付近を御紹介させていただきます。
と、その前に、この水害の様子を伝える貴重な資料に出会いました。「防災紙芝居 水禍(みずのわざわい)~昭和10年『京都大水害』資料集」(昭和25年3月1日、上賀茂学区社会福祉協議会編集・発行)です。
この資料集は、上賀茂社会福祉協議会の久保田真由美さんのご尽力により実現しました。
<復刻された記念誌と資料集>
久保田さんは、東日本大震災ボランティアに行かれた時、地元で語り継がれた災害教訓が多くの命を守ったという事実を聞き、「語り継ぎ」の重要性を肌で感じられたそうです。
そんな折、上賀茂小学校に昭和10年の災害を記録したものがあると知りました。運命的な出会いとなりました。
<当時の記念誌表紙と筆者説明>
水害当時は上賀茂高等尋常小学校。子供たちが水害体験を絵や作文にしたものに、学区内の被害概要などを加え、学校記念誌「あほい」特別号が作られました。
原版の写し「記念誌」を見る(PDFファイル)(PDF:6,560KB)
<橋の崩落の絵も添えられています>
<屋根の上で助けを求める人が描かれています>
<土嚢積み 仮橋もかかりました>
久保田さんは、この記念誌の複刻とあわせて、子供たちの作文や絵をもとに「防災紙芝居」を作成されました。
各地で未曾有の災害が頻発している昨今、78年の時を経て複刻したのも、記念誌が「忘れた頃にやって来る」災害に備える心がまえの一助になることを祈ってのことです。
<ナレーション作成者の久保田さんから紙芝居の説明>
<記念誌には上賀茂地域の被災状況地図も>
その記念誌から、読み取った当時の様子を「紙芝居」の絵を交えて「鴨川真発見記」的にアレンジしてみましたので御覧下さい。PDFファイルにリンク(PDF:967KB)
それでは、昭和10年6月29日の被災の様子と、現在の付近の様子を対比しながら御紹介します。古写真の下に現在の写真を並べています。
上流の橋が流失し、その流出物が下流の橋の橋脚を破壊して破損や流失を繰り返していきました。上流の「御薗橋」からみていきましょう。
竣工を目前に控えていましたが、残念ながら流失してしまいました。
<破壊セル御薗橋(下流より)>
<下流から見た現在の御薗橋>
人家の傍まで堤防が決壊し、流された家も15戸に及びました。
<御薗橋下流右岸堤防の決壊>
<24年度に交差点が広く整備されました>
<御薗橋西詰め交差点 右折レーン整備>
<加茂街道と堀川通り合流点拡幅と信号設置>
<御薗橋下流左岸堤防の決壊上手 家屋の前面に在来4mの道路あり>
<その後高い堤が築かれました>
<昭和10年の河川改修計画横断図 薄い”ひょろひょろ”の線が被災直後の横断>
<御薗橋下流左岸堤防の決壊下手>
<現在の様子>
左岸の堤防を越えた川の水がなみなみと流れています。
<御薗橋上流左岸400mの地点より下流を望む>
注:白壁の土蔵の右手より手前の砂利のあるところを結べる線が在来の左岸の位置
<広い高水敷で住民の皆さんの憩いの場所になっております>
崩れた堤防に切り倒した大きな生木をロープで繋いで川に垂らし、更なる崩壊を防いでいます。(木流し工)足元からいつ崩れるともしれない危険な場所での作業です。
<上賀茂橋上流約200m右岸堤防の決壊>
<この築堤の上を加茂街道が走り、葵祭の行列も進みます>
<現在の「上賀茂橋」>
昭和10年当時は「北大路橋」の上流すぐ近くに「中加茂橋」という幅の狭い橋が並行して架かっていたようです。
<流出せる中加茂橋西詰めより対岸を望む>
<植物園正門へ続く道路の入口あたりでしょうか>
鴨川上流から「御薗橋」「上賀茂橋」「中賀茂橋」「北大路橋」「出雲路橋」「葵橋」「出町橋」と表記されています。
<当時の橋を示す位置図>
昭和10年10月に社団法人土木学会関西支部主催の研究会での「報告書」によりますと、当時の出町付近の橋の名称は今とは少し違ったようで、今の「賀茂大橋」は「出町橋」とも呼ばれていたようです。流失した「葵橋」は現在の「出町橋」の位置に架かっていた橋で、現在の「葵橋」は存在しなかったようです。
従いまして、「下鴨本通」と「河原町通」は直接繋がっていなかったということになります。
葵祭の行列もこの「葵橋」を通って下鴨神社へと進んだのでしょう。
<葵橋上流右岸より対岸を望む 流失せるは葵橋>
<現在の「出町橋」の位置が当時の「葵橋」>
<流失せるは葵橋 (右岸より)>
<現在「葵橋」の名称が付けられているのはこちら>
<賀茂大橋上より流失せる葵橋を望む>
<有名になった「飛び石」もその歴史は20年程度です>
<「出町橋」付近、車イスの方も鴨川の景色を楽しんでおられます>
(上の写真が今後の特集企画へとつながります)
今回はこの程度に留め置き、賀茂大橋よりも下流の様子につきましては、もう少し当時の様子を勉強してから御紹介させて頂きたいと思います。
平成25年5月13日(京都土木事務所Y)
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